第4話 名前を呼んでしまった


人混みの向こうに、

洸平が立っていた。


さっきより、

少し近い距離。


近いのに、

触れられない。


目が合うだけで、

心臓がうるさくなる。


「……久しぶり」


沈黙。


長くも短くもない。


でも、

息の仕方を忘れるには

十分な時間。


私は、

無意識に腕を組んでいた。


洸平は、

それに気づいたのか、

一歩だけ距離を取る。


その動きが、

逆に刺さる。


――近づかないで。

――でも、離れないで。


矛盾した感情が、

一気に押し寄せた。


「……圭介と、

何、話してた?」


「救われたよ」


それは、

本当だった。


でも、

続けた。


「でもね……」


一拍。


「昔も今も、

洸平に

見てほしかった」


洸平は、

静かに息を吐いた。


「……見てなかったわけじゃない」


「でも、

向き合う覚悟が

なかった」


「澪が

必死だったことも、

一生懸命だったことも、

分かってた」


「それでも、

あの瞬間、

見てなかったことに

できなくなった」


「懐かしいだけなら、

澪も俺も、

こんな顔、

しないだろ…」


胸が、

ぎゅっと縮んだ。


「最低だね、私」


「……違う」


洸平は、

迷ってから

私を抱き寄せた。


強くはない。

逃げ場を残す抱擁。


「……大丈夫。

泣いていい」


「……澪」


「……洸平」


腕が、

少しだけ強くなる。


越えていない。


でも、

戻れない。


名前を呼び合った

その事実だけが、

確かに残った。


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