食いしんぼ 常勝と不敗の親子料理対決MMR

nco

第1話 フグ

「本日の企画はですね、親子料理対決、記念すべき第一回でございます」

「親子で料理を作っていただきまして、味はもちろん、段取り、衛生、所作、そして何より“親子らしさ”が出るかどうかを見ていこうという、たいへん教育的な企画ですね」

「教育的と言いながら、初回からずいぶん攻めますね?」

「攻めますよ。なぜなら初回だからです。視聴者の皆さんに“この番組はちゃんとしてるんだぞ”という緊張感を提供する必要がある」

「そこでフグ、と」

「そうです。フグは危険です。しかし危険であるがゆえに制度がある。制度があるがゆえに責任がある。責任があるがゆえに技術が光る。番組としては非常においしい」

「おいしい、って言っちゃいましたよ」

「食材の話ですからね。フグというのは日本の食文化の中で特別な位置にありまして、古くは食べること自体が禁じられたり、地域によって扱いが厳しく定められていたり、つまり“憧れ”と“恐怖”が同居している食材なんです」

「憧れと恐怖」

「はい。しかも、フグ毒のテトロドトキシンは加熱しても分解されません。つまり火を通せば安心、ではない」

「怖いですねえ」

「怖いですよ。さらに申し上げますと、解毒剤は基本的にありません。対症療法しかない。ですから“間違えないこと”が唯一の安全策になる」

「そこで免許制度が必要になる」

「おっしゃる通りです。フグ処理師免許、ふぐ調理師免許、名称は自治体で違いますが、要は訓練を受けた人だけが特定部位を取り除いて提供できるようにしている。肝が代表的ですね。法律上、提供が禁止されている地域も多い」

「肝、うまいって聞きますけど」

「うまいからこそ危ない。欲望を制度で抑え込んでいるわけです。こういうところに文明の気配がある」

「文明の気配」

「そして今回、親子対決という形にしたのには理由がありまして、親子って、教える側と教わる側が同居する関係でしょう。言葉が少なくても成立してしまう。沈黙が成立してしまう」

「沈黙が成立」

「はい。料理って、技術の継承が沈黙で行われることが多い。家庭なんか特にそうです。言わなくても見て覚えろ、という文化がある」

「今どき炎上しそうなやつですね」

「炎上しそうだからこそ、ネット番組でやる価値がある。しかも、フグのように“見て覚えろ”が通用しない食材をあえてぶつける。ここにドラマが生まれる」

「ドラマ性、狙ってますねえ」

「狙ってます。ちなみにフグは種類も多いです。食用に適するものは限られますし、部位ごとに毒性が違う。皮は食べられるが内臓は危ない、筋肉は安全だが卵巣が危ない、そういう複雑さがある」

「複雑ですねえ」

「複雑です。複雑なものを前にしたとき、人は本性が出ます。丁寧になるか、雑になるか、過剰に慎重になるか、逆に開き直るか」

「親子だと余計に出そうですね」

「出ます。で、今回は特別に、父親側が資格を持っているという設定でお呼びしています」

「資格持ちですか」

「はい。これ、ポイントです。資格を持っている者が隣にいると、持っていない者はどう振る舞うのか。教えてもらうのか、意地を張るのか、勝手にやるのか」

「なるほど、心理戦だ」

「心理戦です。ただし心理戦と言っても、本人たちは心理戦をしているつもりがない。そこが面白い」

「父親のほうは、そもそも喋らないかもしれない」

「喋らないかもしれない。喋らないことで場を支配してしまう人もいる」

「言い方ぁ」

「事実ですから。では、お二人とも、準備はよろしいでしょうか」

「……」

「……」

「よろしいですね。では、調理開始です」


 調理開始、と言われた瞬間、俺の胃の奥がひやりとした。フグの毒性が怖いからじゃない。もちろん怖い。テトロドトキシンが熱で壊れないとか、解毒剤がないとか、そんな話は嫌でも頭に残る。だが俺がひやりとしたのは、もっと別の、もっと日常的で、もっとどうでもよくて、だからこそ逃げ場のないやつだ。父が隣に立っている、という事実そのものだった。


「……資格、あるんだよな」


 確認すると、久我宗玄は俺を見ずに、まな板の位置を一センチだけ直した。


「ある」


 それだけ。短い。短いが、短いほど俺の中で勝手に増幅する。ある、で済ませるな。あるなら、なんで今まで言わなかった。あるなら、なんで母さんに一度でも説明したことがあった? 母さんが台所で困っていたとき、黙って新聞をめくっていたのは誰だ。母さんが包丁で手を切ったとき、ため息だけついて絆創膏を投げたのは誰だ。


 フグのことを考えると、必ず母さんのことを思い出す。関連性は薄い。たぶんない。フグを家で食べたことはほとんどない。母さんがフグ鍋を作った記憶もない。にもかかわらず、俺の中では“危険なもの”と“母さんの台所”が同じ棚に入っている。危険なものを扱うとき、母さんはいつも一人だった。父は隣にいなかった。いや、いた。いたのに、いないみたいだった。


 解説者が言っていた。“沈黙が成立してしまう関係”。それが親子で、それが家庭で、それが料理だと。ふざけるな。沈黙が成立してしまうのは、成立させた側が責任を取らないからだ。沈黙で済ませて、相手が勝手に気を回して、勝手に失敗して、勝手に恥をかく。そのとき沈黙していた側は、何もしてない顔ができる。母さんはいつもそうやって追い込まれていた。俺はいつもそれを見ていた。見ていたのに、何もできなかった。だから今、ここで俺は、なにかを取り返さなきゃならない気がしている。フグは関係ない。関係ないのに、関係あるみたいに感じる。そういう錯覚の上に、うちの家庭は建っていた。


「切り方は」


 父が言った。質問なのか命令なのか判別できない声で。


「決めてる」


 俺は即答した。決めてる、という言葉が口から出た瞬間、俺は自分の中で何かが決まったのを感じた。切り方じゃない。態度だ。俺は“教わらない”。教わったら負けだ。教わったら、母さんがいじめられていたことが、ただの“技術不足”に矮小化される。母さんが困っていたのは技術の問題じゃない。隣にいるのに何も言わない人間がいた、という構造の問題だ。父が沈黙を武器にしてきた、その事実の問題だ。


 フグに包丁を入れると、皮の感触が妙に生々しく伝わってきた。指先が冷える。毒がそこに見えるわけではないのに、毒という概念が手首を縛る。間違えたら終わり、とさっき解説が言っていた。間違えたら終わり。そう、うちの家庭もそうだった。間違えたら終わりだった。母さんが一度でも“間違えた”と見なされたら、それで終わりだった。父は説明しない。説明しないくせに、出来栄えだけで空気を決める。あの食卓の緊張は、フグの毒よりよほど強力だった。


「そこ、毒」


 父がぽつりと言った。


「わかってる」


 俺は言い返した。わかってる。わかってると言うしかない。わかってないと言った瞬間、父の沈黙が正当化される。教える気がないんじゃない、こいつが無能だからだ、という方向に話が収束してしまう。母さんもそうやって追い込まれた。母さんが弱いんじゃない。弱く見えるように配置されていただけだ。父はその配置を作る天才だった。無言で。


 俺は包丁とまな板を分けるべきだという話を思い出し、必要以上にまな板を拭き、必要以上に手を洗い、必要以上に丁寧な所作を積み重ねた。丁寧にすれば安全、という話ではない。丁寧にしないと、自分が崩れる。これは料理ではない。俺の中で、フグはいつのまにか“母さんの代理”になっていた。危険で、繊細で、扱いを間違えると死ぬ。死ぬのは俺じゃない。俺の中の何かだ。たぶん、俺がずっと誤魔化してきた感情だ。


 そのとき、照明が一度だけ妙に明るくなった。スタジオの空気が、刃物の上で薄く震えたように感じた。次の瞬間、音が先に壊れた。司会者の声が途中で途切れ、解説者の口が動いているのに音がついてこない。遅れて、床が鳴った。板が軋む音ではない。世界が割れる音だ。


「え?」


 相馬の声が聞こえたかどうかも怪しい。視界が歪む。調理台の縁が波打ち、鍋の湯気が横に流れ、蛍光灯が一本ずつ引きちぎられるように天井から落ちた。落ちるはずなのに、落ちない。宙で止まり、次に、後ろへ吸い込まれていく。天井がめくれ、壁が剥がれ、セットの木目が皮膚みたいに裂けた。裂け目の向こうに、青ではない空が見えた。色の抜けた、乾いた空だ。


 体が浮く。いや、浮いたのは俺の体じゃなく、番組セットそのものだった。調理台が、照明ごと、カメラごと、スタッフごと、まとめて引き上げられる。重力の向きが変わったみたいに、鍋の中身が一瞬で凍りつき、次の瞬間に沸騰し直した。温度の帳尻合わせが狂っている。世界のルールが、雑に書き換えられている。


 目の前でカメラが、紙屑みたいに折れていく。相馬が何か叫んでいる。俺の耳はその音を拾えない。代わりに聞こえるのは、風だ。乾いた風。砂の匂い。焼けた金属の匂い。時間が進んでいる匂い。


 次の瞬間、すべてが止まった。


 俺たちは、何もない荒野の真ん中に立っていた。セットはある。調理台もある。照明も一部は残っている。だが、周囲にあるべき街も、建物も、人間の気配もない。遠くの地平線が異様に近い。空が高すぎる。音が少なすぎる。鳥の声がない。代わりに、低い唸り声が地面の下から響いてくる。


 その唸り声が、近づいてきた。


 砂が盛り上がり、骨のような突起が地面から現れる。生物だ。野生生物としか言いようがないが、野生生物という言葉が可愛く聞こえるほど、巨大で、硬く、古い感じがした。皮膚は岩みたいで、目はガラスみたいに濁っている。現代の動物ではない。未来の、生き残ったやつだ。文明がいなくなった世界で、堂々と主役に戻った怪物だ。


 俺の手が震えた。包丁を握る力が抜ける。怖い。だが怖いのは生物じゃない。怖いのは、父が怖がらないことだ。父は調理台を見下ろし、鍋の蓋を少しずらしただけだった。


「吹くぞ」


 またそれだ。危険の尺度が違う。世界が壊れても、父にとって危険は鍋の吹きこぼれの方が先に来る。母さんが倒れても、父は湯飲みを置く順番を変えなかった。そういう人間だ。驚かないことで、世界を勝手に“通常運転”に戻す。


 怪物が、匂いに反応した。鼻先をこちらに向け、唾液を垂らしながら近づいてくる。俺は反射的に、皿を掴んだ。フグ料理だ。資格がない俺が、勝手に処理したフグ料理。正しいかどうかはわからない。だが、俺の中では、これが“答え”だった。父が説明しないなら、俺が結末を持ち込むしかない。


 怪物は躊躇なくそれを食った。


 咀嚼音が二回、三回。喉が鳴った。次の瞬間、怪物の足が崩れた。膝から落ち、頭が砂に刺さり、巨大な体がゆっくり横倒しになる。鳴き声は出ない。ただ、死ぬ。静かに死ぬ。別の怪物も匂いに釣られて寄ってきて、同じように食い、同じように倒れる。まるで、ここにいる怪物の種そのものが、フグ毒に対して無防備であるかのように。


 助かった、という言葉を誰かが言った気がする。だが、俺はその言葉を歓迎できなかった。なぜなら俺は知っているからだ。これは“助かった”ではない。“たまたま死んだ”だ。そして、そのたまたまを、父は最初から想定していた可能性がある。父が何も言わずにフグを選んだ理由。父が資格を持っていると言いながら、俺を止めなかった理由。母さんをいじめていたときと同じだ。止めない。説明しない。見ている。黙っている。その沈黙が、相手の行動を勝手に決めさせる。


 父は、怪物の死体を一瞥することもなく、鍋の火を落とし、布巾で調理台を拭き始めた。未来だろうが怪物だろうが、父にとっては台所の延長でしかない。母さんがいつも一人で耐えていた空気の再現。俺はその中で、唯一“事件”を起こした。結果として怪物が死に、俺たちが助かった。なのに胸の奥に残るのは、勝利ではなく、あの食卓と同じ苦さだった。


 俺は息を吸い、確信の形に言葉を整えた。ここで黙ったら、また母さんの時みたいに、全部が“なかったこと”になる。父は驚かない。驚かないことで、勝手に幕を下ろす。そうさせるわけにはいかない。俺が意味を言語化しなければ、母さんは二度死ぬ。


「番組セットごと未来に飛ばされたこの現象は――久我宗玄のやつの《あの日、母さんの前で黙っていた時間》と同じ陰謀だったんだよ!」


 相馬が、役割を思い出したみたいに目を見開いた。


「な、なんだってー!?」

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