最終話

 《探偵クラブ》一行が森文吾の住むマンションへ到着したのは、午後七時を回った頃だった。


「遅くに訪問して申し訳ありません。事件のことで森さんに大事なお話があったものですから」


 リビングへと案内された皐月は一行を代表して非礼を詫びた。


「那緒子さんが倒れた話なら絵麻から聞いたよ。神戸あっちは大変だったらしいな」


 森文吾は深刻そうな顔で言った。


「随分と気を病んでいたらしいですね。このまま事件解決が長引けば、また今回のようなことが起きるかもしれません」

「厄介だな」


 皐月は笑った。


「ですが、貴方のご協力があればすぐにでも事件を解決できるかもしれないんです。今日はそのご相談に参りました。こちらの彼がその方法を知っています」


 皐月は隣に立つ昴に目配せした。


「本当か? それなら是非お願いするよ。いい加減仲間内で疑い合うのはうんざりしてるんだ。どんな方法なんだ?」


 森の顔がぱっと明るくなった。


 昴は森の視線を受け止めると、彼に向けて微笑んだ。


「それではお答えしましょう。その方法はですね、貴方が犯人だと告白・・・・・・・・・することです・・・・・・。森文吾さん」


 部屋に凍りついたような空気が漂った。森はしばし呆然としていたが、やがて引き攣ったような笑みを浮かべた。


「俺が? 何かの冗談か? それとも犯人と名乗り出るふりをしろってことか?」

「いいえ、冗談でもなんでもありません。森さんが警察に自首すること。それが最も早い事件の解決方法です」


 昴は感情の籠っていない言葉を放った。


「俺をからかってるのか?」


 昴は向けられた怒りの感情を受け流すと、部屋の中を歩きながら語り始めた。


「貴方はこの東京に住み、陣内さんと親しくしていた。彼は那緒子さんとの秘密の関係を知られないように細心の注意を払っていたつもりでしたが、二人の共通の友人である貴方はとうの昔に見抜いていました。貴方はその秘密を、今回の殺人計画に利用した。

 貴方は二人の関係を、密かに平坂さんへ伝えました。平坂さんは驚愕し、とても信じられなかったでしょう。なんとか事実を確認したいと考えたでしょう。そこで貴方はアイデアを提示した。二人が逢瀬している現場を直接押さえるのだと。

 まず、平坂さんはパーティを開くと言って親しい友人を邸に集めた。集まるのは初めてではないから陣内さんは微塵も疑いません。

 翌日の昼間、貴方の読み通りに陣内さんは温室へ足を運んだ。平坂さんは庭のどこかに身を潜め、温室を監視していました。

 陣内さんが温室へ入っていくのを見届けると、平坂さんは行動を開始した。温室の入口には鍵がかけられている。外からは棚や植木鉢のせいで覗くことはできない。ですが、貴方は予め対策を吹き込んでいた。から温室の中を覗けばいいと」

「上?」


 稔は驚きのあまり上擦った声を出した。


「そう。松の木の上から」


 昴は事もなげに答えた。


「池の傍に立っている松の木は池に向かって斜めに生えている。平坂さんは木を登って、温室の透き通る屋根から中を覗こうとしたんです。平坂さんはスポーツが得意で、大学時代はボルダリングサークルに所属していたので木登りは大して苦ではありませんでした。平坂さんが計画通りに行動したのを確認した貴方は、真の計画を実行に移したのです」


 皐月が叫んだ。


「ああ、そうか! ようやく理解できた。何故凶器にクロスボウを選んだのか。ベランダから狙撃する道具が必要だったからか!」


 “探偵姫”が真実へ至ったことを、昴は心から喜んだ。


「流石皐月さん! そのとおりだよ。森さん、貴方は木の上に立つ平坂さんをベランダから狙撃したんです。平坂さんに矢が刺さり、彼は池の中へ転落した。池は良いカモフラージュになってくれました。過去に起きた溺死事件と悪意ある噂話が印象的なあまり、池と平坂家のタブーに注目が集まった。誰も池の隣に立つ松の木の方が重要だとは思わなかったんです。

 そして、遺体が発見された後、皆が池に集まっているのを確認してから、防犯カメラに映らないように布か何かで隠したクロスボウを外へ持ち出すと、こっそりと温室の脇に放棄した。警察は遺体を調べ、矢の刺さった角度から平坂さんが水平方向から狙撃されたと結論づける。彼が池の傍らに立っている時に誰かが攻撃したと考え、外へ出た人へ疑いを向けた。ずっと邸の中にいた貴方は見事嫌疑から外れたというわけです」

「全部空想だ!」


 森は血相を変えて、唾を飛ばした。

 昴は続けた。


「貴方は巧くやったつもりでしたが、残念ながらそうではなかった。貴方は平坂さんの行動を制御したつもりだった。しかし、彼は二つの勝手な行動に出ました。

 一つ目は、陣内さんと一緒に池の周囲を散歩している時に、過去の溺死事件について語ったことです。彼はその時陣内さんにこう言っています――“俺もそいつの気持ちは正直わかるよ。心底腹の立つ相手がいたら沈めてやりたいと思うことがある”と。これは妻と秘密の関係を持っている陣内さんへ向けた警告でした。尤も、彼には一切伝わらなかったようですが。

 二つ目は、どうしても妻の様子が気になり、陣内さんより先に温室へ行ってしまったことです。彼は行動的な性格だったので、ただじっとして待つのは性に合わなかったんです。計画が台無しになる恐れがあると知りながら、温室を訪ねてしまった。その時、彼は温室の床に落ちていたクレヨンを踏み潰してしまったんです。

 平坂さんがクレヨンを踏み潰したことは、貴方にとって致命的でした。何故ならそのせいで靴底にクレヨンが付着し、あまつさえ木に登った時に枝にもクレヨンが付着してしまったからです。今日兵庫県警が枝を調べ、クレヨンが付着しているのを見つけました。平坂さんが事件当日、松の木に登った証拠です」

「だが、森さんに平坂さんを殺す動機はないんじゃないのか? 平坂さんが死んでも利益はないだろう」


 修平が疑問を述べる。

 昴はにやりと笑った。


「それは違うよ成海。森さんには十分な利益があった。彼は絵麻さんと隠れて交際していたからな」


 皆がはっとした。


「この前、絵麻さんのマンションで会った時の彼女の態度で勘づきました。貴方が絵麻さんとの結婚を考えているなら、平坂さんの死は貴方にとって利益になる。彼と絵麻さんの関係はぎくしゃくしていましたが、財産はちゃんと遺すつもりだった。絵麻さんがパーティに招待されたのを都合が良かったと言ったのは、婚約発表の良い機会になると思ったからです。残念ながらタイミングを見計らっているうちに事件が起きて、言えずじまいでしたが」


 昴は思い出したように付け加えた。


「ああ、それと。親切心から言いますが抵抗するのは止めた方がいいですよ。貴方は平坂さんに負けず素晴らしい肉体をお持ちですが、ここにいる指宿は恐らく貴方よりも腕が立つでしょうから。それに外には警視庁の甲斐かい警部と三崎みさき巡査部長を待機させています。逃げ道はありませんよ」




「今回真相に辿り着いた切っ掛けは何だったのだ?」


 森文吾が警察に連行されるのを見届けた後、皐月は昴に訊ねた。


「使用人の晴江さんの証言を思い出してくれ。彼女は廊下に出た時に、水に何かが勢いよく・・・・落ちる音を聞いたと言っていた。洗濯室は池から離れた位置にあったのに、しっかり届くほど音は大きかった。だから、平坂さんはもっと高い位置から落ちたのだと考えたんだ。現場には松の木が生えていた。平坂さんが木の上から落ちたとすれば、木の上に登る理由は何か? 真っ先に思いついたのは、温室を上から覗くためだ。そこで那緒子さんが誰かと温室で逢瀬していたんじゃないかと疑った。そうして他の話と合わせて考えると、その相手が陣内さんである可能性が高いと考えたんだ」


 皐月は感嘆した。


「見事だ。流石というほかない」

「日向さんが神戸でしっかり仕事をしてくれたからな。彼のことしっかり労ってあげないと」

「そうだな。日向さんには臨時報酬を出すように伝えておこう」

「でも、浩介くんと絵麻さんはなんだか気の毒だね」


 涼は母親の不貞を暴かれた一人息子と、婚約者を失った絵麻のことを想った。


「平坂家はこれから家も会社も大変だ。絵麻さんが立ち直って、うまく支えてくれるのが望ましいかな。樫山さんも今は悩ましいだろうけど、最終的には妹に甘い顔はしないと決断すると思うよ」

「だといいね」

「それにしても凄いじゃないか」


 拓真が興奮気味に言った。


「世間を賑わす事件を解決してみせたんだ。快挙といっていいんじゃないかな」

「昴にとっては当然の結果だ。今は誰にも知られずとも、いつか世間が君の才能を知る日が来るだろう」


 皐月は我が事のように嬉しそうだった。


「俺には過ぎた評価だよ」

「謙遜しないでくれ。君が正しく評価されなければ、将来人に紹介するときに困るからな」


 “将来”という単語に、五人の騎士が反応した。

 

「それは“友人”として紹介するという意味で捉えていいのかな?」


 拓真がそうあってほしいと願うように言った。それに対して、皐月はただ意味深な笑みを浮かべるだけだった。

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平坂邸の大きな池 夏多巽 @natsutatatsumi

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