炎上

なご味噌

炎上

 後頭部に硬いものが当たる。同時にガソリンスタンドの臭いがして振り返る。背から火柱が上がる。燃え盛るコートを脱ぎ捨てて、スマホの緊急通報を押す。

「火災ですか? 救急ですか?」

「どっちもだ!」

 それは即売会イベントからの帰路での事件だった。冬の初めの寒い日だった。


 集中治療室から一般病棟に移されてすぐ、計ったようなタイミングで見舞い客が現れた。服も靴も眼鏡も灰色の女だ。

 見覚えがない。殺風景な女だと頭に浮かんだ。

田貫大介タヌキダイスケさんですね」

「他に読み方があるか?」

 ヘッドボードの名札を指し示す。女は顔色ひとつ変えずに胸元からチョコレート色の手帳を取り出して俺に見せつける。

兎坂トサカです。このたびの事件について、お話しを伺えますか」

「嫌だと言ったら?」

田貫タヌキさんはご自身に危害を加えた犯人について知りたいとは思いませんか」

「目星はついてる」

 だが、女は相変わらず無表情のまま。鉄面皮という言葉が相応しい。

「ありえませんね」

「何故言い切れる」

「犯人はあなたの名前も素性も知りません」

 そりゃあそうだ。俺はペンネームで活動している。インターネット上では広く名が知れた作家だが、著書はまだ書店で流通していない。

狐崎コザキコンという名前は知ってるだろ」

「さぁ」

 この能面女は俺を知らないらしい。小説を読む趣味がないのか。

「俺のペンネームだ。犯人が吐いてないか」

「キツネが云々とは言ってましたね」

「じゃあ、犯人は俺を、狐崎コザキコンを知っている奴だ。俺は名が売れている。俺は名の知れぬ有象無象にまで知られている」

「いえ、あなたなら犯人が分かるはずです」

 どういう意味だ。犯人はサークルメンバーだと言う気か? しかし、サークルメンバーは俺の作品を崇めるほどの読者だし、俺自身をも高く評価している。

 女絡みか? 俺に女を奪われたとでも思い込んでる輩なら掃いて捨てる程いるはずだ。

「逆恨みだ。俺に非はない」

「いえ、おありかと」

 そう言って、女はどこからか赤いポリタンクを取り出し、高く掲げる。

「あなたは文化を殺しましたから」

 ポリタンクの蓋が開けられて、頭から液体がかけられる。ガソリンスタンドの臭い。石油だ。こいつ、警察じゃない。

 ナースコールを押す。だが、反応はない。頭上のコンセントに目を遣る。コードが刺さっていない。逃げなくては。そうと分かるが、どうやって。

 まだ火傷のせいで身体が思うように動かせない。病室は地上8階にあると看護士が言っていた。逃げ場はない。

「私はミステリーが好きなので最後にお話ししましょう。私は事務局の者です。あなたに火傷を負わせたのも同じく事務局の者です」

 事務局と聞いて頭に浮かんだのは、あの日開催していたイベントの運営だ。

「あなたは本を焼き、アンチに焼かれたと虚言を吐いて同情を引きました。我々にとって本は生命です。故に我々はあなたを焼き殺さなくてはなりません」

「何故だ! あれは俺自身の本だ!」

「自分の本を燃やして何が悪いとでもお思いでしょう。しかし、本を焼くという行為は文化を滅ぼします。歴史上における禁忌です」

 そう言いながら女は俺が書いた同人誌を懐から取り出してライターで燃やし始めた。

「我々は文化を守ります。あなたを殺してでも」

 燃え盛る本が投げつけられて、俺は火だるまになる。

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炎上 なご味噌 @nagomiso

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