畦道

小狸

掌編

 通学路は、あぜみちを通っていた。


 両面を田圃たんぼに囲まれ、夏は緑、秋は肌色に近い黄色であった。


 より正確な表現を目指すのなら、畦道とは呼べないのだろう――恐らく世間的に想像される幅よりも十分に広い、少なくとも小学生が普通に歩いていて田圃に落下することがない程度の、ただの道、であった。


 今はもうそうされて道幅が随分広くなったけれど、私が小学校の頃は、まだアスファルトもない砂利じゃり道だった。


 団地と団地を繋ぐ道の一つとして、その畦道はった。


 幼い頃、母と散歩していて、何度か転んで膝をりむいて泣いたのが、記憶の片隅に思い起こされる。


 行きも帰りも、小学校時代はその道を通っていた。


 中学からは、部活で帰りが遅くなったのと、自転車通学になったので、別の道を使うことになった。高校は駅の方向――つまり、田圃とは逆の方向なので、必然的にその畦道を利用することはなくなった。


 独り、であった。


 当時は、友達を作るのが下手だったのである。


 いや、今もか。


 帰り道、空想をするのが好きだった。


 徒競走で一番になり、運動会に貢献する私。


 絵で賞をもらい、朝会で皆の前で表彰される私。


 クラスに入ってきた悪い奴を倒し、英雄になる私。


 空想の中心は、いつも私だった。


 そうしている間は、どんな重いランドセルでも、少しだけ軽くなるような心地がした。


 学校は、嫌いではないけれど、好きでもなかった。


 勉強する場所、集団行動を学ぶ場所、社会を知る場所。


 大人たちは学校に色々と意味を与えがちだけれど。


 小学生の、空想が盛んだった頃の私にとっては、結構、どうでも良い場所だった。


 空想の世界は、やがて本に行き着いた。


 3年生頃から、私は本ばかり読むようになった。


 休み時間は、図書室にこもるようになった。


 幸いなことに、いじめられることはなかった。


 私が女子のコミュニティに属していないせいで知らなかっただけかもしれないけれど、少なくともいじめられやすそうな記号は、有していたと思う。れいの今だったら、どうだろう。多様性という言葉だけが先行した現在だと、逆に私のような存在は目立ち、いじめの対象になっていたかもしれない。


 まあ、私のに、皆気付いていたのだろうと思う。


 空想の空は、空虚の空なのだ。


 空っぽなのだ。


 小学生の、ある夏の日のことである。


 その日は、学活の時間に、将来の夢について考えた。プリントに書き、そのために今何ができるかを考えるという、今考えると結構高度なことをしていたように思う。


 私は、何も思い浮かばなかったので、空欄のままで提出してしまった。


 ふと。


 私みたいな子は、将来何になるのだろう。


 何になれるのだろう。


 じゃり、と。


 畦道を歩きながら、そう考えたのを、覚えている。


 ずっと小学生が続くわけがない。6年生の次は、中学1年生である。私の住む地区は、小学校の隣に中学校があるので、そこまで大移動というわけではないけれど、取り敢えず卒業はする、のだろう。中学生になると、制服がある。部活も、ある。その次は高校で、その次は大学で、その次は――。大人――には、なるのだろうが、その上で、何かになるのである。


 何に。


 空っぽな私には、何ができるのだろう、と。


 素直にそう思った。


 決して、負の感情を含んではいなかった、と、付け加えておく。


 そして私は、気付いた。


 ともすれば、自分に何ができるのか――それを探すことが、「人生」というものなのではないか、と。


 達観しているように思えるかもしれないけれど、私は適当で幼稚な人間である。「人生」という言葉だって、学活の時に先生が言っていたから連想できたものだ。


 何になりたいというわけでも、何がしたいというわけでも、何でありたいというわけでもないけれど。


 私は、私に何ができるかを、これから探していくことができるのだ。


 私には、これからがあるのだ。


 それは――何だか。


 楽しみかもしれない、と。


 そう思って、思わず笑みがこぼれた。


 畦道が終わり、舗装された道路が見えた。


 家までは、あと少しである。


 少しだけ歩いて、境界のところまで行った。


 この先、もう、あしもとには砂利はなく、整地されている。


 新しい世界である。


 私は一歩を、踏み出した。


 それは、私にとっても人類にとっても、どんな歴史書にも決して記載されることなど絶対にない、小さな小さな一歩だったけれど。


 今は無き畦道を思い起こすたびに、この時の私のこころもちが、自然と浮き上がる。


 あの頃の私に、何か伝えたいことがあるとするのなら。


 私は空っぽではなかった――という、ただそれだけである。


 あの畦道が、私に教えてくれた。


 小さな砂粒でも、つらなればいつか、それは道になる。




(「あぜみち」――了)

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畦道 小狸 @segen_gen

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