画面のこちら側で恋している。

くうはく

第1話

 27歳。

 会社では総務、家では一人。


 冷蔵庫の中身は、炭酸水とコンビニのサラダだけ。

 そんな私の一日は、毎晩22時から始まる。


 スマホを横に置き、イヤホンをつける。

 少しだけ背筋を伸ばして、通知を待つ。


 ――来た。


「配信開始しました!」


 彼女。

 いや、“彼女”なんて言い方は失礼なのは分かっている。


 VTuberアイドル。

 名前は、宵坂なゆ。


 画面の向こうで、なゆは今日も完璧だった。

 甘い声、計算された笑顔、少しだけ天然なトーク。


 コメント欄を流れる

「かわいい」「今日も最高」「愛してる」の文字。


 その中に、

 私の名前が一瞬だけ混じる。


「○○さん、今日も来てくれてありがとう~」


 それだけで、胸が熱くなる。

 指先が、わずかに震える。


“認知された”なんて言葉、

 昔はバカにしていたはずなのに。


 ――ああ、私、ガチ恋してる。


 分かっている。

 なゆは実在しない。

 中の人がいる。

 私のことなんて、数多いるファンの一人でしかない。


 それでも。


 仕事で理不尽に怒られた日も、

 誰とも話さずに帰った夜も、

「おかえり」って言ってくれるのは、なゆだけだった。


 現実の私は、

 職場では空気で、

 恋愛経験も薄く、

 誰かに“選ばれた”ことなんて一度もない。


 それなのに。


 画面の中のなゆは、

 私に向かって微笑んでくれる。


 それが、

 どんな意味を持たないものだとしても。


 配信が終わると、

 部屋は一気に静かになる。


 イヤホンを外すと、

 エアコンの音と、外を走る車の音がやけに大きく聞こえた。


「……はぁ」


 スマホには、スパチャの履歴。

 今月も、少し使いすぎている。


 それでも、後悔はしない。


 これは“推し活”だ。

 恋じゃない。

 恋じゃ、ないはず。


 そう言い聞かせながら、

 私はまた次の配信予定を確認する。


 なゆが幸せなら、それでいい。

 たとえ、私が一生、画面のこちら側でも。


 それでも――

 画面越しに手を振るなゆを見て、

 今日も私は、少しだけ救われてしまうのだ。

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