いつもの一日から、あなたへ

Nemu°

自分に余裕があるときって何だろう

はじめに

こんにちは。これから何回かに分けて、日常の中でふと考えたことを書いていこうと思います。堅苦しいものではなく、ただ自分が感じたことを、できるだけ素直な言葉で綴っていくつもりです。

第一回のテーマは、「余裕」について。

「余裕がある」とか「余裕がない」とか、よく使う言葉だけれど、実際のところ、それって何を指しているんだろう。お金?時間?それとも、もっと別の何か?

そんなことを考えながら、日々を過ごしていたら、いくつか気づいたことがありました。今日はそれを、少しだけシェアさせてください。


CMを見て笑える日

ある日、テレビをつけていたときのこと。

何気なく流れていたCMを見て、私はふっと笑っていた。別に特別面白いCMだったわけじゃない。よくある、ちょっとクスッとくる程度のもの。でも、その日の私は、なぜかそれを「いいな」と思えた。

そのとき、ふと思った。

「あ、今日の私、余裕があるな」

考えてみれば、心に余裕がないときって、CMなんて目に入らない。というか、見ていても何も感じない。ただの音と映像が流れているだけ。頭の中は別のことでいっぱいで、画面に映るものなんて、ただの背景にしかならない。

でも、余裕があるとき。そういうときは、ありふれたCM一つにも、ちゃんと意識を向けられる。笑えるし、「このキャッチコピー、うまいな」とか「この俳優さん、いい表情するな」とか、そういう小さなことに気づける。

つまり、余裕があるっていうのは、「どうでもいいことにも、意識を傾けられる状態」なのかもしれない。

そう思ったら、なんだか少し安心した。余裕って、何か特別なものじゃなくていいんだって。CMひとつ楽しめるくらいの、そのくらいの小さなものでいいんだって。


他人に目を向けられるかどうか

余裕の有無は、他者への向き合い方にも表れる気がする。

例えば、駅で困っている人を見かけたとしよう。重そうな荷物を持っている人、道に迷っている人、階段の前で立ち止まっているお年寄り。そういう人たちを見たとき、自分がどう反応するか。

心に余裕があるときは、「大丈夫かな」と自然に思える。もしかしたら声をかけられるし、手を差し伸べる選択肢が頭に浮かぶ。別に自分が特別優しい人間だからじゃない。ただ単に、「他人にまで意識を向けられる余裕」があるからだ。

逆に、余裕がないときはどうだろう。

たぶん、目には入っているけれど、「見えていない」状態になる。視界には映っているのに、意識がそこまで届かない。自分のことで精いっぱいで、他人のことまで考える余白がない。

これは、悪いことじゃない。人間、そういうときもある。

でも、もし自分が「最近、周りが見えてないな」と感じたら、それは「余裕がなくなってきているサイン」なのかもしれない。


余裕があるかどうか、自分で確かめてみる

だから、たまには自分に問いかけてみてほしい。

「今、自分には余裕があるかな?」

それだけでいい。答えを出す必要もない。ただ、自分の状態を確認してみる。それだけで、不思議と気持ちが整理されることがある。

もし「余裕がないな」と思ったら、それはそれで構わない。むしろ、それに気づけたことが大事なんだと思う。気づけば、対処できる。気づかないまま走り続けるより、ずっといい。

もし「あ、今は余裕があるかも」と思えたら、それはそれでラッキーだ。その感覚を大切にしてみてほしい。余裕があるときの自分を覚えておくと、余裕がなくなったときに、「ああ、今はちょっと違うな」と気づきやすくなる。

つまり、自分の状態を「知る」ことが、第一歩なんだと思う。


じゃあ、余裕がないときはどうすればいいの?

ここまで書いてきて、もしかしたら「余裕がない自分はダメなのか」と思った人もいるかもしれない。

そんなことは、全くない。

余裕がないときは、誰にでもある。むしろ、余裕がない時間の方が、人生では多いかもしれない。仕事が忙しいとき、人間関係に悩んでいるとき、体調が悪いとき、将来に不安を感じているとき。そういうときに、余裕なんて持てるわけがない。

だから、無理に余裕を作ろうとしなくていい。

ただ、少しだけ、自分を楽にする方法を知っておくといい。


好きなことをしてみる

余裕がないとき、まず試してほしいのは、「好きなことをする」こと。

すごくシンプルだけど、これが意外と効く。

音楽を聴く。それだけで、心が少し軽くなることがある。別に特別な音楽じゃなくていい。昔から好きな曲でも、今ハマっている曲でも。ただ、「これを聴くと落ち着くな」と思える曲を、流してみる。

動物の動画を見る。これも、驚くほど心が癒される。子猫が遊んでいる動画、犬が散歩している動画、ハムスターがひまわりの種を食べている動画。そういうのを見ていると、「可愛いな」という気持ちがじんわり広がって、心の中に小さな隙間ができる。

好きな食べ物を食べる。美味しいものを口に入れると、それだけで「ああ、生きててよかった」と思える瞬間がある。高級なものじゃなくていい。コンビニのスイーツでも、お気に入りのお菓子でも。自分が「これ好き」と思えるものを、ちゃんと味わって食べる。

つまり、「自分が心地いいと思えること」を、意識的にやってみる。

余裕がないときって、そういう「自分を喜ばせること」を後回しにしがちだ。「今それどころじゃない」と思って、自分のことを置き去りにしてしまう。

でも、本当は逆なんじゃないかと思う。余裕がないときこそ、自分を喜ばせることが必要なんじゃないか。


「気持ち」一つで変わる世界

不思議なもので、「気持ち」一つで、人の見える世界は変わる。

同じ景色を見ていても、気分がいいときと悪いときでは、全く違って見える。曇り空を見て「どんよりしてるな」と思うか、「柔らかい光だな」と思うか。それは、空の問題じゃなくて、自分の気持ちの問題だ。

だから、無理に前向きにならなくてもいいけれど、「少しだけ気持ちを軽くする」ことはできる。

音楽を聴く。動物を見る。好きなものを食べる。

そういう小さなことで、気持ちは変わる。そして、気持ちが変わると、見える世界も少しだけ変わる。

それで十分なんだと思う。


急がなくていい、自分のペースで

もし今、余裕がなくて苦しいと感じているなら、一つだけ伝えたいことがある。

急がなくていい。

世の中は、「もっと頑張れ」「もっと早く」と言ってくる。SNSを見れば、誰かが輝いていて、自分だけが取り残されているような気分になる。でも、それは錯覚だ。

みんな、それぞれのペースで生きている。早い人もいれば、遅い人もいる。でも、どちらが正しいとか、優れているとか、そういう話じゃない。

自分のペースで、少しずつ進めばいい。

止まってもいい。休んでもいい。後ろを向いてもいい。

ただ、自分を責めないでほしい。余裕がないのは、あなたのせいじゃない。ただ、今がそういう時期なだけだ。


環境音を聴いてみる

余裕がないときに、もう一つおすすめしたいのが、「環境音を聴く」こと。

これは、私自身が実際に試してみて、すごく良かったと思えた方法だ。

環境音っていうのは、雨の音、波の音、風の音、森の中の音、焚き火の音。そういう、自然が生み出す音のこと。今は、YouTubeやアプリで簡単に聴ける。

なぜこれがいいかというと、「何も考えなくていい」から。

音楽は好きだけど、曲には歌詞があったり、メロディがあったりして、それなりに脳が反応する。でも、環境音は違う。ただ、そこにあるだけ。聴いていても、何も考えなくていい。

雨の音を聴きながら、ぼーっとする。

波の音を聴きながら、目を閉じる。

そうしていると、心の中に小さなスペースができる。ぎゅうぎゅうに詰まっていた頭の中が、少しずつ、ゆるんでいく。

そのスペースができたとき、また周りに意識を向けられるようになる。「ああ、今日はいい天気だな」とか、「このお茶、美味しいな」とか。そういう小さなことに、また気づけるようになる。


余裕がある状態を、目指さなくてもいい

ここまで書いてきて、一つ言っておきたいことがある。

別に、いつも余裕がある状態を目指す必要はない、ということ。

余裕がないときは、ある。それは当たり前のことで、恥ずかしいことでもない。

大事なのは、「余裕がない自分」を責めないこと。そして、「少しでも楽になる方法」を知っておくこと。

余裕がないときに、「余裕がないのはダメだ」と思ってしまうと、余計に苦しくなる。だから、「今はそういう時期なんだな」と受け入れてみる。それだけで、少し楽になる。

そして、ちょっとでも楽になる方法を試してみる。音楽でも、動物でも、環境音でも、何でもいい。自分に合ったものを見つけて、それをそっと取り入れてみる。

それだけで、十分だと思う。


余裕って、結局何だろう

ここまで書いてきて、改めて思う。

余裕って、結局何だろう。

たぶん、それは「心の中に空白があること」なんじゃないかと思う。

何かで頭がいっぱいになっていない状態。少しだけ、隙間がある状態。その隙間があるから、CMを見て笑えるし、困っている人に気づけるし、美味しいものを味わえる。

逆に、余裕がないときは、心の中がパンパンになっている。やるべきこと、考えるべきこと、心配ごと。そういうもので、心がいっぱいになっている。だから、他のことに意識を向ける余地がない。

だとしたら、余裕を作るっていうのは、「心の中に隙間を作る」ことなのかもしれない。

全部を解決する必要はない。ただ、少しだけ、心の中のものを減らしてみる。もしくは、少しだけ、心の容量を広げてみる。

そのために、音楽を聴いたり、環境音を聴いたり、好きなことをしたりする。それで、少しだけ、心の中に隙間ができる。

その隙間が、余裕なんだと思う。


他人と比べなくていい

余裕について考えていると、どうしても他人と比べてしまうことがある。

「あの人は余裕がありそうなのに、自分にはない」

「みんな楽しそうにしているのに、自分だけ苦しい」

そういう気持ちになることも、あるかもしれない。

でも、他人の余裕なんて、実際のところ分からない。

SNSで笑顔の写真を載せている人が、本当に余裕があるかどうかなんて、誰にも分からない。もしかしたら、その人も、見えないところで必死に頑張っているのかもしれない。

だから、他人と比べる必要はない。

自分は自分。他人は他人。

自分のペースで、自分なりの余裕を見つけていけばいい。


余裕は、作るものじゃなくて、気づくもの

もう一つ、気づいたことがある。

余裕って、無理に「作る」ものじゃなくて、「気づく」ものなんじゃないか。

「余裕を作らなきゃ」と思うと、それ自体がプレッシャーになる。「余裕がないのは自分の努力が足りないからだ」と思ってしまう。

でも、そうじゃない。

余裕は、既にあるかもしれない。ただ、それに気づいていないだけかもしれない。

例えば、朝起きたとき。布団の中で、ほんの数秒、ぼーっとする時間。それも、余裕の一つかもしれない。

例えば、コーヒーを飲むとき。一口目を飲んで、「美味しいな」と思える瞬間。それも、余裕の一つかもしれない。

つまり、余裕は、大きなものである必要はない。ほんの数秒、数分の、小さな隙間でいい。

その小さな余裕に、気づけるかどうか。それが大事なんだと思う。


最後に

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

これは、私が日常の中でふと考えたことを、自分なりにまとめたものです。専門家でも何でもない、ただの一個人の意見です。だから、正解ではありません。

ただ、もし、どこか一行でも、あなたの心に引っかかる部分があったなら。少しでも、「そうかもしれない」と思える箇所があったなら。それだけで、書いた意味があったと思います。

余裕がある日も、ない日も、どちらも人生の一部です。どちらが良いとか悪いとか、そういう話じゃない。

ただ、もし余裕がなくて苦しいときがあったら、この文章をちょっと思い出してみてください。

「今、自分には余裕があるかな?」

そう問いかけてみてください。

そして、もし余裕がないなと思ったら、音楽を聴いてみたり、環境音を流してみたり、好きなものを食べてみたり。そういう小さなことを、試してみてください。

それで、少しでも楽になれたら。それで十分だと思います。

急がなくていい。自分のペースで。

あなたの心に、小さな余裕が生まれますように。


あくまで個人的な意見です。参考程度に、受け取ってもらえたら嬉しいです。

次回は、「余裕がない自分を責めてしまうとき」「考えすぎてしまう夜の話」「他人と比べてしまう瞬間」などをテーマに、また書いてみようと思います。

それでは、また。

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