ある男子高校生の臨死体験日記

@jori2

第1話

 歴史書『吾妻鏡』によると、1233年7月20日の申の刻に、内藤盛時が死後、子の刻に至り、蘇生し、妻子に冥界を語ったそうだ。臨死体験には、ほかにも眉唾ものの噂がいくつもある。ここに書き留めるのは、僕、斎藤 佐武の臨死体験の記録だ。ただし、僕はオカルトに興味があるというわけではないので、あくまで日記の1つとして、忘れないうちに当時を振り返りながら綴ろうと思う。

 2025年10月21日の夜22時ごろ、高校の授業が終わった後の学習塾の帰りに、僕は繁華街にいた。普段は閑散とした住宅街を通って帰るところだが、その日だけは繁華街を通った。

 僕の父親は何千人もの社員を抱える会社の社長だ。僕は一人息子なこともあり、欲しいものは十二分に買い与えられていた。ただ、過剰に買い与えられるたびに、父母からのぶ厚い期待も感じていた。だから、僕は朝8時に高校に行き、一度帰宅して着替えと軽い食事を済ませて、夜22時まで学習塾に通う生活を毎日せわしなく続けていた。いつの日からだろうか、何をするしても期待に応える良い子でいなければならない、という心構えが染みついたのは。気づかぬうちに僕の心には負荷がかかっていて、その日は肩の荷を下ろしたい自分と父母を裏切りたくない自分がいた。結局のところ、どちらも選べずにたどり着いたのが繫華街だった。にぎやかな場所なら気がまぎれると思った。

 何をするわけでもなく繁華街を眺めながら彷徨っていると、ある女が視界に入った。女は看板を持って立ち止まっており、街ゆく人にチラチラと視線を向けている。いわゆる客引きだった。もし声を掛けられたとき、切り抜ける方法は大きくは2通りだ。無視するか、軽く会釈するか。はじめは無視を決め込み、女がさらに踏み込んでくるようなら、軽い会釈で返すと決めていた。女の横を通り過ぎるとき、僕は女が近づいてくる気配を感じた。「お兄さん、お店探してますかー」と予想通り女が勧誘してくるが、まずは無視して歩き続け、様子を見る。「女の子とおしゃべりたくないですかー」と女が踏み込んできたので、予定通り軽い会釈で返す。女性の接待がある店とは、いわゆるガールズバーというやつだろうか。私服で出歩いているとはいえ、僕は高校生なのに、そんなに老けて見えるだろうか。「1時間3000円でドリンク飲み放題!かわいい子いっぱいですよ」と女は僕のリアクションを意に返さず、迫り寄ってきた。こんなにしつこい客引きは久しぶりだった。しびれを切らして、しつこい客引きは条例違反であることを告げようしたとき、女からフワリと良い香りがした。言葉にするのが難しい。ずっと嗅いでいたいけれど、どこか落ち着かなくなる、そんな香りだった。この匂いで思い当たるのは、ただ1人だった。客引きの女の顔を見ると、葉山 薫だった。葉山 薫は、僕のクラスメイトの女子で、ほとんど面識がなかったが、すれ違うときの香りだけは、はっきりと頭に焼き付いていた。クラスでは目立った印象はないが、きっちりと化粧をしていて繁華街に自然と溶け込んでいた。葉山は僕の顔を見ると、一瞬目を丸くして、すぐに無表情になった。意外と葉山は僕のことを認識していたらしい。葉山 薫か、と念のため尋ねると、それまでの客引きの明るい口調は抜けて、学校には告げ口しないでほしい、とポツリと頼まれた。あえて告げ口なんてするつもりはなかったけれど、僕の頭では、他人の過ちに加担するという道徳心に反する行いを父母が知ったらどう思うだろう、と一瞬迷いが生じた。葉山は僕が悩んでいることがわかったのか、ある交渉を持ち掛けてきた。僕に"サービス"をする代わりに今日のことは忘れてほしい、というのだ。"サービス"と言葉を濁しているが、つまりそういうことである。僕は理解する間もなく、ひと気のない路地裏に連れられ、壁に強引に押し付けられた。そして、葉山の手が僕のズボンにかかった瞬間、全身が熱くなった。正直に言うと、何も考えられないくらいに興奮していた。だが、僕の理性がほんの少し残っていたのか、頭の中で、がっかりした顔で僕を見る父母がちらついた。メーターが振り切りそうなほど興奮する自分の頭にちらちらと父母がフェードインしてストップをかけにくる。このまま進むべきと止まるべきか結論を出せなかった僕は―。

 あいだを取った。ズボンにかかった葉山の手を握って、「葉山の匂いを嗅がせてくれ」と言葉が出た。

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