第6話 止まった砂時計



朝の光が、冬の街に静かに降りていた。

空気は冷たく、吐く息がすぐに白くほどける。


公園のベンチに、しずくは座っていた。

両手で紙コップを包みこみ、

もうひとつのコーヒーを隣の席に置いて。


カップから立ちのぼる湯気が、淡い朝日に溶けていく。

彼がここに来ると信じて、少し早く家を出た。

理由はなかった。

ただ、この時間、この公園に来る気がした――それだけ。


しずくは指先をこすりながら、

止まった砂時計のように静かな時間を過ごしていた。



やがて、遠くから足音が近づいた。

ゆうだった。

コートのポケットに手を突っ込み、

息を白く吐きながらベンチの前で立ち止まる。


「……来てたんだ」


「おはようございます。寒いですね」

しずくは小さく笑って、

隣の席を手でぽんぽんと叩いた。


「座ってください。温かいうちにどうぞ」


「これ、俺の?」


「はい。ゆうさんが来ると思って、つい二つ買っちゃいました」


ゆうは受け取ったカップを見つめ、

思わず笑みをこぼした。

指先に伝わる熱が、

心の奥にまで届いてくるようだった。



「また来てたんですね、この公園」

「うん。なんか、落ち着くんだよな。

 昔、ここで変な老人に声をかけられてさ」

「変な老人?」

「そう。俺に“後悔はしてないか?”って言ってきて……

 その日から、全部が少しずつ変わった気がする」


しずくはその言葉を静かに受け止め、

少し間をおいてから言った。


「後悔って、消すものじゃないですよね」

「……どういう意味?」

「後悔も、ちゃんと持って生きていくものだと思うんです。

 そうしないと、きっと優しくなれない」


ゆうはコーヒーを口に運びながら、

その言葉をゆっくり噛みしめた。

冷たい空気の中で、

湯気が二人の間に小さな幕をつくっている。



「俺、何度もやり直したんだ」

「……?」

「さきとのこと。

 でも、結局うまくいかなかった。

 あの時の俺は、彼女の“寂しさ”に気づかなかったんだ」


「それでも、今こうして話してくれてるってことは」

しずくは小さく微笑んだ。

「ちゃんと前に進めてるってことですよ」


「進めてるのかな」

「ええ。少なくとも、止まってないです」


その言葉に、

ゆうはポケットの中の砂時計を思い出した。

止まったままのそれを、

今日は取り出さなかった。



二人はしばらく黙って、

冬の朝を眺めていた。


小さな犬が通り過ぎ、

ジョギングする人が横を駆け抜ける。


しずくが立ち上がった。

「また、ここで会えますか?」


ゆうは少し考えて、笑った。

「たぶん、また来ると思う」


「じゃあ、その時はまたコーヒー買っておきます」


そう言ってしずくは去っていった。

その背中を見送りながら、

ゆうは胸の奥で小さく何かが灯るのを感じた。


止まった砂時計は、もう裏返されることはなかった。

 


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砂時計 時雨 @sunanooto

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