十四歳になる前の証言

猫柳 星

第1話 五年生の教室

失敗すると、今でも泣いてパニックになってしまう。

十四歳になった今も、それは変わらない。


理由ははっきりしている。

五年生のときの担任の先生だ。


僕が何かを間違えるたび、先生は舌打ちをした。

チッ、という短い音。

その一音だけで、胸の奥がきゅっと縮んだ。


「普通の子なら出来るのに」

「あなたのせいで、紙が無駄になった」


怒鳴らなくても、十分だった。

その言葉は、黒板の文字より濃く、頭に残った。


怒るとき、先生は机を叩いた。

バン、と大きな音がして、そのあとで怒鳴り声が落ちてくる。

言葉より先に音が来るから、身体が勝手に固まった。

次は自分が叩かれるんじゃないか、そんなことばかり考えていた。


怒鳴られている最中、泣いたことがある。

すると、先生は言った。


「悲劇のヒロインぶるな」


涙を流すことさえ、許されなかった。


じゃあ泣かなければいいのかと思って、必死にこらえたこともある。

唇を噛んで、俯いて、黙った。


すると今度は、

「反省してないよね?」

そう言われて、もっと怒られた。


泣いてもだめ。

泣かなくてもだめ。

その場所には、正解がなかった。


体調が悪くて、保健室に行った日。

少しだけ楽になって、教室に戻ろうとしたとき、担任の先生が迎えに来た。


先生は僕の隣に来て、何も言わずに肩に手を置いた。

そのまま、一緒に廊下を歩いた。


近かった。

近すぎて、息の仕方がわからなくなった。


先生は笑顔で言った。


「先生、猫柳さんのこと嫌いだから」


声は軽くて、優しそうで、だからこそ怖かった。

怒鳴られるより、机を叩かれるより、その笑顔のほうが、ずっと。


体育を体調不良で休んだ日は、反省文を書かされた。

何を反省すればいいのかわからないまま、

「すみません」を何行も並べた。


数学の授業では、図形を何度も書き直した。

線を引いて、消して、また引く。

「出来てない」

その一言で、紙はまた白に戻る。

消しゴムのカスだけが、机の上に増えていった。


クラス全員で地震のDVDを見たあと、感想文を書いた。

怖かったこと、備えが大事だと思ったこと。

正直に書いたはずだった。


でも返ってきたノートには、

「よくありそうな内容だから書き直して」

そう赤字で書かれていて、僕だけ居残りになった。


それから、ある日、切れたときのためにと思って、髪ゴムを二つ予備として持っていった。

すると先生は言った。


「なんでそんなに持ってくるの?遊びじゃないよね」


次は一本だけにした。

でも、その日に限って、髪を結び直そうとした拍子にゴムがちぎれた。

すると、今度は怒鳴られた。


「なんで予備を持ってこないの?」


昨日と言っていることが違う。

でも、それを口に出したら、もっと怒られるのはわかっていた。

だから、黙った。


クラスの子にキーホルダーを壊されたときも、同じだった。

泣きそうになりながら事情を話すと、先生は言った。


「持ってきた猫柳さんが悪い」


壊した子は何も言われなかった。

悪いのは、壊された僕だった。


クラスには習慣があった。

誕生日の人がいる日は、給食の時間に、みんなで歌を歌って、飲み物で乾杯する。


他の子のときは、必ずやった。

でも、僕の誕生日の日。

先生は僕を見てから言った。


「あー、今日は猫柳さんか……じゃあ、いいや。皆、食べていいよ」


歌も、乾杯も、なかった。

僕の誕生日だけ、なかった。


食中毒で休んだあと、学校に行った日もそうだ。

教室に入るなり、先生は言った。


「猫柳さんが休んだせいで、クラスの子がわざわざ届けに行かないといけなかったんだよ?謝って」


他の子が休んだとき、そんなことは言われなかった。

でも、その違いを指摘することは出来なかった。


何をしても、

何をしなくても、

結局、僕が悪かった。


泣いてもだめで、泣かなくてもだめで、

正しくしようとしても、間違っていると言われる。


だから、助けてって言えなかった。

言えば、また机を叩かれる気がして。

また、笑顔で肩に手を置かれる気がして。


十四歳になった今も、失敗すると涙が出る。

大きな音がすると、身体がびくっとする。

誰も怒っていないのに、頭の中では、机を叩く音と、

「嫌いだから」という声が響く。


それでも、今こうして小説にする理由がある。


これは、あのとき助けてって言えなかった分。

声も、涙も、沈黙も、全部否定された子どもの代わりに、言葉を残すためだ。


これは復讐じゃない。

ただ、確かにそこに、逃げ道のなかった僕がいたという証明。


十四歳の僕は、まだ途中だ。

でも―

もう、完全には元の僕には戻らない

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十四歳になる前の証言 猫柳 星 @NEKO_YANAGI_SEI

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