柚子

内海隼輝

柚子


常に見知らぬ愛を求めてた。

朧気な黄色い輪郭が、始終心を寂寥にさせた。あの黄色い輪郭が、私にはどうも憎く映ってしまう。


「先生、どうして人ってみんな卑劣なの?」

先生は暫し黙りながら、集め尽くした自慢のシールを見つめては、また外を見たりと目を泳がせていた。こんなに先生が悩むのは一度も見た事がなく、私は目を丸くしてしまった。しかし、それもつかの間。先生は何を思ったのか、こちらにくるりと向いた。そして、真摯な眼差しで言った。

「人ってのはわがままで強欲だと思う。それは受け入れるしかない。だから、あまり深く考えない方がいいと思うよ」

「そっか」

と期待通りの応えに落胆を覚えた。

夕日が闇に沈む前に、私はまだ一つ言いたいことがあるから、はっきりと言った。

「先生、私は大人を好きじゃないの。大人ってどこかプライドが高くて、おまけに立派な意地を持ってる。それって、とても嫌な気質だと思うの」

私が今、人生で悶えている最大の問いを先生にぶつけた。また先生は暫く悩んだ。顎に手を当て、そうしてまた私のことをちらりと見た。見た瞬間は、二秒か三秒くらいだった気がした。しかし、それが先生の熱意だと思った。先生はいつも気だるそうな目つきを見せるけど、その一時は違和感を覚えた。唐突な心の変化だろうか、それとも何か感じ取ったのか、見当つかない。しかし、あの真摯な眼差しとどこか不憫に見つめる先生を私は今も忘れない。

そうして、五分ほど経った頃先生は言った。

「大人ってのは確かに卑劣で汚らしい生き物だよね。でもね、大人は痛みに強いんだ。痛みを我慢して成長しているんだ。」

「たしかにそうですね」

「でも君の言うこともよくわかる。だからこそ思ったのは、大人なんてない。みんな大人という皮を被って生活しているんだよ。つまり子供のままだ」

この言葉に感銘を受けた。そうだ、そうだと頷きながら、救われた気がした。

落陽していく日を背に受けて、私は帰る支度を始めた。

「さぁ、かえろー」

先生は教室のドアを優しく開けた。そして、右腕をドアに当て、左腕を後ろに隠した。ガタゴトと揺れる机を抑えて、私は教室を出た。

「先生さよならー」

「はい、またあしたねー」

と一声聞いて、下駄箱に向かった。早急に、靴を履き校門に向かい走った。

「おーい、早くしないと閉じちゃうよー」

「待ってくださーい!」

この身を急かせて、力なく腕を振りながら校門を駆け抜けた。

「気をつけて帰るんだよー」

「はーい!」

私は閉門しようとした先生に手を振りながら返事をした。

砂利道をローファーで歩く。聞き慣れた砂利の音をお気に入りの唄で掻き消した。すれ違いもなく、鳥も来ず、まるで楽園に居るかのような感覚であった。しかし、ある果実に遭遇した時それは死んだ。

花唄を刻みながら、ある大きな家の前を通りかかった。その家は古民家で庭には四本の柚子の木が植えてあった。柚子の香りが花唄を濁し、皮肉な事にとうとう、その花唄は影に溶けていった。

「なんか、すっぱい匂いがする」

鼻を覆い、辺りを見渡した。すると、暗闇に溶け込んだ柚子を見つけた。これか!と思い手にとった。その刹那、ある記憶がふと蘇った。


昨冬、彼氏がいた。その彼氏から柚子を貰ったことを思い出した。

「これあげるよ」

「なにこれ?」

「柚子、これ風呂に入れたらいいらしいよ」

「へぇーそうなんだ、初耳かも」

「まじかよ」

彼は微笑しながら、優しい温かな手で私の手を握った。

「温かいね」

「ね、てかお前の手っていつも冷たいよな」

「そんなことないでしょ!」

「いや、そんなことあるよ」

「いやいや」

と他愛もない話を日々繰り返した。

そんな彼と別れたのはつい先週のことだった。決別したのに、未練や不安などが浮上して、夜も眠れない。それは彼氏を最後の最後まで思ってた事に他ならない。どうしても忘れられない彼の姿は頭の中で何度も思い、言葉に詰まるほどの強烈な思い出を残して去って行った。


柚子を見れば、彼を思い出す。そうして、私はその柚子をその古民家に放り投げた。芝生に落ちたのか、ザッザッという音が聞こえた。私は享楽な思いに浸り、暫くそこで佇んだ。しかし、思考を積めば積むほど、あることに気づいた。恋人は実は誰でも良かったのではないか、ということに気づいた。それは孤独感漂う、恋人作りに焦る感覚であった。そうして、その感覚が体を駆け巡って、やがて私はまた索漠な心に移り変った。

冬空の星を眺めながら、ローファーを引きずった。

「あーまた彼氏作ろうかな」

物静かな寒い夜が冷酷に私を置いてった。

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柚子 内海隼輝 @munmun0523

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