私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜
@hoshimi_etoile
第1話 お嬢様がおかしい
グランツライヒ帝国の北東、山々に囲まれたヴァイスバッハ伯爵領。銀山で栄えるこの地で、私はお嬢様の専属侍女として仕えている。
私の仕えるお嬢様——シャルロッテ・フォン・ヴァイスバッハ様は、お人形のように美しい方だった。
プラチナブロンドの髪は腰まで届き、緩やかな波を描いている。アイスブルーの瞳は澄んでいて、陶器のような白い肌には傷ひとつない。
物静かで、大人しくて、控えめ。
五歳にしては聞き分けが良すぎるくらいで、おままごとをすれば静かに遊び、お人形を抱けば何時間でも眺めている。
「エマ、このお人形さん、可愛いでしょう?」
小さな声でそう言うお嬢様を見るたび、私の心は温かくなった。
私はそんなお嬢様が大好きだった。
朝、お嬢様を起こす。寝ぼけ眼で「……おはよう、エマ」と言うお嬢様が可愛い。着替えを手伝えば、小さな体と柔らかい髪に触れられる。朝食を給仕すれば、小さな口でもぐもぐと食べるお嬢様を眺められる。
お嬢様のお世話ができることが、私の幸せだった。
このまま、ずっとこの日々が続くと思っていた。
◆
その日の夕食は、いつもと同じはずだった。
伯爵家の食堂。長いテーブルの上座に旦那様、その隣に奥様、そしてお嬢様。私は給仕として、壁際に控えていた。
「最近、国王陛下がまたエルデン領を侵攻したらしいな」
旦那様が何気なく言った。世間話だ。貴族の食卓では珍しくもない話題。
「まあ、また戦ですの?」
奥様が眉をひそめる。
「ああ。しかし、あの王も懲りないものだ。先の戦で国庫は空っぽだというのに」
「それで、今度はどうなりましたの?」
「勝ったらしい。だが……」
旦那様はワインを一口含んで、少し声を落とした。
「降伏した村を焼いたそうだ。見せしめに」
「まあ……」
奥様が顔をしかめる。
「住民はどうなりましたの?」
「さあな。逃げ遅れた者は……まあ、察してくれ」
「嫌ですわねぇ、そういうお話」
奥様はため息をついて、フォークを置いた。
「戦は仕方がないとしても、降伏した後にそのような仕打ちをするなんて。野蛮ですわ」
「まったくだ。だが、陛下のお考えだ。我々がとやかく言えることではない」
旦那様も苦い顔をしている。だが、それだけだ。
貴族とはそういうものだ。王の暴虐を嘆きはしても、止めようとはしない。できない。
私は黙って聞いていた。政治の話は、メイドの私には関係ない。お嬢様も、いつものように黙って食事をしている……はずだった。
「それで?」
声が聞こえた。
冷たい声。硬い声。
誰だろう、と思った。
食堂には旦那様と奥様とお嬢様、そして私しかいない。旦那様の声ではない。奥様でもない。まさか私が声を出したわけでもない。
では——誰?
視線が、お嬢様に向かった。
数秒かかった。その声がお嬢様から発せられたのだと理解するのに。
お嬢様は、全員の視線が自分に集まったのを確認すると、もう一度言った。
「それで?」
昨日までのお嬢様の、甘えた声じゃない。
「な……なんだ?」
旦那様が戸惑う。
「侵攻の目的は何? 領土? 資源? それとも国内の不満を逸らすため?」
お嬢様が顔を上げた。
その目を見た瞬間、私は背筋が凍った。
子供の目じゃない。何かを値踏みするような、冷たい目。
「な、なぜそのようなことを……」
「つべこべ言わずに答えなさい」
お嬢様は淡々と続ける。
「国内の派閥構成は? 王権派と貴族議会派の力関係は? 軍部の動向は? 財政状況は?」
矢継ぎ早の質問。
五歳児が発する言葉じゃない。
お嬢様——?
旦那様が戸惑いながら答える。奥様は青ざめている。私は給仕の手が止まっていた。
「……なるほど」
お嬢様が情報を整理するように頷いた。
「つまり、王は無能で、貴族は腐敗していて、民は重税に苦しんでいる」
「シャルロッテ!」
奥様が悲鳴のような声を上げた。
「国王陛下を批判するなんて……そのようなこと、口にしてはなりません!」
「事実でしょう?」
お嬢様はちらりと奥様を見て、すぐに興味を失ったように視線を戻した。
「この国、終わってるわね」
食卓が凍りついた。
誰も、何も言えない。
お嬢様だけが、平然と食事を続けている。小さな手でフォークを握り、肉を口に運ぶ。足は椅子から届かず、ぶらぶらと揺れている。
その姿は、さっきまでと同じ五歳の少女のはずなのに。
まったく、別人に見えた。
◆
食事が終わった。
誰も会話がないまま、食卓は片付けられた。
「ごちそうさまでした」
お嬢様が席を立つ。
「エマ、来なさい」
「は、はい、お嬢様」
私の声は震えていた。
廊下を歩く。お嬢様の小さな背中を追いかける。いつもと同じはずなのに、その背中がひどく遠く感じた。
お嬢様の部屋に着く。
着替えを手伝う。手が震えて、ドレスのボタンがうまく外せない。
「エマ」
「は、はい」
「震えているわ」
「も、申し訳ありません……」
「怖い?」
「……」
「正直に答えなさい」
「……少し」
「そう」
お嬢様は窓の外を見た。月明かりがプラチナブロンドの髪を照らしている。
五歳の小さな背中。でも、その佇まいは……。
「エマ」
「はい」
「あなたは私の味方でしょう?」
その問いに、私は息を呑んだ。
味方。
お嬢様は、何をするつもりなのだろう。
でも……。
「……はい、お嬢様」
私はそう答えた。
お嬢様に仕えるのが、私の務めだから。
たとえお嬢様が、どんな方に変わっても。
「よろしい」
お嬢様は振り返らなかった。
「おやすみなさい、エマ」
「……おやすみなさいませ、お嬢様」
◆
自室に戻り、ベッドに座り込む。
お嬢様は、昨日までのお嬢様じゃない。
あの目は、あの声は、あの言葉は。
五歳の子供のものじゃない。
何が起きたのだろう。なぜ、お嬢様は変わってしまったのだろう。
わからない。何もわからない。
でも私は……メイドだ。
お嬢様に仕えるのが、私の務め。
たとえ何が起きても。たとえお嬢様が、どんな方に変わっても。
震える手を握りしめる。
私は、お嬢様のメイドなのだから。
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