次期国王は8歳の脱走犯

ポケットの物語

超短編・次期国王は8歳の脱走犯

大英帝国の未来を背負うのは、わずか8歳の小さな肩だった。


フィリップ王子。プラチナブロンドの髪と宝石のような水色の瞳を持つ彼は、両親を悲劇的な飛行機事故で失い、幼くして次期国王継承者となった。天真爛漫で自由奔放、国民からは「天使」と愛される少年だが、その心は常に温かい愛情に飢えている。


そんな彼を親代わりとして、時に厳しく、誰よりも深い愛で見守り続けるのが、専属世話係のトムだ。これは、世界で最も高貴で孤独な少年と、彼を守り抜く男の、ある雨の日の断片。


★★★★


ロンドンの街並みは、夕暮れと共にその重厚な色調を濃くしていた。石畳を叩く冷たい雨が、ガス灯の明かりをぼんやりと滲ませている。私は傘もささずに、息を切らしてリージェント・ストリートの人混みをかき分けていた。心臓が早鐘を打ち、胃の腑が冷たくなるような焦燥感が全身を支配している。


「あの子は……一体どこまで行ったんだ」


私の視線は、行き交う人々の腰の高さあたりを鋭く走査し続けていた。探しているのは、この灰色の街にはあまりに不釣り合いな、輝くプラチナブロンドの頭だ。英国の至宝、未来の国王陛下。だが今の私にとっては、世話の焼けるただの「迷子」に過ぎない。


ふと、通りの向こうにある古びた玩具店のショーウィンドウの前で、小さな人影が動かないのを見つけた。


上等なウールのコートは少し泥はねで汚れ、格式高い王室御用達の革靴は雨に濡れている。しかし、そのプラチナブロンドの髪だけは、薄暗い街角で自ら光を放つかのように輝いていた。


私は安堵で膝が崩れ落ちそうになるのを堪え、大股でその背中に歩み寄った。彼はガラスに鼻先をくっつけんばかりにして、中で動くブリキの兵隊を凝視している。


私は彼の小さな肩を、強めに掴んだ。


「フィリップ!! 😠💢」


私の怒鳴り声に、その小さな体はビクリと跳ねた。彼が勢いよく振り返る。


街灯の光を受けて、その瞳が露わになった。息を呑むほどに美しい、宝石のような水色の瞳。あどけない輪郭の中に、亡き父君ジョージ公爵の面影と、母君リサ妃の愛らしさが同居している。今はまだ8歳の、しかし確かな「王の顔」だ。


フィリップは私だと気づくと、悪びれる様子もなく、ぱあっと花が咲くような笑顔を見せた。


「トム! 見てよこれ! お城の兵隊さんよりずっと面白そうに動くんだよ! ✨😲」


その天真爛漫な響きに、私の怒りの半分は瞬時に空回りを始めた。だが、ここで絆されてはいけない。私は彼の視線の高さに合わせて膝をつき、その両肩をガシリと掴んだまま、厳しい視線を向けた。


「面白い、じゃありません! どれだけ皆が心配したと思っているんですか。警護のものも撒いて、こんな所まで一人で……もし誘拐でもされたらどうするつもりだ! 😡🔥」


フィリップはきょとんとして、長い睫毛をぱちくりとさせた。そして、少しだけ唇を尖らせる。その仕草は、ニュースで「天使のようだ」と称賛されるそれだが、私にとってはただの言い訳の予兆だ。


「だってトム、お屋敷の中は退屈なんだもん。誰も遊んでくれないし、ナニー・マーガレットは『お勉強の時間です』しか言わないし。僕はただ、世界がどうなってるのか見たかっただけだよ。 🥺🌍」


「退屈だからといって、国を揺るがす大騒ぎを起こしていい理由にはなりません。お前はただの子供じゃない。この国の、たった一人の希望なんだぞ。分かってるのか? 😞💨」


私はため息交じりに言い聞かせながら、ポケットからハンカチを取り出し、彼の濡れた頬と、雨に濡れて少し冷たくなった額を拭った。フィリップはされるがままになりながら、私の顔をじっと覗き込んでいる。その瞳の奥にあるのは、純粋な好奇心と、そして隠しきれない寂しさだ。


両親を失い、85歳の曽祖父である国王とは距離があり、周囲は大人ばかり。彼が「世界」を見たがるのは、そこに温もりを探しているからかもしれない。


フィリップは私の手からハンカチを奪うと、私の雨に濡れた顔を逆に拭おうと小さな手を伸ばしてきた。


「トム、怒ってる? でも、トムが迎えに来てくれるって知ってたよ。トムはいつだって僕を見つけてくれるもん。パパみたいにね。 ☺️🧤」


その言葉に、胸が締め付けられるような痛みが走った。この子は、自分の命がどれほど重いかを知りながら、同時に誰よりも「ただの子供」として愛されることを渇望している。私は彼の冷えた小さな手を、自分の大きな手で包み込んだ。


「……怒っていますよ。カンカンです。屋敷に帰ったら、おやつ抜きのお説教が待っていますからね。覚悟しておくように。 😤🥪」


「ええーっ! おやつ抜きはひどいよトム! チョコレートケーキ、楽しみにしてたのに! 😱🍰」


「文句を言わない。さあ、風邪を引く前に帰りますよ。手を離すんじゃないぞ」


「はーい。……ねえトム、手、あったかいね。 🤝😊」


私は立ち上がり、彼の小さな手をしっかりと握り直した。フィリップは私のコートの裾に身を寄せるようにして歩き出した。


すれ違う人々が、この美しすぎる少年に気づき、ハッとして振り返る気配を感じる。だが、私はあえて厳しい顔つきを崩さず、彼を守る壁となって歩調を早めた。


雨上がりのロンドンの空には、雲の切れ間から一筋の月光が差し込み、水たまりを飛び越える未来の国王のプラチナブロンドを、柔らかく照らし出していた。

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