第2話 タピオカ
「第二回も張り切っていきましょう。親子料理対決、今回はですね――タピオカドリンクです」
「え、今さら?」
「今さらです。だからこそです。ブームが去った後に何を作るかで、本質が見える」
「なるほど、流行に乗ったかどうかではなく、素材理解」
「そうです。タピオカというのはキャッサバという芋から作られる澱粉でして、乾燥状態では硬く、戻し方、茹で方、糖度管理で食感がまるで変わる」
「巷の“黒い玉”とは別物だと」
「別物です。市販の即席品ではなく、今回は本来のタピオカにこだわっていただきます」
「こだわり回ですね」
「ええ。今さら感があるからこそ、手を抜くと全部わかる」
「親子対決にぴったりですね」
「沈黙の中で、どこまで本気かが出ますから」
「……」
「……」
「では、調理を始めてください」
今さら、という言葉が胸に引っかかった。今さらやる意味があるのか、という響きが、なぜかそのまま俺の家庭に当てはまる気がした。宗玄はタピオカの乾燥粒を器に移し、計量もせずに水を張る。その手つきに迷いはない。流行ったかどうかなんて関係ない、やるべき工程は昔から同じだ、と言わんばかりだ。母さんが流行のレシピを試そうとするとき、宗玄はいつも黙っていた。今さらだ、とは言わない。言わないが、手伝いもしない。沈黙で線を引く。それが宗玄のやり方だった。
本当のタピオカは戻しがすべてだ、と解説者が言っていた。澱粉は水を吸う。吸いすぎれば崩れる。足りなければ芯が残る。どこで止めるかは経験だ、と。経験。母さんには与えられなかったもの。父は知っていたのに、共有しなかった。俺は乾燥粒を指で転がしながら、なぜか母さんの背中を思い出していた。甘さの調整も同じだ。砂糖を入れすぎれば安っぽくなる。入れなければ物足りない。正解は一つじゃないのに、宗玄は正解を口にしない。母さんをいじめたからだ。そう考えると、全部がつながって見える。
「沸いたら入れろ」
宗玄の一言は短い。指示でも助言でもない。ただの事実報告みたいな口調だ。俺は鍋の前で必要以上に温度計を確認し、砂糖の種類を吟味し、黒糖ときび糖の配合比を頭の中で組み替えた。教わらない。教わると、母さんが置いていかれた理由が正当化される。俺は俺のやり方でやる。今さらのタピオカを、本気でやる。それが復讐になると、本気で思っていた。
茹で時間は長い。粒が透明に近づくまで、待つ。待つ時間が長いほど、沈黙が濃くなる。宗玄は火加減を見ている。俺は甘さを見ている。見ているものが違う。宗玄は工程を、俺は意味を見ている。母さんはいつも意味のほうを見て、工程で置き去りにされた。だから宗玄は正しくて、母さんは間違っていた、という話にはさせない。させないために、俺は必要以上に丁寧にやる。
直前、俺は小さなイタズラをした。番組とは無関係だ。上司のデスクに、タピオカの乾燥粒を少しだけ忍ばせた。笑い話になると思った。今さらタピオカですよ、と言ってやりたかっただけだ。悪意はない。ないはずだった。
「火、弱めろ」
宗玄が言う。タピオカは踊り始めていた。俺は火を弱め、氷水の準備をする。締める工程だ。締めることで食感が決まる。締める。締める、という言葉が、やけに重く聞こえた。母さんは締められていた。締める側はいつも無言だった。
そのとき、床が震えた。最初は重低音だ。遠雷みたいな、だが規則正しい。照明が小刻みに揺れ、ストローが倒れた。次の瞬間、外壁が凹む音がした。ガシャ、と金属が擦れる音。誰かが叫ぶ。カメラが向きを変え、そこに映ったのは――戦車だった。迷彩色の、あまりにも見覚えのあるシルエット。砲塔が回り、ハッチが開く。
「こらぁぁぁぁぁっ!!」
上司の声だ。聞き慣れた怒声が、スタジオに反響する。イタズラの結果が、物理的に乗り込んできた。こち亀で見たやつだ。現実でやるな。誰もがそう思ったはずなのに、誰も止められなかった。戦車は床を割り、セットを押し潰しながら迫ってくる。照明が砕け、甘い黒糖の香りと、油の匂いが混ざった。
父は驚かない。鍋を見て、カップにタピオカを移す。
「締めすぎるな」
その一言で、俺の中の何かが切れた。逃げる。これは料理じゃない。家庭でもない。生存の問題だ。俺はカップを抱え、非常口に向かって走り出す。背後で砲身が回る音がする。上司が叫ぶ。理不尽だ。だが理不尽はいつも、こうやって物理的に来る。
走りながら、俺は確信していた。全部つながっている。今さらのタピオカ。本当の澱粉。締める工程。沈黙。母さん。戦車。
「戦車で乗り込んできたこの事態は――久我宗玄のやつの《甘さの話を一度も母さんにしなかった時間》と同じ構図の陰謀だったんだよ!」
「な、なんだってー!?」
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