二章 異世界開拓です!

 濛々もうもうたる蒸気を吹きあげて走る蒸気機関車はすでに時代遅れ。鉄の線路の上を走るのは、よりスマートな電気仕掛けの列車。

 町を見れば伝統的な建築物が徐々に取り壊され、そのかわりに西洋式のビルがポツポツと立ち並びはじめている。

 石で舗装された道路の上を走るのは馬車に人力車。茶色い毛に包まれた大型のウマたちがひづめの音を立てて石畳の上を行き来し、威勢のいい車夫たちが『ほっほっ』と、軽快な呼吸音を響かせながら人を乗せた車を引っ張っている。

 世はまさに文明開化。

 古い時代の皮を脱ぎすて、すべてが新しく、より便利に、より豊かになろうとしている時代。

 時代はかわる。

 自分たちがかえる!

 そんな期待と野心にあふれ、誰もがなにかの仕事をもって町中を動き、いそがしく立ち働いている。

 そんな、野蛮なほどの活気と喧噪けんそう、そして、おそらくは少なからぬ犯罪と悪徳の匂いに包まれた時代。

 その時代の空気にあてられて、ひときわ活況を呈している場所がある。

 それが、異世界開拓事務所。

 異世界での開拓作業に参加しようという命知らずたちの集まる場所。

 そして、あおいの姿もまた、秋津あきつくに中に設立された事務所のひとつにあった。

 応募窓口の前に立ち、いままでどおりのいかにも『マダム』という風情の西洋式ドレスをまとい、ニコニコと笑顔を浮かべて係員に対面している。

 係員はと言えば、そんなあおいを前に困惑しきり。

 いや、もちろん、異世界開拓に参加しようなどという物好きはいくらいても困ることはない。それぐらい、死亡率の高い危険な事業であることはわかっている。

 お上からも、

 「グズグズしていれば列強に後れをとる! 異世界の資源を独占されてしまうぞ! 猫でも杓子しゃくしでもなんでもいいから送り込み、我が国の領土を広げよ!」

 と、厳命されている。

 それを思えば、誰が来ようが問題ではない。

 さっさと提出された書類に判を押し、異世界行きの船に乗り込ませてしまえばよい。

 それで、係員としての仕事はおしまい。

 その後、参加者がどうなろうと自分たちの責任ではない。とはいえ――。

 さすがに、目の前でニコニコと柔和な笑顔を浮かべる品の良い貴婦人を前にしては、そう割りきってもいられない。

 「あのですね、マダム」

 「はい」

 ほがらかに返事をするその態度。やはり、自分のやろうとしていることがわかっていないとしか思えない。

 そんな脳天気な態度に係員は頭を抱えたくなった。

 「異世界開拓に参加したいというそのお気持ちは、大変ありがたいのですが……なにぶん、この船はまったくの未開地での拠点作りが任務でしてね。他の参加者は皆、若い男ばかりなのですよ」

 「はい。わかってます」

 だから、応募したんです。

 あおいは『この人、頭だいじょうぶなのか?』と疑われそうなぐらい邪気のない笑顔でそう言ってのけた。

 「拠点作りと言っても要塞を作りに行くわけではないでしょう。町を作りに行くんでしょう。だったら、女性が過ごしやすい町を作れるよう、最初の段階から一般女性が参加しているべきです」

 なにしろ、子を産む女性が定着してくれなければ、町を発展させていくことなんてできないんですからね。

 『ふんぬ!』とばかりに、三人の子どもを生み、育てたという自負を吹きだして、鼻息荒く言ってのける。

 係員はなおさら頭を抱えたくなったが、もとより、一係員に参加希望を取りさげる権利などない。繰り返すが、お上の姿勢は『猫でも杓子しゃくしでもいいから送り込め!』なのだ。それに――。

 ――まあ、言っていることはもっともだしな。

 結局――。

 係員は参加希望の書類を受理したのだった。


 こうしてあおいは、異世界開拓におもむく船に乗り込んだ。

 いつものマダムらしいドレス姿のまま船の舳先へさきに立ち、異世界へと向かう風をその身いっぱいに浴びている。

 「う~ん、気持ちいい! やっぱり、旅立ちっていいものだわあ」

 満面の笑顔を浮かべて両腕を広げ、かていからとびたした自由を満喫している。しかし――。

 あおいが浴びているのは異世界の風だけではない。

 同胞たちの視線も、である。

 この船に乗り込んでいる開拓民は三〇人。そのすべてが二〇代の若くて精力をもてあましている男。そのなかにたったひとり――四二歳のマダムとはいえ――女がいるのだ。

 注目を浴びないわけがない。

 ジロジロと無遠慮な視線が、胸やら尻やらにそそがれている。

 しかし、あおいはすでに一〇代の小娘ではない。三人の子どもを生み、育てた母である。

 壮絶な育児体験のなかで、人目を気にする繊細さなどとうの昔にすり切れ果てている。男たちの視線などどこ吹く風と受け流し、旅立ち気分を満喫している。

 「ちっ」

 すぐ後ろで舌打ちの音がした。

 大きくはないが距離は近い。聞かせるための舌打ちであることは明らかだった。

 「あら、こんにちは」

 あおいは振り向き、ニッコリと微笑んだ。

 そこに立っていたのは、まだほんの少年と言ってもいいような幼さを残した風貌の持ち主。この事業に参加していると言うことは二十歳はたちは超えているはずだが、外見的にはまだまだ一〇代の少年。

 たしか、参加者中最年少の流川ながれがわ正吾しょうごという若者だったはずだ。

 正吾しょうご半身はんみに構えて顔をそらし、横目であおいをにらんでいる。その視線ときたらよく言って、

 ――ウザい。

 ――邪魔だ。

 ――なんで、いるんだ。

 というお気持ち表明。

 その視線を浴びたあおいは――。

 大いに親近感をもった。

 なにしろ、正吾しょうごが自分を見る視線、態度、すべてが反抗期の子どもたちの態度そっくりだったので。

 正吾しょうごは、そんなふうに思われていることなど知るよしもなく、いかにも少年っぽい反抗的な口調で言った。

 「……女が参加するっていうから期待してたのによ。こんなババアかよ。とんだ期待外れだぜ」

 その言葉に――。

 あおいは腹を抱えて笑いはじめた。

 「な、なにが、おかしいんだよ⁉」

 「だ、だって、あなたのその態度……反抗期の、うちの子どもたちそっくりなんだもの」

 「なっ……!」

 身をよじって笑いながら、にじんだ涙を指で拭いつつそう言うあおいに、正吾しょうごは思わず絶句した。

 「一〇代の娘の頃は、二〇代の男性って怖いぐらいおとなに見えていたものだけど……こうしてみると、まだまだ一〇代の男の子とかわらないのね」

 『良い子、良い子』と頭をナデナデ。

 正吾しょうごは思わず真っ赤になって、あおいの手を払いのける。

 「頭をなでるな!」

 そう叫んで足音高く去っていく。

 その後ろ姿を見送って、あおいは両手を腰につけて胸をそらし『あっはっはっ!』と、爽快な笑い声をあげたのだった。

 「困りますね、マダム。大事な隊員をからかわれては」

 そう言いながらやってきたのは団長の糸魚川いといがわ赤座あかざ。隙のない軍服姿に制帽、マント。腰にはサーベル。

 いかにも『生真面目なエリート軍人』という雰囲気だが、現役軍人ではない。

 若くして頭角を表わした軍部の期待の星だったのだが、

 「列強諸国に先んじて異世界の資源を手に入れるのだ!」

 という政府からの檄に共感。退役し、今回の開拓団の団長におさまった。

 「あおいどの。自分からも一言、言わせていただく」

 赤座あかざはそう切り出した。

 女性、それも、自分よりもひとまわり以上、歳上の相手とあって礼儀は守っている。それでも、その視線も、口調も厳しいもので、甘くする気は微塵みじんもないことを示している。

 「あなたのその服装は、なんのつもりなのです?」

 「あら? この服装がどうかして?」

 「我々はピクニックに行くのではありません。過酷な開拓任務におもむくのです。それなのに、そのようなスカート姿とは。正直、真剣に開拓事業に参加しようとしているのか疑います」

 「あら、団長さん。あなたたちは町を作りに行くのでしょう?」

 「そのとおりです」

 「町っていうのはね、団長さん。普通の女性がスカートをはいて快適に過ごせる場所のことを言うの。だから、わたしはあえてスカート姿で参加したの。あとにつづく女性たちが、スカートで快適に過ごせる町を作るためにね」

 その言葉に――。

 赤座あかざは居住まいを正した。

 軍隊式のなかでも最上級の礼をした。

 「これは失礼しました。自分にはその視点が欠けていました。なるほど。たしかに、町というものは一般女性が快適に過ごせなければなりません。そのためには、一般女性の参加が不可欠。そういうことですね」

 「そういうこと。町に住むのはあなた方、男性だけではない。女性たちも同じく町の構成員。そのことを忘れないようにね」

 「はい。これからもご指摘、お願い申しあげます」

 「うん。あなたは歳の割にしっかりしているのね。良い子、良い子」

 と、あおいの手が赤座あかざの制帽の上に伸びる。

 赤座あかざは顔色をかえて、とっさに跳びすさった。

 「自分は、頭をなでられることは断固として拒否します!」

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