『屑鉄』~ミヤビ・アリスの情景
@1o27
第1話 …あるいは街で最大の公営図書館にて。
帰宅する人々。
これから出かける人々。
異なる使命を持った両者が交錯する時間帯。
──夕暮れ時は、人の往来が最も盛んになる。
今まさに、誰かが口にした言葉である。
駅に近く、通りに面し、カフェや服飾店が立ち並ぶこの場所は、まさしくそうしたエリアだった。
大きく磨かれたガラス窓は、行き交う人々の影を色とりどりに映し出している。
そのフィルムの反射が一瞬、ある少女の姿を捉えて輝いた。
『ミヤビ・アリス』──彼女は、“カラフルな焼き菓子”のような、タイルの上を進んでいた。
やがてアリスは、駅の反対側にある比較的静かな地域へと出る。
公園や一軒家が立ち並ぶ、閑静な住宅街である。
その中で、ひときわ大きな建物が目を引いた。
堤防に囲われた川と、広々とした公園に面したそれは、この街で最大の図書館だった。
**
アリスが図書館の入り口をくぐると、どこか空気が動いたような気がした。
──そう、まるで重い扉を開けたかのように。
実際は自動ドアを通過しただけのはずだ。
それでも館内特有の静けさは「ここが密閉空間である」と囁いている。
アリスは図書館の一角にある、大きな机がいくつも並んだ場所に腰を下ろした。
ちょうどその場所はホールの中心である。
木製のテーブルに本を置いてから、彼女は少し周囲を見回す。
建物は築年こそ経っているものの、その設計には古臭さを感じさせない。
モダンでありながら、どこか温かみを兼ね備えている。
まさに公共施設としては申し分ないだろう。
──アリスは本を開いた。
そこからは本棚が幾重にも連なって見え、天井の窓ガラスからは夕焼け色の空が覗く。
同時にオレンジ色の光が室内に差し込み、書架の上を照らしていた。
ふいに、男性の声がかかる。
「アリス? それは、いったい何の本を読んでいるんだ?」
少女が顔を向けると、そこには一人の青年が立っていた。
彼は近くの予備校に通う、『三井・幸(ミツイ・コウ)』という名の浪人生だ。
…アリスは本を軽く持ち上げ、表紙の題名を見せた。
「未解決事件…? また面白い本だね」
そう言って笑う青年に対して、アリスは “図書館では静かに” と無言の圧力を送る。
幸は声量を下げると共に、向かいの席に座った。
「ところで図書館には、よく来てるの?」
幸の質問に対して、アリスは静かに返す。
「いいえ。あなたは?」
「俺もあんまり」
いったん、話が途切れる。
──次に話しかけたのは、アリスの方だった。
「ねえ、今の時刻を教えて貰える?」
「…ちょうど六時半みたいだよ」
幸は、そう言って、どこか上の方を指差す。
アリスが目を向けると、直径50センチほどの大きな時計があった。
時計は、長針も短針も、ピッタリと数字の『6』を指していた。
『時計』は古めかしく、図書館内の壁に架けられており、真横には、屋内ながら、『ベランダ』のような場所が設けられている。
一階には扉があり、どうやらそこから『ベランダ』へと登れるらしい。
その『鉄格子のような扉』の向こう側には、どこかファンシーな階段が覗いていた。
──おそらく、図書館を訪れる子供のために造られたのだろう。
アリスはそう思った。
しかし、アリスが気になるのは、ベランダではなく時計の方だ。
アリスはふたたび、剥き出しの文字盤の上にある、二本の針に向けて視線を送る。
……やはり、二つの針は“ピッタリ”と重なっている。
アリスは幸に対して言う。
「あの位置で針が重なることは、まずあり得ないわ」
指摘された幸は、振り返って時計を見た。
そして、その意味を理解したらしい。
「…ああ、ほんとだ、壊れてるのかな?」
彼はそう言って、スマホを取り出し、今度こそ正しい時刻を確認する。
一方、アリスは考えていた。
(いや…あれは、“壊れている”というよりも──)
その時、声がした。
「ずっとああだよ、あの時計は」
振り返ると、見知った顔の老人だった。
『二階・堂十郎』──この町で私立探偵を営む、厄介な不良老人である。
……幸が落ち着かない様子で、ページをめくり始める。
アリスと違って、幸は彼をだいぶ警戒しているようだった。
その社交的な老人は、偶然そばを通った図書館司書にさえ、話しかける。
「あっキミキミ、確かそうだったろう?な?」
相手は突然話しかけられた事に、困惑している様子だ。
もはや、この老人の暴走を止められるものは誰もいない……二人は絶望した。
しかし…意外なことに、その女性司書は、老人の顔を見るなり警戒を解いたようだ。
彼女は答える。
「ええ、そうですね……ここ最近ずっと狂ったままです」
その声は、どこか申し訳なさそうだった。
──司書が立ち去ると、アリスは二階に聞く。
「あの人、知り合いなの?」
二階が答える。
「ああ、前に図書館で仕事をしたことがあってね。そのとき一緒だったのさ」
「…随分と顔が広いのね」
アリスは率直に感想を述べた。
やりとりを聞いていた幸が、どこか疑いのこもった声で二階に尋ねる。
「…ここに来たのは偶然ですか?」
「ん?いやいや、お嬢ちゃんのメールに『今から図書館に行く』って書かれていたからね。
……そうだ、ちょうど話したい事があるんだよ」
その言葉にアリスは、ここに来る途中、二階からメールを受け取っていたのを思い出した。
今どこに居る?──確か、そんな文面だった筈だ。
「…もう少し気をつけた方がいいよ?」
幸は、アリスに心配そうな表情を向ける。
当の老人は、まるで不審者のように扱われたことに不服そうだ。
「三井君はどうしてそうなのかなぁ? もっと年長者に敬意を払ってほしいね……」
幸は、間髪入れずに返す。
「警戒されるような行動をしているからですよね。…他人に罪を被せようとしたり」
過去の話を蒸し返された二階は、少し目を泳がせた。
「あれは…ほら計画的な犯行じゃなかっただろう?それに、過去のことだ」
片方が開き直ったので、この戦いは幕引きとなる。
現代社会における世代間対立の全てが収束して欲しいものだ。
このように。
ようやく、アリスが口を開く。
「ところで。“話したい事”というのは?」
「──おっと、忘れるところだった」
二階が、忘れ物を思い出したかのように指を上下させる。
そして、本題について語り出した。
「…ここから、少し行ったところに小さな工場があるだろう?」
アリスは街の地図を頭に思い浮かべて、答える。
「──ええ。ここの前の通りを進んだ先にある、T字路の場所ね」
「ああそうだ。…じつはそこの社長に、仕事を依頼されているんだよ」
「「依頼?」」
幸とアリスの声が被った。
──最初に幸が質問する。
「…もしかして、その“依頼”の手伝いを、俺たちに“依頼“する気じゃないでしょうね?」
幸の質問に対して、二階は半笑いで返す。
「あ、君は大丈夫だから、受験に向けてしっかりと勉強しなさい」
幸は一瞬固まった。
でもすぐに気を持ち直したらしい。
やれやれ…そう言いたげなジェスチャーとともに口を開く。
「…仕方ないですね。協力しましょう」
“意味が伝わらなかったのだろうか?”
…そう思った二階は、再び同じことを言おうとする。
「いや、だから大丈…」
「協力しましょう」
しかし──言い終える前に、言葉を遮られてしまう。
「いや、だか…」
「協力しましょう」
何度くり返しても、やはり幸が遮ってくるので、とうとう二階は諦めた。
「……そんなに言うなら、お願いしようかな?」
「まったく分かりましたよ。しつこい人だ」
最近の若者はこうなのだろうか?
二階は哀しくなった。
脱線した話を元に戻そうと、アリスが疑問を投げかける。
「なぜ、わたし達に協力して欲しいと思ったの?そんなに難しい案件なのかしら?」
真っ当な質問に、二階は気を取り直して答える。
「いや実際、難しくはないだろうね。……だが、依頼主が今日から明日中の解決を望んでいるんだ」
「なるほど、それで人手が必要なのね」
二階は頷いて続ける。
「そうだ。もっとも時間がないので早めに決めてほしい。…三井君はどうやら着いてくるらしいし、お嬢ちゃんも一緒にどうだい?」……現在時刻は、すでに午後五時を過ぎている。
──アリスは二階の表情を見た。
そして、彼の意図をだいたい察知する。
アリスは自分自身にとって、最も簡潔だと思われる返答をした。
「…工場までは、歩いて十数分ってところかしら?」
それは『頼み事を引き受ける』という合図に他ならない。
二階は喜びの声を漏らす。
「おおっ、助かるよ」
かくして、三人は依頼主が経営する工場に向けて出発するのだった。
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