旅立て! 離婚宣言貴婦人!
藍条森也
一章 離婚宣言です!
「
ある日突然、なんの前触れもないままに妻にそんな宣言をされてしまったら、夫としてはいったい、どうすればいいのだろう。
それも、末息子の一五歳の誕生日の席上での出来事だときたら。
おそらく、この世のいかなる夫族もなにをどうしていいかわからず、ひたすら困惑するだけだろう。
だから、
三人の子ども、一七歳になる双子の長男と長女である
「い、いったい、なんのつもりだ⁉ 今日は
日頃から亭主関白としてふるまってきた
――まったく、こいつはつくづく愚かだ。だから、おれがいちいち教育してやらなければならないんだ。
そう思って。
――その甲斐あって、なんとかこの歳まで妻として、母として、やってこれたというのに、いきなりこんな訳のわからないことを言い出すとは。どうやら、まだ教育が足りなかったと見える。これから徹底的に教育しなおしてやらないとな。
その思いは外見にも表われ、とまどっていた表情が消え去り、相手を捕食しようとする卑しい肉食獣の笑みとなっていた。しかし――。
妻たる
その態度、いったいどちらが『主人』なのかという次元だった。
「『突然』ね。やっぱり、あなたにとっては『突然』なのね」
「なに……?」
「あなたにとっては、たしかに『突然』でしょうね。でも、わたしはずっと前から準備してきたのよ。
「な、なんだ……⁉ どういうことだ、お前はいったい、なにを言ってるんだ⁉」
「そ、そうだよ、母さん。おれの誕生日に、なに言ってんだよ」
今日の主役である
日頃、母たる
そのうろたえた姿を鼻で
「
だから、わたしも住み込みの使用人と割りきって『仕事』をつづけてきた。それが、あなたには『従順で反攻できない奴隷妻』に見えていたことでしょうね」
「な、な……」
図星を指され、
こんな毅然とした態度の妻は、いままで一度だって見たことはない。
「実際は、
おかげで収入も少なくて、『大華族の出だ!』なんていばっているくせに使用人ひとり雇えない。家事と育児のすべてを妻ひとりに押しつけて、晩酌だけが楽しみっていう庶民暮らし。ああ、いえ、ごめんなさい。そんな小物だからこそ、大物ぶらないとプライドを保てなかったのよね」
「なんだと⁉」
思わず
「本当。器の小さな男なんて哀れなものよね。男社会で勝つことができないから、女相手にいばりちらして自尊心を保とうだなんて。そのみじめな姿にはこの二〇年間ずっと、笑わせてもらったわ。
でも、それも今日でおしまい。いままであなたの妻でいたのは社会のために子を生み、育てることが女の責任だと思っていたから。でも、末っ子の
「な、なんだよ……⁉ それじゃまさか、離婚してこの家から出て行くって言うのかよ⁉」
「そのとおりよ、
「なっ……」
言葉を失った父親にかわって非難した長男の
すると、今度は長女の
「ちょっと! いくらなんでも無責任じゃない! あんたは、わたしたちの母親なのよ⁉ それなのに、三人の子どもを放り出して出て行くなんて身勝手にもほどがあるじゃない!」
「あら。その母親相手にさんざん『邪魔!』だの『ウザい!』だのと言ってきたのは誰だったかしら?」
「そ、それは……」
「
はっきりとそう言われて
「ともかく」
と、
肩をすくめながら立ちあがった。
四二歳という年齢ながら家事に育児に日々、奮闘してきた成果だろう。西洋式のドレスに身を包んだ背筋はピンと伸び、肌もなお若々しい。実年齢よりずいぶんと若く見えるのはまちがいない。
「わたしはあなたとは離婚する。この家も出て行く。あとは好きにして。邪魔なくそババアがいなくなって、あなたたちもせいせいするでしょ。お互い、きらいな相手とは縁を切って、楽しく暮らしていきましょう」
「な、なんだよ、それ⁉ まさか、本当に子どもを見捨てるのかよ? 母親のくせに……」
母親のくせに。
その良識にしがみついて非難する
その表情を見た
「そうね。『母親』として最後にひとつ、人生で一番、大切なことを教えてあげる」
冷たい笑みのまま顔をよせ、そっと耳打ちした。
「人間、勝手なことばかりしていれば母親からも見捨てられる」
そうささやかれたときの
そうして、
『大華族の屋敷』というにはあまりにもみすぼらしい、ごくごく庶民的な家から。
世界は
女としての義理と責任とを果たし、自分のための人生に旅立とうとしているひとりの人間を迎えるために、空はどこまでも青く澄みわたり、黄金の太陽が世界を照らし出している。心地良い風が頬を優しくくすぐっていく。
「う~ん」
と、
その顔に浮かぶ笑み。
それはまさに『解放』と題された女神像そのものだった。
「さあ! 女一匹、四二歳! これからようやく自分の人生のはじまりよ!」
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