田舎村動物駅

風見アシラ

第1話

空は高く、青く、ところどころに雲が盛んに形を変えながら流れて行きます。


風が吹くと川べりの草達が囁き合います。


そんな田舎の風景をぼんやりと眺めながら「七年ぶりかぁ…」と呟いてみました。




七年前、私はお父さんの仕事の関係で突然都会へと引っ越すことになり、そこで七年間を過ごしました。


七年もすれば、それなりに都会での生活も身に着くものの、今、こうして故郷の田舎に戻ってみると、やっぱりここが一番だと全身で感じます。


 私は、もう一度ここで暮らすために、都会の高校ではなく、わざわざ小さな田舎の高校に進学する事を決心しました。


 そして今日からは、この長閑な故郷で、おばあちゃんと暮らすことになったのです。




荷物の片づけを終えて縁側でぼーっとしていると畑仕事の格好をしたおばあちゃんが顔を出しました。


「梢(こずえ)ちゃん、畑まで行ってくるからね。梢ちゃんも久しぶりにこの辺の散歩でもしてきたらどうだい。」


 私は「そうする!」と言って勢いよく立ちあがり「いってらっしゃい、おばあちゃん。私も行ってきます!」と元気に叫んで走り出しました。




 懐かしい景色が目の中に飛び込んできます。


古いかやぶき屋根の隣に新しい家が建っていたりして多少昔と変わった所はあるものの、田舎は大方七年前のままで、私の心の奥をじんとさせました。


 私は目的もなく走り続けます。走っていると懐かしい空気が全身に巡るような気がしたのです。


 ふと足元を見ると、一匹の猫が私と競い合うように走っているのに気がつきました。


トラ模様をしたなかなか立派な猫です。


 私は走る速度を落としてみました。するとその猫も速度を落として、私の少しだけ前を走ります。


今度は速度を上げてみました。するとその猫も速度を上げて、やっぱり私の少しだけ前を行くのです。


「君、野良猫?」私が猫に小さく尋ねると、猫はチラッとこっちを見たものの、何も言わずに走り続けます。


 


 そうして一緒に走っているうちに、いつしか私は必死になってその猫を追いかけていました。


 そのうち猫は田んぼの中にある小さな無人駅へ入って行ったかと思うと、丁度今着いたばかりの小さな列車に乗り込みました。私も思わずつられてそれに乗ってしまいました。


 列車はすぐに動き出しました。私が慌てて座ると、猫も私の足元に座りこみました。


 確か、この辺りに駅は一つしか無かったから、これは私が通学に使うことになる列車のはずです。


それにこの一両だけの列車は田舎町を繋ぐだけのもので、行き先もだいたい知れていました。


 周りを見ても、乗客がほとんどいません。


窓の外ではガタンゴトンと景気のいい音を立てながらどこまでも続く田んぼや畑が流れて行きます。


 一つ、二つ、駅を越しても、猫は降りようとしません。気がつけば乗客は私と猫だけになっていました。


 一体どこまで行くんだろう?と不安になり始めた頃、「~駅、~駅です。」とぼやけたアナウンスが聞こえてきました。


それは、聞き覚えの無い駅名でした。


 さっきまでぬいぐるみのようにじっとしていた猫は、突然立ち上がり、さっさと列車を降りて行ってしまいました。


「あっ!ここで降りるの?」


私は慌てて追いかけようとしたものの、まだ乗車賃を払っていないことに気付いて、そこにいた車掌さんにお金を渡しました。それから猫の姿を探すと、もうどこにも見当たりません。


「すみません。」


側にいた人に声を掛けると、優しそうな白ひげのおじいさんが振り返りました。


「今、トラ模様の猫が通りませんでした?」


 おじいさんは柔らかく微笑んで頷きました。


「通ったとも。」そう言った瞬間、おじいさんの顔がさっきの猫に変化しました。


私が驚いて息を飲むと、おじいさんはその顔のまま、「あっちへ走って行ったよ」と駅の出口を指しました。


私が慌てて目を擦ると、おじいさんの顔は元に戻っていました。不思議に思いながらもおじいさんにお礼を言って、走り出しました。


 駅を出ると、さっきの猫は私を待っていたかのように後ろを気にしながらゆっくり歩いていました。


私が追いついたのに気付くと、走り出します。


私も置いて行かれないように、猫のぴったり後ろに付いて走りました。


 流れて行く景色は、いくつか駅を越えたにも関わらず、おばあちゃんの家の周りとあまり変わりがありません。


見渡す限りの田んぼや畑の広がる、のどかな所でした。


 猫は、突然方向を変えて民家の間の、人がギリギリ通れるくらいの細道へ入って行きました。


私もなんとかそれに続きます。


 細道を抜けると、ブランコと滑り台しかない小さな公園がありました。


そこを横切り、再び細道へ入ってしばらく行くと、竹やぶにさしかかりました。


竹やぶの中は草が生い茂っていて見通しが悪く、せっかくここまで来たと言うのに、私はいとも簡単に猫を見失ってしまいました。


 猫を探そうと辺りを見回すと、すぐそばに小さな男の子が立っているのに気付きました。


「何してるの?」


 私が尋ねると、その男の子は私の方をじっと見て、何も言わずに手に持っていた物を私に押しつけました。


見ると、それは兎の耳のついたカチューシャのような物でした。


 不思議に思ってその子の方を見ても、男の子はただ私を見つめています。


 私は遊んでほしいのだと思って、それを頭に付けて兎のようにぴょんと跳ねて見せました。


すると男の子はわずかに頷いて、竹やぶの奥を指差しました。


「トラ猫ならあっちに行ったよ。探しているんでしょう?」


 私は驚いて少年の指した方を見ました。


「どうしてそんなこと…」知ってるの?と続けようとして視線を戻した時には、もうそこに男の子の姿はありませんでした。


 私はわけが分からないまま、言われた方に進んで行きました。


すると、遠くに竹やぶの途切れた所があるのが見えました。


私は、そこに猫がいるような気がして、そこまで走って行きました。


 そこは広場のようになっていて、真ん中に白いテーブルがあります。


そして、そのテーブルを囲んで大勢の人がいるのです。でも、猫の姿はありません。


私は、男の子に騙されたような気がしてきました。


もう諦めて帰ろうかと思っていると、1人の女の子が私に近づいてきました。


 そして、妙なことに気付きました。


その子の頭には、さっき私が男の子にもらったのと同じような耳がついているのです。


他の人の頭にも、よく見ると様々な耳がついています。


 私は自分の頭に触れてみました。ふわふわとした兎耳の感触があります。


「新入りさんね。いらっしゃい。」


 私はわけがわからないまま、その女の子にテーブルまで連れて行かれました。


「新入りさん?」


そう言って犬の耳をつけた少女が立ちあがりました。すると奥から、


「僕が連れて来たんだ」


という声が聞こえてきました。


見ると、猫耳の少年が私を見て悪戯っぽく笑っています。


人の姿をしてはいるものの、その少年は私が追いかけていた猫にそっくりでした。


「あなた、さっきの猫さん?」


「そうさ。ようこそ、動物のお茶会へ。」


 私が呆気に取られていると、他の人達も声を揃えて「ようこそ」と言いました。


「兎さん。君の名前は?」


リス耳の少年にそう聞かれ、「梢です」と小さく答えました。


「梢さん。まぁ、座りなよ。」


席を勧められて、私は猫の隣に腰掛けました。犬耳の少女が紅茶を配ってくれています。


みんなは世間話を始めました。


その内容を聞いていると、どうやらここにいるのは、私以外みんな本物の動物のようです。


縄張り争いや、獲物の仕留め方の話が続きます。


「梢さん。あんたも何か話しなよ」


「えっ…」


そんなこと言われても、私は人間です。縄張り争いなんてしたこともなければ、狩りの仕方も知りません。


 私が困って俯いていると、「その子は恥ずかしがり屋なんだ。もうすばらくすれば話すさ」と言って、猫が目配せをしました。そして、私を庇うように自分の自慢話を始めます。


私はその話を聞きながら、出された紅茶をゆっくり飲みました。

ふと顔を上げた時、向こうから白髪の猫のお爺さんがやって来るのが見えました。


「あっ。」私はそれを見て思わず立ち上がり、頭を下げました。


「駅では、ありがとうございました。」


 そのお爺さんは、駅で私が猫の行方を尋ねた人でした。ただ、駅で会った時は確かに人間に見えたのに、今は頭の上に白髪と同じ色の耳が生えています。




そのお爺さんの後ろから、竹やぶの中で会った少年も現れました。


「さっきの…」私がそう言いかけた時、雑談をしていた皆が2人の存在に気付き、さっと立ちあがって深く頭を下げました。


「おはようございます、長老。」


 私も慌ててそれに合わせます。


「あの人はこの村の長老なんだ。その後ろの子は長老の世話役兼道案内人。耳が無いのは蛇だからだよ。」


 隣の猫が私に耳打ちをしてくれました。




 二人が席につくと、今までの和やかな雰囲気が一転して、場が引き締まりました。


「始めますか、長老。」


 犬の少女がそう言うと、長老は「うむ。」と頷きました。




何が始まるのかと思っていると、隣の猫が突然挙手をしました。


「どうぞ」と長老に言われ、猫は立ち上がりました。


「報告です。私の率いている野良猫集団の中から、三匹が人間に捕まりました。縄張りにしていた所には『こんびに』が出来るそうです。人間の話によると、邪魔になる猫は『処分』するそうです。今、三匹の救出方法を考えています。」


 そう言うと、猫は座りました。


長老は「うむ…」と腕を組みます。


「捕まっている場所を突き止めて助けよう。」


「それだけじゃ、また捕まるわ。そこを壊しちゃおうよ。」


 みんなが様々な意見を出し始めました。




すると、犬が強い口調で言いました。


「みんな、甘いわ!」


 全員の視線が犬の少女に集中します。


「人間に復讐すべきよ。『処分』って、殺されちゃうんでしょ?人間は、私達の命なんてどうなってもいいんだわ。」


 怒ったように言うと、犬は私に「梢ちゃんも、何か言いなさいよ。」と言いました。


「私、私は…」


 私は言葉に詰まりました。


確かに酷い話です。でも私もその酷い人間の一人なのだと思うと、何も言えませんでした。




「あなたも人間に恨みがあるんでしょう?だからここに来たんでしょ?」


 そう言われ、私は驚いて顔を上げました。


「…恨み?」


「そうよ。ここにいるのは、みんな人間に酷いことされた子達なんだから。」


 その言葉にみんなが頷きます。


「言っちゃいなよ。どんな復讐がしたい?」


 優しく言われ、私は泣きそうになってしまいました。


ぐっと下唇を噛みしめ、それから声を絞り出しました。


「ごめんなさい…でも、人間も酷い人ばかりじゃないの。分かって…」


 下を向いていても、みんなの視線を感じます。




「私も、昔飼っていた猫を手放したことがあるの。でもそれは、いらなくなったとかじゃなくて。本当は一緒にいたくて…でも引越し先では飼うことが出来なかったし、元々その子は拾った猫だったから、両親も自然に生活させた方がいいだろう、って…」


 私は、離れたくなかったのに離れてしまった猫のことを思い出し、涙が溢れてきました。


「まだ…あんなに小さかったのに…」


 そう言って涙を腕で拭い、顔を上げてぎょっとしました。


 犬が恐ろしい形相で私を睨んでいたのです。


「人間だったのね…」




 私が思わず目を逸らして「ごめんなさい…」と言った時、突然隣の猫が私の手を取ったかと思うと走り出しました。


「何…?」


「逃げるんだ。聞いただろ?みんな人間を恨んでいる。人間だってばれた以上、あそこにいたら無事には帰れない。」


 そう言いながら猫はスピードを上げて行きます。


 さっきの場所から「追え!」という声が聞こえました。




風が涙の跡を乾かしていきます。


「どうして、私を逃がそうとしてくれるの?」


 走りながらそう聞くと、猫は振り返って一瞬だけ、哀しげに微笑みました。


「気付いてないのか…やっぱり。」


「えっ…?」




 相当のスピードで走っていたらしく、いつの間にか駅まで戻って来ていました。


看板には『動物駅』と書かれてしました。


「さぁ、短い時間だったが、いいかね?」


 後ろから声が聞こえ振り返ると、まるでずっと待っていたかのように長老が立っていました。


「長老…?さっきまで一緒にいたのに…」


 私が驚きの声を上げると、長老は優しく微笑み、私の頭から兎耳を外しました。


「もういいのかね?矢吉。」


「はい」と猫が頷きました。




私はそれを聞いて、心臓が飛び上がるのを感じました。


「矢吉…?矢吉って…」


 それは、紛れもなく私が七年前に飼っていた猫につけた名前でした。

「立派になっただろ?僕。」


 そう言って、矢吉はずずっと鼻をすすりました。


「本当にあの矢吉…?でもどうして…」


「梢は、僕がいらなくなったから捨てたんだと思って、ずっと恨んでた。本当は一緒にいたいと思ってくれていたなんて、知らなかったんだ。ごめん、あんな所に連れて行って…」


「そんな、私の方こそ、突然いなくなってごめんね…」


 私は、また溢れてきた涙を手で拭いました。




それから、真っ直ぐ矢吉と向かい合って握手をし、少し笑い合いました。


「さぁ、もう時間だ。」


 長老に言われて振り向くと、列車が扉を開けて私を待っています。


「矢吉、一緒に行こう。また一緒に暮らそうよ。」


 私がそう言うと、矢吉はもう一度鼻をすすり、俯いて「ありがとう」と言いました。




「でも、行けない。僕はもう立派な野良猫のリーダーなんだ。…たまには、遊びに行くから」


 そう言って笑った矢吉の表情は、私が拾った頃のあの弱々しさは無くて、明るく、どこまでも強いものでした。


だから私もそれ以上は何も言えず、精一杯の笑顔で頷いて見せました。




 頃合いを見計らったかのように列車は動き出しました。


私は小さくなっていく動物駅は、いつまでもいつまでも見送っていました。



こうして、私の田舎村での生活は再び幕を開け、私は大好きな故郷で、おばあちゃんの手作りの新鮮な野菜を食べてのびのびと過ごしました。


 矢吉は、言葉通りたまに遊びに来ては私にちょっかいを出します。




 ただ、何度あの列車に乗っても、動物駅へはもう二度と行けませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

田舎村動物駅 風見アシラ @attima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ