◆ episode5.

翌朝。

空は澄んでいて、風だけが少し冷たかった。


いつもより早く昇降口にいた。

待っていたわけじゃない。

ただ、ここに立つ必要があった。


人の流れができて、ほどけて、またできる。

その隙間に、まつりが来る。


昨日と同じ顔。

同じ歩き方。

でも今日は、光の落ち方が少しだけ違う。


一歩、前に出た。

呼び止めるほどでもない距離。

逃げ道を塞がない位置。


そして、口角だけをほんの少し上げる。

自分でも、珍しいと思う。


「……まつり。俺と付き合わない?」


声は軽い。

冗談みたいに聞こえるくらい。

告白というより、提案に近い。


まつりが一瞬止まる。


「……え?」


驚きはある。

でも警戒はない。


続けない。

理由も言わない。

期待も乗せない。


ただ、答えを待つ。


まつりは困ったように眉を下げて、

短く笑った。


「なに急に。

 でも、ごめん。

 そういうのじゃないかも」


すぐに頷く。


「そっか」


残念そうでも、傷ついた様子でもない。

むしろ、確認が取れたような気がした。


「じゃあ、また聞くね」


まつりが目を丸くする。


「……え?」


「明日」


それだけ言って、靴箱のほうへ向かった。


まつりはその場に残り、

しばらく立ち尽くしていた。


(なんだったんだろ)


重くない。

でも、軽すぎもしない。

告白というより、予定の共有みたいだった。



廊下を歩きながら、自分の中を確かめる。


心臓は早くない。

高揚もない。

欲もない。


(……やっぱり)


これは恋じゃない。


付き合いたい理由も、

手に入れたい気持ちも、

ここにはない。


でも——

この人を、

今日の世界に置いておく必要はある。


それだけ。


決める。


明日も。

同じ時間に。

同じ場所で。

同じ温度で。


「付き合って」

とか

「付き合おう」

と、聞く。


それが一年続くとしても、別におかしくない。

世界が静かに、彼女を認識し続けるなら。



二日目。


昨日と同じ時間。

同じ昇降口。

でも、光の角度が違う。


まつりが靴を履き替えているのを見て、

一歩だけ近づいた。


「今日は……気、変わってない?」


声は軽い。

冗談とも本気とも取れるトーン。


まつりは一瞬考えてから、

昨日と同じように首を振る。


「うん。変わってない」


「そっか」


それで終わり。

追わない。

理由を聞かない。



三日目。


風が強くて、校舎のドアがうるさく鳴っていた。


横に並びながら言う。


「今日、どう?」


まつりが間の抜けた顔をする。


「……どうって?」


「なんとなく」


まつりは少し困った顔をして、それでも正直に答える。


「普通」


「普通か」


それだけ言って、先に歩いた。

告白というより、体調確認に近い。

下手すると出欠確認だ。



四日目。


人が多くて、声を張るのが面倒な日。


すれ違いざま、小さく言った。


「今日は……無理そう?」


まつりは思わず笑ってしまう。


「昨日も無理だったよ」


「だよな」


それで終わり。



五日目。


雨。

靴が濡れて、二人とも少し機嫌が悪い。


言葉を選ばず、短く聞いた。


「やっぱ、だめ?」


まつりも短く返す。


「……だめ」


「了解」


“了解”がなぜかおかしくて、

まつりはその日、少しだけ笑った。



一週間。


一度も「好き」と言っていない。

一度も「なんでだめなの?」と聞いていない。


毎日違う聞き方。

でも意味は一つ。


——今日のあなたは、どう?


それが、まつりには重くなかった。

断っているのに、拒絶している感覚がない。


(この人、私を説得しようとしてないんだ)


ただ、確認しているだけ。

まつりはそう受け取った。


こちらはわかっている。


同じ言葉を繰り返せば、それは圧になる。

でも、毎日違う言葉で聞けば、それは会話になる。


会話になれば、存在は定着する。


恋じゃなくてもいい。

付き合わなくてもいい。


「今日も、ここにいる」

それを更新できればいい。


目的は、最初からそこにしかなかった。

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