私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜

@hoshimi_etoile

第1話 お嬢様がおかしい

グランツライヒ帝国の北東、山々に囲まれたヴァイスバッハ伯爵領。銀山で栄えるこの地で、私はお嬢様の専属侍女として仕えている。


私の仕えるお嬢様——シャルロッテ・フォン・ヴァイスバッハ様は、お人形のように美しい方だった。


プラチナブロンドの髪は腰まで届き、緩やかな波を描いている。アイスブルーの瞳は澄んでいて、陶器のような白い肌には傷ひとつない。


物静かで、大人しくて、控えめ。


五歳にしては聞き分けが良すぎるくらいで、おままごとをすれば静かに遊び、お人形を抱けば何時間でも眺めている。


「エマ、このお人形さん、可愛いでしょう?」


小さな声でそう言うお嬢様を見るたび、私の心は温かくなった。


私はそんなお嬢様が大好きだった。


朝、お嬢様を起こす。寝ぼけ眼で「……おはよう、エマ」と言うお嬢様が可愛い。着替えを手伝えば、小さな体と柔らかい髪に触れられる。朝食を給仕すれば、小さな口でもぐもぐと食べるお嬢様を眺められる。


お嬢様のお世話ができることが、私の幸せだった。


このまま、ずっとこの日々が続くと思っていた。





その日の夕食は、いつもと同じはずだった。


伯爵家の食堂。長いテーブルの上座に旦那様、その隣に奥様、そしてお嬢様。私は給仕として、壁際に控えていた。


「最近、国王陛下がまたエルデン領を侵攻したらしいな」


旦那様が何気なく言った。世間話だ。貴族の食卓では珍しくもない話題。


「まあ、また戦ですの?」


奥様が眉をひそめる。


「ああ。しかし、あの王も懲りないものだ。先の戦で国庫は空っぽだというのに」


「それで、今度はどうなりましたの?」


「勝ったらしい。だが……」


旦那様はワインを一口含んで、少し声を落とした。


「降伏した村を焼いたそうだ。見せしめに」


「まあ……」


奥様が顔をしかめる。


「住民はどうなりましたの?」


「さあな。逃げ遅れた者は……まあ、察してくれ」


「嫌ですわねぇ、そういうお話」


奥様はため息をついて、フォークを置いた。


「戦は仕方がないとしても、降伏した後にそのような仕打ちをするなんて。野蛮ですわ」


「まったくだ。だが、陛下のお考えだ。我々がとやかく言えることではない」


旦那様も苦い顔をしている。だが、それだけだ。


貴族とはそういうものだ。王の暴虐を嘆きはしても、止めようとはしない。できない。


私は黙って聞いていた。政治の話は、メイドの私には関係ない。お嬢様も、いつものように黙って食事をしている……はずだった。


「それで?」


声が聞こえた。


冷たい声。硬い声。


誰だろう、と思った。


食堂には旦那様と奥様とお嬢様、そして私しかいない。旦那様の声ではない。奥様でもない。まさか私が声を出したわけでもない。


では——誰?


視線が、お嬢様に向かった。


数秒かかった。その声がお嬢様から発せられたのだと理解するのに。


お嬢様は、全員の視線が自分に集まったのを確認すると、もう一度言った。


「それで?」


昨日までのお嬢様の、甘えた声じゃない。


「な……なんだ?」


旦那様が戸惑う。


「侵攻の目的は何? 領土? 資源? それとも国内の不満を逸らすため?」


お嬢様が顔を上げた。


その目を見た瞬間、私は背筋が凍った。


子供の目じゃない。何かを値踏みするような、冷たい目。


「な、なぜそのようなことを……」


「つべこべ言わずに答えなさい」


お嬢様は淡々と続ける。


「国内の派閥構成は? 王権派と貴族議会派の力関係は? 軍部の動向は? 財政状況は?」


矢継ぎ早の質問。


五歳児が発する言葉じゃない。


お嬢様——?


旦那様が戸惑いながら答える。奥様は青ざめている。私は給仕の手が止まっていた。


「……なるほど」


お嬢様が情報を整理するように頷いた。


「つまり、王は無能で、貴族は腐敗していて、民は重税に苦しんでいる」


「シャルロッテ!」


奥様が悲鳴のような声を上げた。


「国王陛下を批判するなんて……そのようなこと、口にしてはなりません!」


「事実でしょう?」


お嬢様はちらりと奥様を見て、すぐに興味を失ったように視線を戻した。


「この国、終わってるわね」


食卓が凍りついた。


誰も、何も言えない。


お嬢様だけが、平然と食事を続けている。小さな手でフォークを握り、肉を口に運ぶ。足は椅子から届かず、ぶらぶらと揺れている。


その姿は、さっきまでと同じ五歳の少女のはずなのに。


まったく、別人に見えた。





食事が終わった。


誰も会話がないまま、食卓は片付けられた。


「ごちそうさまでした」


お嬢様が席を立つ。


「エマ、来なさい」


「は、はい、お嬢様」


私の声は震えていた。


廊下を歩く。お嬢様の小さな背中を追いかける。いつもと同じはずなのに、その背中がひどく遠く感じた。


お嬢様の部屋に着く。


着替えを手伝う。手が震えて、ドレスのボタンがうまく外せない。


「エマ」


「は、はい」


「震えているわ」


「も、申し訳ありません……」


「怖い?」


「……」


「正直に答えなさい」


「……少し」


「そう」


お嬢様は窓の外を見た。月明かりがプラチナブロンドの髪を照らしている。


五歳の小さな背中。でも、その佇まいは……。


「エマ」


「はい」


「あなたは私の味方でしょう?」


その問いに、私は息を呑んだ。


味方。


お嬢様は、何をするつもりなのだろう。


でも……。


「……はい、お嬢様」


私はそう答えた。


お嬢様に仕えるのが、私の務めだから。


たとえお嬢様が、どんな方に変わっても。


「よろしい」


お嬢様は振り返らなかった。


「おやすみなさい、エマ」


「……おやすみなさいませ、お嬢様」





自室に戻り、ベッドに座り込む。


お嬢様は、昨日までのお嬢様じゃない。


あの目は、あの声は、あの言葉は。


五歳の子供のものじゃない。


何が起きたのだろう。なぜ、お嬢様は変わってしまったのだろう。


わからない。何もわからない。


でも私は……メイドだ。


お嬢様に仕えるのが、私の務め。


たとえ何が起きても。たとえお嬢様が、どんな方に変わっても。


震える手を握りしめる。


私は、お嬢様のメイドなのだから。

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