鉄と金色、夢幻の果て
南條 綾
鉄と金色、夢幻の果て
私の人生は、ただの鉄の塊だった。
物心ついた頃から、この自由みたいで不自由な戦場で、私は道具として扱われてきた。
感情なんて、錆びて使い物にならない。
とっくに捨てた機能だ。
敵兵は数えきれないほど斬ってきた。
血の臭い。肉が断たれる感触。最期の声。
全部、日常。いつしか心は一ミリも動かなかった。
でも、一人だけ倒しきれなかった相手がいる。
「金色の薔薇」
両陣営では、そう呼ばれていた。
彼女が戦場に立つと、空気が変わる。
冷たく、研ぎ澄まされるのに、どこか優美で、緊張がきれいに張り詰める。
姿を見たのは数えるほどだ。
交戦しても、彼女は私の剣を紙一重でかわし、いつも撤退していく。
戦場に咲くには不釣り合いなくらい、美しい女だった。
金色の髪は、鉄の塊の中でひときわ目立つ。
凍てついた青い瞳が、私の奥の奥まで見透かしてくる気がした。
見るたびに、忘れていた感情の欠片が、喉の奥に引っかかるみたいに浮かびかける。
私は、振り払うみたいに剣を強く握った。
思い出す前に、壊すために。
血と硝煙にまみれた日々の中では、珍しく静かな夜だった。
私は眠っていた。
戦場で手に入るのは浅い眠りばかりなのに、その夜は珍しく深く沈んでいった。
そして、夢を見た。
暗闇に、金色の薔薇が立っていた。
鎧じゃない。柔らかな薄布をまとって、夜空の月みたいに淡く光っていた。
彼女は音もなく近づいてくる。
凍てついた青い瞳で私を見つめるのに、その目には憎しみも殺意もない。
そこにあるのは、深い愛情だけだった。
「綾」
名を呼ばれた瞬間、鉄で覆われた心臓の奥が小さく震えた。
細くて、冷たい指先が頬に触れる。
武器を持たない触れ合い。
それだけで、私の中の何かがほどけそうになる。
そして唇が触れた瞬間、体中の血が温かい波になって脈打った。
愛されている。守られている。
彼女の腕の中にいると、戦場の音も、血の匂いも、全部遠くなる。
私は久しぶりに、道具じゃない、一人の人間として満たされる感覚を思い出した。
「安らぎ」なんて言葉が、錆びた蓋を押し開けて溢れ出すみたいだった。
朝の光と一緒に、夢は消えた。
それでも目覚めたあとも、体には温もりの残り香がへばりついていた。
愛された記憶が、皮膚の内側に残って離れない。
胸の中に、殺意と渇望が同居する。
敵として殺さなきゃいけないのに、もう一度、あの腕の中に戻りたい。
自分の中で、二つの命令が噛み合わずに擦れる音がする。
私は道具だ。
道具は、主人の命令を実行するだけ。
そう言い聞かせて、剣を握り直した。
数日後。
それは、数時間の激戦の末、味方も敵も押し黙った一瞬の静寂の中だった。
私は、瓦礫と化した教会の祭壇の前で、彼女と対峙していた。
吹き抜けの天井から差し込む夕焼けの光が、埃と硝煙の粒子を照らし、二人だけの舞台を作り出している。
彼女はいつも通り、完璧な構えを取っていた。
だが、その青い瞳の奥に、私は確かに諦めのような寂しさと、そして微かな期待を見た気がした。
「…また会いましたね、綾」彼女の声は、戦場の喧騒には不似合いなほど静かだった。
「その名を呼ぶな」
私は一歩踏み出し、愛用の太刀を構えた。
夢の記憶が、私の剣を持つ右腕の神経を麻痺させようとする。
彼女の指先が頬に触れた、あの冷たい感触が、手のひらの柄の硬さと混ざり合う。
私は首を横に振り、雑念を振り払おうとした。
「私は道具だ。私の役目は、貴様を殺すことだ」
彼女は小さく息を吐いた。それは、溜め息にも、微笑みにも聞こえた。
「それが、あなたの願いなら」
戦いが始まった。
私たちの戦闘は、もはや殺し合いではない。
それは、互いの存在を確かめ合う、狂おしいほどの剣舞だった。
私の初太刀は、殺意を込めた垂直の斬撃。
だが、夢で私を抱きしめた細腕は、それを信じられないほどの柔軟さで躱した。
金属が
彼女の剣先は、私の喉元をかすめ、わざと浅い傷を残す。
なぜ、本気を出さない? 私を道具に戻せ!
私の心臓が、久しぶりに激しく鼓動する。それは恐怖ではなく、彼女が私に残してくれた感情の再確認だった。
私は一気に間合いを詰め、太刀を突き出した。
彼女はそれを身を反らしてかわし、私の胸板に、寸止めのように剣の腹を打ち付ける。
「綾、あなたは…人を殺す道具ではないでしょう」彼女の吐息が私の耳元をかすめた。
その言葉で、私の脳裏にあの夜の夢がフラッシュバックした。
私を愛し、私の名を呼んだ彼女の顔。
カッと頭に血が上る。道具である私に、人間としての感情を植え付けた彼女が、それを否定する権利があるのか?
「黙れ!私は敵を…敵を壊す道具だぁ~!」
私は感情のままに剣を振り上げる。それは、戦術も技術も無視した、ただの破壊衝動だった。
次の瞬間、彼女の反撃が来た。流れるように美しく、隙のない水平斬り。
私は反射的に太刀で受け止めたが、衝撃で体勢が崩れる。
彼女は、その崩れを利用して、さらに一歩踏み込んできた。
彼女の金色の髪が、私の目の前で揺れる。
剣を握る彼女の白い指が、鮮明に見えた。
彼女の剣は、私の心臓に向かっていた。
ああ、これで終わる。夢の続きだ。そして人に戻れる。
私は、全身の力が抜けていくのを感じた。心の中で、殺されることを受け入れていた。
だが、彼女は直前で剣の角度を変えた。
キン!
剣先は、私の心臓をかすめ、胸当ての金属を弾いただけだった。
その一瞬の
私の思考回路は、その躊躇を感知した瞬間、道具としての私の本能が、一瞬で主導権を取り戻す。
私は体勢を立て直し、ただひたすらに、目の前の敵を討ち倒すというプログラムに従い、渾身の力を込めて太刀を突き出した。
狙いは、胸元の心臓。彼女は、それを避けなかった。
私の刃が、彼女の体を貫通する。固い鎧の下の、柔らかい皮膚、そして心臓を貫く、鈍い感触が手に伝わった。
ドバッと鮮血が噴き出し、私の顔と鎧を赤く染める。
熱い液体が視界を覆い、私の世界は血の色に染まった。
彼女は一瞬、苦痛に顔を歪ませたが、すぐに私に向かって静かに微笑んだ。
その顔には、夢で私に愛を囁いた、あの安らかな表情があった。
「…ありがとう、綾」
最後の囁きと共に、彼女の体は力を失い、私の太刀にもたれかかるように倒れ込んだ。
その金色の髪が、石畳に広がり、夕焼けの血の色と混ざり合う。
そして、その直後だった。
その時、轟音とともに、周囲の喧騒が突然静まり返った。
どこからともなく、荘厳な鐘の音が鳴り響き始めた。
そして、風に乗って、幾重にも反響する男の声が、戦場全体を覆うように響き渡る。
音源は不明だが、その声は全てを支配していた。
「…両陣営間の戦闘行為は、ただ今をもって全て停止される。終戦が宣言された!」
私の耳に、その言葉は届いている。
だが、私の視界には、剣で貫かれたまま横たわる、彼女の亡骸しか映っていなかった。
剣を抜き、彼女の冷たくなった体を抱き上げた。
夢で感じた温もりは、どこにもない。血と土の匂いがするだけだ。
戦争は、終わった。私は、道具としての役割を終えた。
しかし、私は、今、半身を失ったと感じていた。
私が取り戻したばかりの、人間としての感情の全て。
温もりも、安らぎも、そして愛という名の渇望も、全てが彼女とともにあることを知った。
私が殺したのは、敵兵ではない。
私を道具から解放し、私に人の心を取り戻させてくれた、たった一人の愛しい人だった。
私は、ただただ、亡骸を抱きしめ続けた。
彼女のいない世界で、私はこれから、何を目的として生きていけばいいのだろうか。
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鉄と金色、夢幻の果て 南條 綾 @Aya_Nanjo
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