太陽のレガリア

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第一部 忘却の砦

第1話 パリンプセスト ——優しさとの出会い

 薄明かりの差し込む狭い物置。テオは手を止めた。


「ここ、何か置いてあった?」


テオは背後でせっせと箒を動かしているカイルに問いかけた。


「さあ。箱か何かじゃないか?」


その答えを聞いて、テオは首を傾げる。

棚の上にあったのは、埃の抜けた四角い跡——不在の痕跡とでも呼ぶべきものだった。


「なあ」と同意を求めるように、カイルはユーリを振り返った。

戸口から差し込む光が、ユーリの明るい髪に淡く滲んだ。

その瞳が一瞬だけ揺れたように、テオには見えた。



 少年は、草むらで目を覚ました。そこがどこなのかもわからず、ただ真上に浮かぶ太陽に顔を顰めたとき、誰かの気配が近づいてきた。


「おい、大丈夫か」


逆光の中に人影が浮かぶ。栗毛の青年と目が合った。


「お! 起きたか! よかった……。目は見えるか? どこか痛むところは?」


少年が首を横に振ると、青年は柔らかく目を細め、「よかった」と呟いた。

頭の奥に靄がかかったように重い。


「……あなたは……ここは……?」

「俺か? 俺はカイル。お前こそ、どこから来た?」


少年は、カイルの鳶色の瞳に映る自分の姿を見つめる。記憶を手繰ろうとした瞬間、頭の中に黒い霧が押し寄せ、目の奥に鋭い痛みが走った。


「……わからない」

「わからない? 名前も?」


少年は、ゆっくりと頷いた。


「おっと。それは困ったな……。とにかく砦に戻って手当てを受けよう。立てるか? 手を貸すぞ」


カイルは立ち上がり、手を差し伸べた。

少年は戸惑いながらも、その手をとった。掴んだ手は、温かかった。


 「昨日の晩は、魔物がやけに騒がしくてさ。襲われたのかと思ったけど……見たところ、怪我はなさそうだ。運がよかったな」


笑いかけるカイルの顔を見ながら、少年は眉を顰めた。


「……魔物?」

「ああ。忘れたのか? それとも知らないのか」


カイルはそれだけ呟くと、歩き出しながら明るい調子で話題を切り替えた。


「それにしても、名前がわからないのは不便だな。何か呼び名がほしいな」

「呼び名……」

「そう。なんでもいいぜ。食いもんでも、動物でも、なんでもな」


少年は、森の奥――そのずっと先を見つめて、ぽつりと呟いた。


「……じゃあ、“テオ”」


不意に言葉を放った少年に、カイルは少し驚いたような顔をしながら、やがて口角を上げた。


「テオ、か。うん、いい名前だな。それじゃあ当面はそれでいこう。よろしくな、テオ」


カイルの笑顔に、テオはようやく、小さく微笑んだ。


 森を抜ける道は、ぬかるみと低木の茂みで歩きにくかった。

カイルは何度も振り返っては、テオの歩幅に合わせて歩き、時折冗談を挟んで場を和ませた。


「ほら、もう見えてきた」


坂道を登ると、ぱっと視界が開ける。

その先に現れたのは、灰色の石壁に囲まれた、小さな砦だった。見張り台のような塔が一つ建ち、石の隙間からは雑草が伸びていた。

無言で砦を見上げるテオを気にしたのか、カイルが肩越しに苦笑まじりで言った。


「“忘却の砦”。このあたりの人間は、そう呼んでる」


“忘却”という言葉に、胸の奥がわずかに疼く。


「……どうして“忘却”なんて名前が?」


「戦の名残だよ」



 砦に辿り着いたとき、カイルが言った。


「この丘の下に、俺たちの村がある。昔は近くの村の持ち回りで、この砦を守ってたんだけどな。若いのが減ってきてさ。今は俺と、あと何人かが住み込みで見張ってる」


カイルの視線を追って兵舎の方を見やると、その奥に洗濯物を干す人影があった。


「おーい、ユーリ!」


カイルが声を上げると、その人影が振り返る。

明るい髪の、大人しそうな少年だった。彼は少し戸惑いながらも、遠目にカイルとテオを見比べていた。

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