第二章 其ノ一 桜の余韻と越後屋の目算
芝居小屋での華やかなファッションショーが幕を閉じた。
舞台に撒かれた桜吹雪がまだ空に漂い、観客は口々に感嘆の声を漏らしていた。
「見事だったなぁ……!」
「ねえ、あの着物、頼めるのかしら?」
まだ拍手が鳴り止まず、熱気に包まれたままの中村座。
その隅で、腕を組んで黙り込んでいる一団がいた。
江戸でも名の知れた大棚の若旦那衆。
呉服屋・越後屋の清之助を筆頭に、商いに目ざとい連中である。
「女の考えた洒落など、一時の流行にすぎぬと思っていたが……」
「そうそう、江戸の粋には合わぬ、と決めつけていたんだがねぇ……」
彼らはこの夜、舞台を台無しにしてやろうと企んで集まっていた。だが、目の前の光景に心を揺さぶられ、思わず言葉を失っていた。
清之助は腕をほどき、鋭い目を光らせた。
「……皆さん、急ぎましょう」
「え?どこへ急ぐというんで?」
「決まっているじゃありませんか。紗江様のところですよ!」
若旦那衆が顔を見合わせる。清之助は続けた。
「夕霧太夫が身につければ、町娘は必ず欲しがる。
団十郎様が褒めれば、旦那衆は奥方に買い与える。
――これは流行ります。いや、儲かりますぞ!」
はっとした旦那衆はすぐに真剣な顔つきへと変わり、頷き合った。
清之助は誰よりも早く紗江のもとへ駆け寄り、深々と頭を下げた。
「私、日本橋の越後屋でございます。
紗江様、いや、紗江殿!先ほどのファッションショー、まことに見事でございました」
息を整えて続ける。
「ぜひとも!当店にてあなた様のお品を扱わせていただきとう存じます!」
突然の申し出に紗江は目を丸くしたが、やがて柔らかな微笑みを浮かべた。
「越後屋さんですか。
こちらこそ、お願いしたいです。実は小さな袋物やお財布、バッグなど、着物以外の小物も始めるのですが、置いていただけるお店はないかと思っておりました」
清之助の目が輝いた。
「桜の花弁を織り出した縮緬の巾着や、金糸で鳥をあしらった財布などがありますが、そちらも並べていただけますでしょうか」
「な、なんと……!」
清之助は息を呑み、そして次の瞬間、目を輝かせた。
「先ほどの舞台で拝見いたしました、 庶民にも手が届くお品……着物は買えぬ娘でも、これなら手に取れます。これは……江戸中に広がります!」
口では商いの算段を並べながらも、清之助の胸の奥では別の思いが芽吹いていた。
ーーこんなにも江戸の空気を変えてしまう才を持つ女がいるとは。その姿に、一瞬、桜吹雪の残り香までが重なって見えた。
芝居小屋を出る帰り道。
他の若旦那衆が肩を揺らして笑った。
「さすがは越後屋さん、手のひら返しがお早い!」
清之助はにやりと笑う。
「褒め言葉としていただいておきましょう」
笑い声が、江戸の夜に響き渡る。
そしてーー新しい商いの風が、確かに吹き始めていた。
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