転生者と左手の沈黙

不思議乃九

転生者と左手の沈黙

I. 終了した、最糞のラン


人生というものに「ラン」という概念があるならば、私のそれは史上最糞だった。

何一つ特筆すべきことがない。成功も失敗もない。熱狂も絶望もない。ただただ、緩慢な質量を持った時間が、私という容器を通り過ぎていっただけだ。履歴書の空白よりも意味のない日々。良いこともなければ、誰かを深く傷つけるような悪いこともない。ただ、無が持続した。


その希薄な存在感を自覚するたびに、私は自分の人生が、アルゴリズムのバグによって偶然生成された、取るに足らないテキストデータだと感じていた。


その「ラン」は、あまりにも急に終了した。


薄曇りの日。国道沿いのコンビニへ、期限切れが近い栄養ドリンクを買いに行く途中だった。原付バイクの安いエンジン音が、私の空虚な内面を代弁するかのように虚しく響いていた。交差点に差し掛かったその瞬間、左側からの突進。音は。熱は。痛みは。それらのすべてが、計測不可能な一瞬の内に、私という存在から引き剥がされた。


そして、目が覚めた。



II. アスガルーダ界の湿気と光


私はアスガルーダ界にいた。

「転生」という、安易な物語の文脈でしか聞いたことのない事象が、私の新しい現実だった。


最初に感じたのは、現世の空気とは異なる、重く、湿った、しかしどこか澄んだ冷気だった。皮膚に張り付くようなその湿度は、この世界が持つ魔力の密度の高さを暗示しているようだった。


私が横たわっていたのは、巨大な樹木の根元。その樹の幹は、まるで青銅の鉱物のように鈍い光を放ち、遥か上空で、薄い灰色の雲を切り裂くように広がっていた。木漏れ日、というにはあまりに人工的な、淡い紫と緑の光が地上に降り注いでいる。空の色は、地球のような鮮やかな青ではなく、乳白色のガラスを通して見たような、曖昧な灰色だった。


私は、自分の身体が、以前のものとは違うことを理解した。若く、痩せてはいるが、筋骨隆々というわけでもない。特筆すべきは、衣服だった。それは麻のような粗い織物だが、その繊維一本一本が、周囲の光を微かに吸収し、また放出しているように見えた。


この世界について、私の脳内には、親切にも「転生ボーナス」として、必要な言語や基本的な世界観の知識が、断片的なデータとしてインストールされていた。

• アスガルーダ界(Asgarda-Kaei):魔力(マナ)が物理法則を構成する、多層的な世界。

• 魔力(Mana):この世界の基盤であり、生活のすべてを司るエネルギー。階級、社会構造、建築技術、さらには飲食物の味覚まで、魔力によって規定されている。


私が最も早く直面し、そしてこの世界のすべてを規定するであろう、個人的な現実。それは、私の左手についてだった。



III. 左手の沈黙と魔力の偏在


知識データによれば、アスガルーダ界の住人は、例外なく体内に魔力経路(マナ・サーキット)を持ち、意識的にそれを操作することで、周囲の大気中の魔力を取り込み、現象として具現化させる。すなわち、魔法を使う。


私は、右手のひらを前にかざし、「インキア(光)」と心の中で念じた。

掌の中心で、空気が凝縮するような微かな圧力を感じた後、ピンと張り詰めたような光の粒子が、円錐状に噴出した。それは、夜道を照らすには十分な明るさを持った、純粋なエネルギーの束だった。


「成功か」


次に、私は同じことを左手で行った。


「インキア(光)」


何も起こらない。


何度試しても、左手には、周囲の魔力を呼び込む感覚も、体内の経路を通す感覚もない。ただ、肉と骨と皮膚があるだけで、魔法的な意味では、完全に沈黙していた。


後に、私はこの特異な身体の現実を、この世界の定規で測ることになる。


私を保護し、簡単な生活の基盤を与えてくれたのは、薄汚れた街外れの宿の老夫婦だった。彼らは、転生者という概念を知らないが、私が明らかに「異質な存在」であることは察していた。


彼らを通じて、私は専門家による診断を受けることになった。

診断の結果は、専門用語で「マナ・アシンメトリー(魔力非対称性)」。


「君は、極めて珍しい。体内の魔力経路が、何らかの理由で身体の右側にのみ偏在している。左手首から先の末端神経には、魔力の伝達路が一切形成されていない」


左手に魔力が宿らない人間。

アスガルーダ界においては、これは致命的な欠陥であると同時に、ある種の異常な素質でもあった。



IV. 素質と実用性の狭間


この世界で、魔力の素質とは、その質と量、そして安定性によって測られる。私の持つ右手の魔力は、そのどれを取っても、非常に優れていた。

• 質:発動させた魔法の密度と純粋性。私の放つ光は、専門家から「濁りがない」と評価された。

• 量:瞬間的に取り込める魔力量。私の右手の魔力容量は、同年代の平均を遥かに凌駕していた。

• 安定性:詠唱中、あるいは魔力行使中のブレの少なさ。私の魔法は、極めて正確で安定していた。


魔力は最高の素質である。

しかし、その最高の素質は、実用的なレベルに達し得ないという、決定的な欠陥に直面する。


アスガルーダ界の魔法体系は、長い歴史の中で、効率と最大出力を追求してきた結果、特定の高度な魔法については、両手詠唱が義務付けられていた。

• 初級魔法(Tier 1):光、風、水などの単純な操作。片手で容易に発動可能。

• 中級魔法(Tier 2):防御壁の構築、治療、中規模な火球など。片手でも可能だが、精度を上げるには両手が推奨される。

• 上級魔法(Tier 3以上):大規模な破壊魔法、空間転移、高度な結界構築。両手で魔力の流れを制御し、体内のサーキットをフル稼働させなければ、詠唱自体が成立しない。


私の右手がどれほど純粋な魔力を宿していようとも、それを最大出力にまで引き上げ、現象として世界に干渉する上位魔法は、左手の沈黙によって一切使えない。


最高級のエンジンを搭載していながら、片側のタイヤが欠落している高級スポーツカーのようなものだ。そのポテンシャルは測り知れないが、公道を時速300キロで走ることは永遠にできない。


私の魔力は、鑑賞に耐えうる芸術品ではあっても、実戦に投入できる兵器ではなかった。



V. オールドスクールの「補助線」


私は絶望していた。せっかく得た「最高の素質」が、この世界の進化したシステムによって否定されている。


そんな私に、宿の老主人が、煤けた木箱の中から一本の杖を取り出した。

それは、現代のアスガルーダ界の魔法師が用いる、人工的な魔力増幅結晶が埋め込まれたモダンな杖ではない。持ち手は樹木の自然なねじれをそのまま残し、先端には獣の骨が飾られた、時代遅れのオールドスクールな杖だった。


「昔はの、魔法師は皆、こんな杖を使っていたんじゃよ」と老主人は言った。


私は、藁にもすがる思いでその杖を握りしめ、右手に光を、そして左手に杖を持ったまま、再び上級魔法の詠唱を試みた。もちろん、左手から魔力は一切発動しない。


しかし、その瞬間、驚くべきことが起こった。


杖の先端に、右手の詠唱した魔法の魔力が流れ込み、杖全体が、左手の代わりとなって魔力を安定させるための「補助線」として機能し始めたのだ。


杖は、私の身体の拡張であり、本来左手が担うべき魔力制御のアンカーの役割を果たしていた。


オールドスクールな杖を持てば、片手でも上位魔法の詠唱が成立する。


その時、宿の天井に、直径数メートルにも及ぶ巨大な氷の結晶が生成され、一瞬にして消滅した。宿の夫婦は腰を抜かし、私は安堵と困惑の入り混じった奇妙な感情に包まれた。



VI. なんの意味があるのだろうか


上位魔法が使える。だが、その能力を最大限に発揮するためには、片手に必ず杖を持たねばならない。


現代の魔法戦闘は、両手による素早い詠唱、魔力制御、そして何よりも「自由な身体の動き」を前提としている。杖を持つということは、片方の手を戦闘中、常に「アンカー役」として固定せねばならないということだ。それは、近接攻撃に対する防御手段の喪失、魔法の詠唱中に必要な繊細な手の動きの制限を意味した。


「なんの意味があるのだろうか。」


これは、私が現世で、最糞の人生を送っていたときに感じていた虚無感と、驚くほど似ていた。


最高の素質がある。しかし、それは現代のシステムでは無用の長物。

それを古典的な方法で補完しても、結局は、現代の効率性には到底敵わない。


この特異な能力は、私に与えられた「ギフト」ではなく、現世での最糞の人生がこの世界に持ち込んだ、不条理なアイロニーではないか。


私の能力は、まるで骨董品のようだ。極めて価値が高いが、実用性はない。美術館に飾られるべきもので、戦場に持ち出すべきではない。



VII. 憎悪と嫉妬の不合理


そして、このアスガルーダ界において、最も私を困惑させたのは、私のこの特異な能力に対する、周囲の反応だった。


この事実が公になったとき、私に向けられたのは、憐憫や同情ではなかった。

それは、熱を持った、冷たい嫉妬と憎悪だった。


「左手は使えないが、右手の魔力の純度は、歴代最高級らしい」

「あの異邦人が持つ魔力の量が、どれほど貴重なものか」

「あんな欠陥持ちのくせに、我々が一生かかっても得られない素質の核を持っている」


人々は、私が抱える「実用性の欠陥」には目もくれず、私が持つ「魔力の純粋性」という潜在的な可能性だけを切り取って、私を裁いた。


なぜ、この能力を妬み嫉み、私を憎むなどという愚かな真似ができるのだろうか。


彼らは、私が持っているものが、どれほど不条理で、この世界のシステムに拒絶されているものかを知っているはずだ。彼らが羨む「最高の素質」は、両手詠唱という世界の常識によって、その牙を抜かれている。


私が持つこの「素質」は、ただの幻想であり、使用期限切れの才能だ。


それでも彼らは、その幻想を憎む。


それは、彼らの人生が、私のような「最糞」ではないにせよ、魔力の量や質という、この世界の絶対的な序列の中で、常に計測され、比較され、評価され続けているからだ。


彼らにとって、私の「純粋な素質」は、彼らが積み上げてきたすべての努力、すべての階級、すべての実績を、一瞬で無価値にするような例外に見える。


不完全な私を憎む彼らの行動は、彼らがこの世界のシステム(魔力至上主義)に、どれほど深く組み込まれ、その抑圧的な論理を受け入れているかの証明だった。



VIII. 異邦人の観測


私は、彼らの憎悪を静かに観測する。現世で何の感情も抱かなかった私にとって、このアスガルーダ界で向けられる強烈な感情は、まるで新しい色覚を得たかのような体験だった。


私は、左手に杖を持ち、右手に「濁りのない」光を灯す。


この杖は、私を「実用的な魔術師」にするための道具ではない。

これは、私を「この世界の不条理を証明する観測者」にするためのアンカーだ。


私が使える上位魔法は、この杖という古典的な異物を介することで初めて成り立つ、この世界のシステムへのハックだ。


私は、このアスガルーダ界という、緻密にディテールが構築された美しい世界が持つ、核心的な欠陥を目撃している。それは、最高の素質を持ちながら、それを否定するシステムと、そのシステムに盲目的に従う人々の嫉妬という、二重の不条理だ。


現世で「無」だった私に、この世界は、皮肉にも「証明」という役割を与えた。


この不条理を、私はこの左手の沈黙と、一本のオールドスクールな杖をもって、静かに証明し続けるだろう。それが、史上最糞の人生を送った私に与えられた、唯一の、そして最も純粋な「存在意義」なのかもしれない。


【了】

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