太陽のレガリア
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第一部 忘却の砦
第1話 パリンプセスト ——優しさとの出会い
薄明かりの差し込む狭い物置。テオは手を止めた。
「ここ、何か置いてあった?」
テオは背後でせっせと箒を動かしているカイルに問いかけた。
「さあ。箱か何かじゃないか?」
その答えを聞いて、テオは首を傾げる。
棚の上にあったのは、埃の抜けた四角い跡——不在の痕跡とでも呼ぶべきものだった。
「なあ」と同意を求めるように、カイルはユーリを振り返った。
戸口から差し込む光が、ユーリの明るい髪に淡く滲んだ。
その瞳が一瞬だけ揺れたように、テオには見えた。
*
少年は、草むらで目を覚ました。そこがどこなのかもわからず、ただ真上に浮かぶ太陽に顔を顰めたとき、誰かの気配が近づいてきた。
「おい、大丈夫か」
逆光の中に人影が浮かぶ。栗毛の青年と目が合った。
「お! 起きたか! よかった……。目は見えるか? どこか痛むところは?」
少年が首を横に振ると、青年は柔らかく目を細め、「よかった」と呟いた。
頭の奥に靄がかかったように重い。
「……あなたは……ここは……?」
「俺か? 俺はカイル。お前こそ、どこから来た?」
少年は、カイルの鳶色の瞳に映る自分の姿を見つめる。記憶を手繰ろうとした瞬間、頭の中に黒い霧が押し寄せ、目の奥に鋭い痛みが走った。
「……わからない」
「わからない? 名前も?」
少年は、ゆっくりと頷いた。
「おっと。それは困ったな……。とにかく砦に戻って手当てを受けよう。立てるか? 手を貸すぞ」
カイルは立ち上がり、手を差し伸べた。
少年は戸惑いながらも、その手をとった。掴んだ手は、温かかった。
「昨日の晩は、魔物がやけに騒がしくてさ。襲われたのかと思ったけど……見たところ、怪我はなさそうだ。運がよかったな」
笑いかけるカイルの顔を見ながら、少年は眉を顰めた。
「……魔物?」
「ああ。忘れたのか? それとも知らないのか」
カイルはそれだけ呟くと、歩き出しながら明るい調子で話題を切り替えた。
「それにしても、名前がわからないのは不便だな。何か呼び名がほしいな」
「呼び名……」
「そう。なんでもいいぜ。食いもんでも、動物でも、なんでもな」
少年は、森の奥――そのずっと先を見つめて、ぽつりと呟いた。
「……じゃあ、“テオ”」
不意に言葉を放った少年に、カイルは少し驚いたような顔をしながら、やがて口角を上げた。
「テオ、か。うん、いい名前だな。それじゃあ当面はそれでいこう。よろしくな、テオ」
カイルの笑顔に、テオはようやく、小さく微笑んだ。
森を抜ける道は、ぬかるみと低木の茂みで歩きにくかった。
カイルは何度も振り返っては、テオの歩幅に合わせて歩き、時折冗談を挟んで場を和ませた。
「ほら、もう見えてきた」
坂道を登ると、ぱっと視界が開ける。
その先に現れたのは、灰色の石壁に囲まれた、小さな砦だった。見張り台のような塔が一つ建ち、石の隙間からは雑草が伸びていた。
無言で砦を見上げるテオを気にしたのか、カイルが肩越しに苦笑まじりで言った。
「“忘却の砦”。このあたりの人間は、そう呼んでる」
“忘却”という言葉に、胸の奥がわずかに疼く。
「……どうして“忘却”なんて名前が?」
「戦の名残だよ」
砦に辿り着いたとき、カイルが言った。
「この丘の下に、俺たちの村がある。昔は近くの村の持ち回りで、この砦を守ってたんだけどな。若いのが減ってきてさ。今は俺と、あと何人かが住み込みで見張ってる」
カイルの視線を追って兵舎の方を見やると、その奥に洗濯物を干す人影があった。
「おーい、ユーリ!」
カイルが声を上げると、その人影が振り返る。
明るい髪の、大人しそうな少年だった。彼は少し戸惑いながらも、遠目にカイルとテオを見比べていた。
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