犯人当て-猫目館の惨劇(問題編)
@teconyan
第1話 クローズドサークル×館へようこそ
🐈 猫目舘の惨劇(問題編)
午前九時。店主・猫屋敷ユキは、エプロンを締めながら溜息をついた。
三重県津市に場所に構える彼女の店「プリティ・キュア・キティ」は、高価格帯の純血種を専門に扱う、小さな名店だ。ショーケースは常に美しく磨き上げられ、温湿度管理は完璧。BGMは上品なクラシック。そして、陳列される子猫たちは、間違いなく日本最高峰のクオリティを誇る。
しかし、肝心のショーケースが、この一週間、寂しい空気を漂わせている。
「ユキさん、今日の問い合わせも例のマンチカンですか?」
アルバイトの女子大生、真鍋が不安そうに訊ねてくる。
「うん。先週予約が入っていたあの足の短い子。本来なら今日引き渡しだったんだけど、ブリーダーさんから連絡がまだなくて」
ユキは、カウンターに置かれた一通の封書を指先で叩いた。差出人は、この店の生命線とも言える最重要取引相手、猫間美礼 太(ねこまみれ ふとし)。彼を形容するのに最も適切な言葉はブリーダーではなく「猫の蒐集家」だろう。
本業は不明だが莫大な資産を持つ猫間美礼は、世間から隔絶された山奥の広大な敷地に、文字通り「猫目舘」と呼ばれる洋館を建て、研究目的として世界最高水準の猫種のブリーディングを行っている。プリキュアに並ぶ最高級の子猫たちは、すべてこの猫目舘から供給されているのだ。
猫間美礼氏のブリーディングは、単なる繁殖ではない。彼は猫科動物を「完璧な美の追求」の対象と見なしており、その飼育と選別は非常に厳格だ。彼は猫科動物しか飼育しないポリシーを持つ。ユキは猫間美礼氏のその狂気じみたまでの純粋さに惚れ込み、独占的な仕入れ契約を結んでいる。
その猫間美礼氏との連絡が、先週の木曜日を境に、パタリと途絶えたのだ。
最初はいつものことだと思った。猫間美礼氏は気まぐれな芸術家タイプで、一度研究に没頭すると外部との連絡を一切遮断することがある。電話に出ないことも、メールの返信が遅れることも珍しくはない。
だが、今回は少し様子が違った。
・電話に出ない。(これはいつものこと)
・メールの返信がない。(これもよくある)
・自動応答によるFAXも来ない。(これが異常。子猫の健康チェック報告は自動で送られてくるはずだ)
・子猫の引き渡し日が過ぎた。(これは契約上ありえない。猫間美礼氏が最も嫌う「美のサイクルを乱す行為」だ)
さらに、ユキが昨日まで試したあらゆる連絡手段……固定電話、携帯、猫間美礼氏が使用人に指示して作らせた専用のチャットツールのすべてが、完全に沈黙している。
このままでは、今週の売上がゼロになるだけでなく、顧客からの信用も失ってしまう。何より、ユキは猫間美礼氏の異常な沈黙に、嫌な予感を覚えていた。
ユキは事務所に戻り、壁に貼られた「第一種動物取扱業者登録証」のコピーを見上げた。
「飯田さん……」
猫目舘の執事である飯田 満腹(いいだ まんぷく)氏の顔を思い浮かべる。猫間美礼氏の館は常に厳重に守られており、ユキでさえ、許可なく敷地内に立ち入ることは契約で固く禁じられている。しかし、緊急事態と判断した場合は、まず飯田氏に連絡を取る取り決めになっていた。
ユキは、昨日の夜から何度も飯田氏の携帯に連絡を試みている。結果はいつも同じ、コール音の後に虚しい留守番電話のメッセージが流れるだけだ。
「これだけの豪邸に、オーナーブリーダー一人と、使用人が四人……合計五人いるんだ。誰か一人くらい、連絡が取れてもいいはずなのに」
ユキは頭の中で、猫目舘の従業員たちの顔を再確認した。
・飯田 満腹(いいだ まんぷく):猫が大好きな執事兼給餌係。元シェフの巨漢。無愛想だが猫の健康管理はプロ級。マメな性格で常に時間を守って生活している。
・毛刈谷 みい(けがりや みい):猫が大好きなトリマー。極度の潔癖症で、汚い猫が許せない。せっせと手入れをしてしまうが、家猫以外の動物には触れることができない。
・獣原 博士(けもはら はかせ):猫が大好きな健康管理係の獣医。理屈屋で確率論者。医学的な根拠なしに動かない男。寝坊と女遊びで身を持ち崩したらしい。
・遊尾 俊敏(あそび しゅんびん):猫が大好きなトレーニング係。元サーカスの調教師。猫と走り回るのが日課のジャージ男。身体能力は抜群だが頭はよくない。
この5人が一斉に連絡を絶つなど、ありえない。まるで、猫目舘全体が、外界から切り離されたかのように沈黙している。
ユキはパソコンの画面に、猫屋敷豪太から提供された猫目舘の飼育頭数に関する書類を映し出した。
> 従業員数: 5名(ブリーダー猫間美礼太を含む人間)
> 飼養施設延床面積: 1000平方メートル以上
> 適正飼育可能頭数: 150頭
(現在の法律では、ブリーダー業者は従業員一人当たり30頭までしか猫を飼育できない。150頭は、猫間美礼氏が合法的に飼育できる限界の頭数だ。この多さで、なぜ趣味だと公言できるのか……)
ユキは猫屋敷氏の常識外れの財力と執念に感嘆しつつも、この大人数と大量の猫を抱えた施設で、一体何が起こったのか、事態の深刻さに考えを巡らせた。
「真鍋さん、ごめん! 今日はもう店を閉めて」
ユキは立ち上がると、コートを羽織った。
「えっ、もうですか? 午後から来客の予定があるんじゃ……?」
「断った。緊急事態。このままじゃ店どころか、猫間美礼さんの方で大変なことになっている可能性もあるし」
「でも、猫目舘ってすごい山奥ですよね? 契約で立ち入り禁止なんじゃ」
「うん、そうなんだけど。一週間連絡取れないのは異常すぎる。子猫の安否も心配だし。もし猫間美礼さんが何かトラブルに巻き込まれているなら、わたしには独占契約者としての確認義務がある」
ユキはバッグに、最低限の着替えを詰め込んだ。
「警察に連絡するべきなのでは?」
真鍋の言葉に、ユキは首を振った。
「警察は動かないと思う。単なる連絡不通だし事件性がない。それに猫間美礼さんがもし違法なブリーディングでもしていたとしたら、警察を呼ぶのは契約上、私もまずいことになる」
ユキは、猫間美礼氏がひょっとすると法律のグレーゾーンを侵しているのではないか、という疑念を常に抱いていた。今、外部の人間を入れるのはリスクが大きすぎる。
「とにかく、私が先に現地に行って状況を確認するよ。もし本当に事件性があると判断したら、すぐに真鍋さんに連絡するし。もし、今日中にわたしから連絡が無かったら、迷わず警察へ電話して欲しい。住所は分かるよね?」
真鍋はただ事ではないと悟り、固く頷いた。
ユキは愛車の青いノートに乗り込むと、カーナビに行き先を設定した。目的地は、三重県の西端からさらに奥深く、秘境とも呼べる山間の私有地。
『猫間美礼 太 私有地・猫目舘』
「どうか、ただの長すぎる昼寝でありますように…」
ユキは心の中でそう唱え、アクセルを踏み込んだ。
ナビが示す道は、都会の喧騒から次第に離れ、緑濃い山道へと変わっていった。アスファルトの道はいつしか細い砂利道となり、日向の車は揺れながら標高を上げていく。
二時間半後。車はついに、目的地の周辺にたどり着いた。
周囲は完全な私有林。そこだけ空気が澄んでいるというより、重い。
車を降りたユキは、案内板の代わりに立てられた、錆びた鉄製の看板を見上げた。
『この先、猫間美礼太 私有地 研究施設 猫目館。関係者以外の立ち入りを固く禁ずる。
侵入者は、法に基づき厳重に対処する。』
その威圧的な文言は、まるで「この先に踏み入るな」と警告しているかのようだ。
さらに奥へと進むと、巨大な石造りの門が見えてきた。門柱には、猫の目を模した不気味な彫刻が施されている。その門の奥には、鬱蒼とした木々の合間から、目的の建物が顔を覗かせていた。
それは、ユキが想像していた通り、異様なほど巨大な洋館だった。
ユキが門扉のインターホンを何度か押しても応答がないことを確認した、その瞬間だった。
ドォォン!!
凄まじい轟音と振動が山に響き渡った。
ユキが振り返ると、彼女が車で通ってきた唯一の山道が、土砂と巨木に覆われ、完全に塞がれていた。
慌てて携帯を取り出すが、画面には慣れない「圏外」の文字が浮かんでいる。
「こ、これはクローズド・サークル……! しかも、館モノじゃない!」
彼女の目の前には、外界から完全に隔絶され、静寂に沈んだ、呪われた巨大な猫屋敷が立ちはだかっていた。
そして、錆びついた鉄の門扉が、ゆっくりと、しかし確実に内側から開いた。
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