第二章 其ノ五話 鏡の殿の試練
無刄の試練
無刄は、炎の中に立っていた。
「兄さま! 兄さま!」
妹の声が響く。
「助けて! 熱い! 苦しい!」
無刄は走る。
だが、どれだけ走っても、妹に辿り着けない。
「兄さま! どうして! どうして助けてくれないの!」
「待て! 今行く!」
無刄が叫ぶ。
だが、声は届かない。
炎がどんどん大きくなる。
妹の姿が、炎の中で揺れる。
「兄さま……痛いよ……苦しいよ……」
「やめろ! やめてくれ!」
無刄が膝をつく。
何度も、何度もーーその光景が襲いかかった。
頭を抱え、絶叫する。
「俺が……弱かったから……!」
炎が無刄を包み始める。
「熱さが肌を焼く」
「喉が焼けるように苦しい」
息ができない。
(……ここで終わるのか)
(俺は……何も守れないまま……)
妹の声が遠ざかる。
そして、静寂。
無刄は、暗闇の中にひとり取り残された。
「……妹よ」
無刄が呟く。
「すまなかった……」
涙が頬を伝う。
「俺は……お前を守れなかった」
だが――
その時、幼い妹の声が聞こえた。
『兄さま……泣かないで』
「……!」
『兄さまは、いつも優しかった』
『兄さまは、いつも私を守ろうとしてくれた』
『だから……』
妹の姿が、光の中に現れた。
『だから、もう泣かないで』
『兄さまには、笑っていて欲しい』
妹が微笑む。
『私の分まで、生きて』
『大好きだよ…』
無刄の目から、涙が溢れた。
「……」
無刄が立ち上がる。
刀の柄を握る手に、力が宿った。
「……お前の言う通りだ」
無刄が顔を上げる。
「俺は、もう自分から逃げない」
「俺は、お前の分まで生きる!」
刀を抜く。
「俺は、仲間を守る!」
炎を斬り裂いた。
光が吹き上がり、炎を鎮める双刃・紅蓮刃ぐれんじんが現れた。
紗江の試練
紗江は、暗い教会の中に立っていた。
――ここは、かつて孤児として過ごした、あの場所。
誰もいない。
ただ、自分だけ。
窓の外には雨。
冷たい石の床、古びた木の椅子。
紗江は小さな机の前に座っていた。
「……誰か」
紗江が呟く。
「誰か……いませんか」
答えはない。
ただ、雨音だけが響く。
紗江は紙に絵を描き始めた。
ワンピース、花柄、レース。
でも、描いても描いても、誰も見てくれない。
「……私の絵、誰も見てくれない」
涙がこぼれる。
「私が作った服、誰も着てくれない」
「私……いらない子なのかな」
声が震える。
「誰も、私のこと見てくれない」
「誰も、私のこと必要としてくれない」
紗江は紙を握りつぶした。
「だったら……私、生きている意味……」
その時――
雨音が止んだ。
扉が、ゆっくりと開く。
「紗江」
葵の声。
「紗江、どこだ」
蓮の声。
「紗江様!」
お蘭の声。
「紗江!」
隼人の声。
「紗江殿!」
蒼馬の声。
「紗江……」
無刄の声。
皆の声が響く。
紗江は顔を上げた。
「……みんな」
扉の向こうに、光が差し込む。
葵が手を伸ばしている。
「紗江、こちらへ来い」
「でも……私……」
「お前は、ひとりじゃない」
葵が微笑む。
「俺たちがいる」
「俺たちは、お前を必要としている」
蓮が笑う。
「紗江様がいなければ、私たちは家族ではありません」
お蘭が優しく言う。
「紗江! 俺たち、ずっと一緒だよ!」
隼人が叫ぶ。
紗江の目から、涙が溢れた。
「……みんな」
紗江が立ち上がる。
「私……ひとりじゃない」
扉に向かって走る。
「みんなが、いてくれる!」
光が紗江を包み――心を映す鏡・瑠璃天糸鏡るりてんしきょうが手の中に現れた。
お蘭の試練
お蘭の記憶の扉が開く。
その途端、記憶が鮮やかに蘇った――
お蘭は目を塞ぎ、小刻みに震え出した……。
荒れた小屋の中。
震える手で泣きながら着物を押さえる。
里の頭に手篭めにされ、逃げ出してきた。
外は吹雪。
身体が、冷たい。
食べるものもない。
着物は破れ、肌が見えている。
「もう……」
お蘭が呟く。
「もう……終わりでいい」
膝を抱え、目を閉じる。
雪が、小屋の中に舞い込んでくる。
冷たい。
痛い。
(……誰も、助けに来ない)
(…私が穢れてしまったから)
(だったら……)
(ここで、終わりにしよう)
意識が遠のく。
その時――
扉が勢いよく開いた。
「まだ終わりではない」
葵が立っていた。
雪の中、黒い着物が風になびく。
「俺の側に来い」
葵が手を伸ばす。
「生きることを、諦めるな」
お蘭は泣いた。
「でも……私は……穢れた身体……」
「関係ない」
葵が一歩近づく。
「お前は、生きる価値がある」
「お前は、強い」
「お前は、美しい」
葵がお蘭の手を取った。
「だから、立て」
お蘭は震える手で、葵の手を握り返した。
「……葵様」
涙が止まらない。
「私は……あなた様に救われました」
「私は……あなた様がいたから、生きられました」
「だから……」
お蘭が立ち上がる。
「私は、もう逃げません」
「私は、葵様を守ります!」
光が吹き上がり、月影の簪・橙月華とうげっかが現れた。
葵の試練
葵は、暗闇の中に立っていた。
無数の声が響く。
「お前は時の外れ者」
「存在してはならぬ」
「消えろ」
「消えろ」
「死ね」
声が四方八方から襲いかかる。
葵は刀を抜いた。
「……黙れ」
声に向かって叫ぶ。
「俺は、消えない!」
だが、声は止まらない。
「お前は何者だ」
「お前はどこから来た」
「お前は何のために生まれた」
「……分からない」
「……分からない」
「……分からない」
葵が膝をつく。
「俺は……何者なんだ」
「俺は……なぜここにいる」
暗闇が、葵を飲み込もうとする。
(……もう、終わりか)
その時――
紗江の声が聞こえた。
『葵様』
「……紗江?」
『葵様は、葵様です』
紗江の姿が、光の中に現れる。
『何者でも、どこから来ても、関係ありません』
『葵様は、私の大切な人です』
蒼馬の声が重なる。
『殿は、我らの主です』
蓮の声。
『葵様は、俺たちの家族だ』
隼人の声。
『葵様! ずっと一緒にいたい!』
お蘭の声。
『葵様……私は、あなた様がいたから生きられました』
無刄の声。
『葵様……俺の居場所をくれた』
葵の目から、涙が溢れた。
「……みんな」
葵が立ち上がる。
刀を構える。
「俺は……俺だ!」
「俺には、家族がいる!」
「俺には、守るべき者がいる!」
「だから…俺は、生きる!」
刀を振るう。
闇が、音を立てて裂ける。
光が吹き上がり、時を断つ刀・紫皇刀しこうとうが現れた。
蒼馬の試練
蒼馬は、雨の中に立っていた。
目の前で、母が倒れている。
傷口から大量の血が流れる。
「母上!」
蒼馬が駆け寄るが、身体が動かない。
足が、地面に縫い付けられたように動かない。
「どうして……どうして動けない!」
母の手が、蒼馬に向かって伸びている。
「蒼馬……」
母の声が、か細く響く。
「助けて……」
「今行く! 今行くから!」
蒼馬が叫ぶ。
だが、身体は動かない。
母の姿が、雨の中で消えていく。
「母上ぁぁぁっ!」
蒼馬が絶叫する。
「俺は……弱い」
蒼馬が膝をつく。
「俺は……何もできない」
「俺は……誰も守れない」
雨が容赦なく蒼馬を打つ。
(……俺は、弱い)
(だから……)
(ここで終わりだ)
だが――
その時、蒼馬は思い出した。
今の自分を。
葵を守ってきた自分を。
紗江を守ってきた自分を。
仲間を守ってきた自分を。
「……いや」
蒼馬が顔を上げる。
「俺は、もう弱くない」
立ち上がる。
「俺は、強くなった!」
「俺は、仲間を守ってきた!」
「俺は、もう母上を守れなかった弱い子どもじゃない!」
槍を構える。
「俺は、蒼馬だ!」
叫びとともに雷が落ち、雷鳴の槍・黄雷槍こうらいそうが現れた。
蓮の試練
蓮は、燃えさかる小屋の前に立っていた。
子どもたちの叫び声が響く。
「助けてー!」
「熱いよ!」
「…苦しいよ!」
蓮は走る。
だが、炎が道を塞ぐ。
「くそ……!」
蓮が拳を握る。
炎を突破しようとするが、熱さで弾かれる。
「また……また俺は……!」
涙がこぼれる。
「また、誰も守れないのか!」
子どもたちの声が、どんどん弱くなる。
やがて、静寂。
蓮は、灰の中にひとり立っていた。
「……俺のせいだ」
蓮が呟く。
「俺が弱いから……」
「俺が……」
膝をつく。
「俺は……優しさを捨てた」
「誰も信じないと決めた」
「だから……」
「だから……」
涙が、止まらなかった。
その時――
蒼馬の声が響いた。
『蓮』
「……蒼馬?」
『お前は、誰よりも優しい男だ』
蒼馬の姿が現れる。
『お前は、仲間を守ってきた』
葵の声が重なる。
『蓮は、俺たちの大切な仲間だ』
紗江の声。
『蓮、あなたはいつも私を守ってくれた』
隼人の声。
『蓮! お前がいたから、俺たちは笑えたんだ!』
蓮の目が見開かれる。
「……みんな」
蓮が顔を上げた。
「……そうだ」
立ち上がる。
「俺には、守るべき仲間がいる」
扇を構える。
「俺は、もう逃げない!」
「俺は、優しさを取り戻す!」
水面を渡る風が吹き、水を操る扇・翠水扇すいすいせんが光り輝いた。
隼人の試練
隼人は、雨の中に立っていた。
目の前に、かつての仲間たちが立っている。
「悪いな、隼人」
仲間の一人が笑う。
「お前だけ犠牲になってくれ」
刀が向けられる。
隼人は動けなかった。
(また……また裏切られるのか)
刀が、隼人の足に突き刺さる。
痛い。
苦しい。
「どうして…置いて行かないで…」
隼人が呟く。
「どうして、俺ばかり……」
血が、地に滲んでいく。
意識が遠のく。
(……もう、誰も信じない)
(誰も……)
その時――
無刄の声が響いた。
『隼人』
「……無刄?」
『お前の刃は、孤独のためじゃない』
無刄の姿が現れる。
『仲間を守るために振るえばいい』
葵の声が重なる。
『隼人は、俺たちの大切な仲間だ』
蒼馬の声。
『隼人、お前がいたから、俺たちは戦えた』
蓮の声。
『隼人! お前は俺たちの大事な弟分だろ!』
紗江の声。
『隼人、あなたはいつも明るくて、優しくて……私たちを笑顔にしてくれた』
隼人の目から、涙がこぼれた。
「……みんな」
隼人が顔を上げる。
「……俺には、信じられる仲間がいる」
立ち上がる。
「俺は、もう裏切られない!」
「俺には、家族がいる!」
鎖を構える。
「俺は、もう孤独じゃない!」
風の鎖・碧風鎖へきふうさが現れ、かつての仲間たちの幻影を打ち砕いた。
試練の終わりーー
霧が晴れた。
七人が、再び集まっていた。
全員、汗を流し、息を切らしている。
服は破れ、傷だらけ。
だが、その目には――強い光があった。
「……みんな」
紗江が呟く。
「無事で……よかった」
涙がこぼれる。
葵が紗江の肩に手を置いた。
「ああ。みんな、無事だ」
蒼馬が笑う。
「辛い試練でした」
蓮が頷く。
「でも、乗り越えられた」
隼人が拳を突き上げる。
「俺たち……もう、家族みたいだな!」
無刄が静かに微笑んだ。
「……ああ。」
お蘭が涙を拭う。
「皆様がいたから……私は戻ってこれました」
郷主、霞王の声が響く。
「互いの痛みを知り、赦し合う者たちよ」
霞王が杖を突く。
「神は汝らを認め、虹輝の神器こうきのしんきが現れた。」
ーー虹輝の神器(七つ)ーー
•無刄:炎を鎮める双刃・紅蓮刃ぐれんじん 【赤】
•お蘭:月影の簪・橙月華とうげっか 【橙】
•蒼馬:雷鳴の槍・黄雷槍こうらいそう 【黄】
•蓮:水を操る扇・翠水扇すいすいせん 【緑】
•隼人:風の鎖・碧風鎖へきふうさ 【青】
•紗江:心を映す鏡・瑠璃天糸鏡るりてんしきょう 【藍】
•葵:時を断つ刀・紫皇刀しこうとう 【紫】
「神器の力は、汝らの絆によりて目覚める」
光が、七人を包んだ。
紗江「これで……もう、幻にも負けないね」
葵「ああ。俺たちの心が一つなら、どんな闇も斬り払える」
霧が晴れ、鳥の声が戻ってきた。
七人は再び歩き出す。
彼らの絆は、もはや運命すらも縛れぬほど強く――。
郷の入り口で、清之助が待っていた。
一日が過ぎ、また一日が過ぎた。
霞王は「案ずるな。試練は人それぞれ時の流れが違う」と言ったが、
清之助の不安は募るばかりだった。
そして三日目の朝――
ついに七人の姿が霧の中から現れた。
七人の姿を見つけた瞬間、清之助は駆け寄る。
「紗江殿! 皆様!」
紗江が笑顔で手を振る。
「清之助様! ただいま戻りました!」
清之助は安堵の表情を浮かべた。
「……よかった。本当に、よかった。三日も戻らず、心配いたしました」
「待っていてくれたのか」
「はい。皆様のご無事を祈っておりました」
葵は小さく頷いた。
「……礼を言う」
一行は、再び旅立つ。
江戸へ。
そして――新たな戦いへ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます