時の穴ぼこ

いもたると

第1話

 読者には聞き慣れない言葉だろうが、世の中には時の穴ぼこというものがある。

 時々、この時の穴ぼこに落ちてしまう人がいる。

 落ちてしまうというか、嵌ってしまうのだ。

 例を挙げて説明しよう。

 今、ここに年配の母子がいる。母子と言っても、母親の歳は既に80を超えている。

 子の方も、かなりいい歳をした大人である。本来であれば初老の紳士と言わねばなるまい。

 だが、そう言っていいものか、少々そういう表現を躊躇わせる。

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」

 私は今、とある病に霊験があるという、とある神社に来ている。

 住宅地の中に忽然と現れた森に囲まれたその神社は、小高い丘の上にあり、本殿まで行くには小さな鳥居を潜り、少し石段を登らねばならない。

 それほど広くはない敷地だが、石段を登るという行為が、まるで俗界と神界を隔てる儀式のように感じられ、信仰心のそれほどない私でも、自然と厳かな心持ちになる。

 そうして辿り着いた本殿のある境内は、いつ来ても清涼な空気に包まれ、静謐な雰囲気を保っている。

 手水舎は青銅の龍を象った蛇口から水が出るタイプで、水槽の縁に赤蜻蛉が止まっているのなどを見るのも趣きが深い。

 ご神気に晒されるせいだろうか。

 ここに来ると私の感覚も一新され、頭脳も普段よりは幾分か明敏になるようだ。

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」

 私の耳には、さっきから一定の間隔を置いて、意味不明な言葉が繰り返し入ってきている。

 前述の母子の子の方の口から発せられたものだ。

 辻褄の合わないその発言は、南アジアの地誌について言及しているようにも思えるが、意味が通っているようで通っていない。

 チチチチチ、と、森のどこかで小鳥のさえずる声が聞こえる。

 ジャリジャリと参道を歩く音がする。

 バタバタッと雀が降りてきては、砂浴びをする。

 巨体なカラスが悠々と滑空し、本殿の屋根に止まる。

 さっきから流れるような雲が空に留まっている。

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」

 何も知らない他の参拝客が、母子のまわりを迂回するように通り過ぎていく。

 男は一般的な見方をすれば、精神障害者ということになろう。

 見た目からそう思われるわけではない。

 焦げ茶のツイードのジャケット、ウールのスラックス、ネルのシャツに革のローファー。

 薄くなった髪を七三できっちりと分けている。

 一見すると普通の紳士である。

 だが、状況と関係のないことを脈絡なく発言し続けていることから考えると、やはりある種の精神障害を負っているものと考えられる。

 男はこれまでに何度も精神科の世話になっている。

 ところが男の症状には特定の病名は付いていない。

 脳の検査をしてみても、男の脳はいたって正常。どこも悪いところはないのだ。

 この男は、ごく平凡な土地のごく一般的な家庭に生まれ育った。

 父親は自動車販売会社に勤めるサラリーマン、母親は専業主婦である。

 下に弟と妹が一人ずついて、家では雑種の犬を飼っていた。

 が、そんな男のデータなどどうでもいい。

 この男は、時の穴ぼこに嵌ってしまっているのだ。

 時の穴ぼことは、そこに嵌ってしまうと永遠に同じサイクルの行動を繰り返してしまうという、謂わば時空に開いた落とし穴である。

 例えば、悪癖。

 駄目だとわかっていても、何故か毎回同じことをしてしまう。

 毎回同じタイプの男に引っかかる女。

 いつも同じパターンで失敗。酒。ギャンブル。ダイエットのリバウンド。

 これらは精神的なものだが、体の一部が時の穴ぼこに落ちてしまった場合は、癖として表れる。

 読者の皆さんも、頻繁に首を回しているタレントをテレビで見たことがあるだろう。

 この男は高校生まではごく一般的な子供として育ったが、ある日、地理のテスト勉強をしている最中に、急に時の穴ぼこに落ちてしまった。

 以来、ずっと同じ言葉を繰り返すようになったのである。

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」

 こうしてみると、時の穴ぼことは、なにやら恐ろしいもののように思われるが、これが何らの脳の異常をもたらさないことからも伺えるように、実は至極当たり前のことなのである。

 全ての存在は、おしなべて時の穴ぼこに落ちていると言えるからだ。

 試しに一定のサイクルで動くもののことを考えてみると良い。

 例えば、サラリーマン。

 毎朝同じ時間の電車に乗り、同じ会社に行く。

 いつも似たような業務をして、同じ時間の電車に乗って家に帰る。

 明日になればまた同じことの繰り返しである。

 自然だってそうだ。樹木を見てみると良い。

 春には花を咲かせ、夏は葉を繁らす。

 秋には紅葉し、冬には葉を落とす。

 毎年変わらず、一定のサイクルで動いている。

 どうしてこれが可能かというと、時の穴ぼこに落ちているからだ。

 冬に桜が咲けば、それは異常事態である。

 サラリーマンがいつもと反対の電車に乗ってしまえば、頭がおかしくなったのかと思われる。

 もっとマクロの視点で見たときも同様であり、一層顕著である。

 月は一定のスピードで地球の周りを周り、地球は同じ速さで太陽の周りを周る。

 その太陽だって銀河系の中心を軸にして周っているし、銀河系はまた、銀河の中心を巡っている。

 ミクロの視点で見たときもそう。原子核の周りを電子が規則正しく巡っているのだ。

 即ち時の穴ぼことは秩序であり、自然の摂理であり、正常なのである。

 どうしてそれが人間の精神に表れたときだけ、異常のレッテルを貼られ得よう?

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」

 ただ、その時のサイクルが、この男の場合、異常に短いのだ。

 だからさっき言った言葉を、分と経たないうちに唐突に繰り返し、その光景を目の当たりにしたものからすると、奇異な感じを受けるのである。

 時の穴ぼこに落ちるということが、正常なものであるからして、そこには治療法というものがない。

 どれだけ科学が発達しようと、人間の力でどうにかなるものではないのである。

 これを治すには、神を頼るしかない。

 ここの神社は、時の穴ぼこ治療に御利益があると言われている。

 果たしてそうであろうか。

 私が信仰心の薄いせいか、それほど効果があるようには思えない。

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」

 年老いた母親は賽銭箱に小銭を入れると、深々と二礼し、柏手を打った。

 口の中でモゴモゴと祝詞を唱え、一心に願をかける。

 風が吹き、絵馬掛けに掛けてあった絵馬が、カラカラと乾いた音を立てた。

 母親がどこかでこの神社の存在を知ったのであろう。

 最近になって、この親子の姿は、ここで良く見かけられるようになった。

 親子の家からここまでは、電車を乗り継いで4時間はかかる。

 一度や二度の参拝では効果がないのか、それとも一時的に良くなっても、またすぐに症状が現れてしまうのか。

 いずれにせよ、この母親は、息子を連れては定期的にここの神社にお参りに来ている。

 ということは、この母親もまた、時の穴ぼこに落ちているのかもしれない。

 定期的にここに来るよう、サイクルに嵌っているのだ。

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」

 母親は最後に一礼すると、無言で息子の手を引き、今来た参道を帰って行く。

 母が息子に話をしなくなってから、もうどれだけの時が経っただろう。

 息子は意味不明な言葉を繰り返し、家族は長男と距離を置くようになった。

 思春期の弟と妹は兄が元々いなかったかのように振る舞い、その頃、中間管理職から支店長へと昇進した父親は、休日のゴルフが多くなった。

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」

 定期的に意味不明な発言をする以外には、息子はいたって正常であった。

 普通に飯を食べ、普通に排泄をした。

 外を徘徊することもなく、家族に暴力を振るうこともない。

 母親は最初、症状が良くなることを祈って、息子を精神科に連れて行った。

 だが、どこの病院に行っても、答えは同じ。

 息子さんの脳には異常は見当たりません。

 科学で駄目だとなると、自然と超常現象の方に目が向く。

 高額の施術費を払って全国各地の霊能者を頼ったが、老後にとっておいた資金を減らしただけだった。

 やがて母親の顔には、人生に疲れた者の深い皺が何本も刻まれた。無理もない。

 だが、ここの神社に通うようになって、その表情は心なしか和らいできたように見える。

 理由もない不幸に悩まされてきた人生の終着駅で、信仰がこの女の魂を救っているのであれば、往復八時間以上の道のりも遠くはない。

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」

 この男もまた、苦しんでいる。

 いや、時の穴ぼこに落ちた本人こそが、一番苦しんでいるのだ。

 時の穴ぼこに落ちるのは、正常なことである。

 みんな社会の歯車という時の穴ぼこの中に、正常に嵌っている。

 どうして自分だけが、このように特殊な時の穴ぼこに落ちてしまったのか。

 ああ、お母さん。何か話しかけてください。黙っていないでください。

 昔みたいに、僕と会話してください。

 あなたが話しかけてくれても、僕はちゃんとした言葉を返すことが出来ませんでした。

 でも、僕だって本当は別のことを言いたいのです。

 こんなこと言いたくて言っているのではないのです。

 でもあなたが何も話しかけてくれないと、僕はいつものことを繰り返してしまうのです。

 僕はこの穴ぼこから出たいのです。

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」

 ああ、お母さん。僕を無視しないでください。

 僕は話しかけているんです。あなたに話しかけているんです。

 でも、自分が言いたいこととは、違う言葉しか出ないのです。ああ、お母さん。

 初めのうち、あなたは僕に一生懸命話しかけてくれた。

 でも僕はこんな言葉しか返せなかった。

 それは僕のせいではないのです。時の穴ぼこに落ちたせいなのです。

 弟たちは僕を異常者と見なしました。

 父親は僕を見捨てました。

 ああ、お母さん。あなたまで離れていかないでください。

 諦めないでください。

 僕に話しかけてください。

 僕が望んでいるのは、そういうことなのです。

 ああ、神様、神様。どうかお母さんを救ってください。

 僕は苦しいのです。

 これを読んだ皆さん、どうかこのような人がいることを知ってください。

 時の穴ぼこに苦しんでいる人がいることを知ってください。

 正常な宇宙の、自然の、社会の秩序に苦しんでいる人がいることを知ってください。

 ああ、出てしまう。神社の鳥居を出てしまう。どうか、神様!

「水没から逃れるつもりですよ。ベンガル人の粗末な遊びはインドのコルカタに行われています」


 読者には聞き慣れない言葉だろうが、世の中には時の穴ぼこというのがある。

 時々、この時の穴ぼこに落ちてしまう人がいる。落ちてしまうというか、嵌ってしまうのだ。

 例を挙げて説明しよう・・・。

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