第1話夢じゃない。悪夢だよ。
落ちる瞬間、音はなかった。
風も、叫びも、衝撃も――
全部、途中で切れた。
まるで、
再生ボタンを押す前に
電源を抜かれたみたいに。
次にあったのは、天井だった。
見慣れたはずの、自分の部屋。
白い天井。
細いひび。
カーテン越しの朝の光が、静かに滲んでいる。
……生きてる。
その事実だけが、
遅れて、胸の奥に落ちてきた。
心臓が、勝手に動いている。
ドク、ドク、と無遠慮なリズム♪
うるさいな。
でも――
止まっていない。
体を起こす。
ベッドの軋む音が、やけに現実的だ。
軋みも、音だ。
視線が、壁に流れる。
そこにあった。
色褪せたライブポスター。
スポットライトの中、ドラムセットに座る男。
スティックを振り下ろす直前の、あの一瞬。
父だ……ダン♫
その横に父さんの愛用のヘッドホン、僕のは黒だったな、父さんの赤、借りて良いかい?大切に使うよ。
必要なんだ、外の世界との遮断にね。
「うん、悪くない」
「父さん、感じるよ」
観客の手。
汗。
煙。
音が、紙の向こうから滲み出してきそうな構図。
叩かれる直前。
一拍、溜めた沈黙。
……そうか。
理解は、音もなく追いついてきた。
屋上。
落下。
死。
そして――戻った。
「タイムリープ、か」
現実か?
それとも、冗談みたいな悪夢か?
面白いな。
理由?
「知るかよ」
左目に、違和感がある。
瞬きをしても、景色は半分欠けたままだ。
「……左目、見えないな」
指で触る。
感触はある。
「一回死んだからか?」
少し考えて、やめる。
必要ない。
「……さして問題はない」
右目で充分だ。
耳がある。
音がある。
それだけで、いい。
ポスターの父は、何も言わない。
ただ、今にも叩き始めそうな姿勢のまま、そこにいる。
ドク。
ドク。
ドク。
心臓が、テンポを刻む。
全てがリズム♪
生きてるって、そういうことだろ。
速い。
だから、人生は短い。
「だから――美しい」
心臓が、もう一度、強く鳴る。
「生きている。貰った命だ」
「……生かそうか」
ふん♪
ふん♪
鼻歌が、勝手に零れる。
「うん、曲を書きたいな」
……その前に。
「始めるか」
「俺には、やることがあるからさ」
世界は、まだ静かだ。
何も始まっていない顔をしている。
でも――
確かに、
ビートだけが、先に鳴っている。
「奏、出かけるの?」
母さん。
若いな。
この時間、この声。
「ちょっと、外の空気、吸ってくる」
そう言って、玄関へ向かう。
――カチャ。
12月24日の空気。
冷たくて、澄んでいて、
やけに甘い匂いがする。
あの日と、同じか?
いや――違う。
今日は、雪が降ってるな、あの日は青空だった。
子供のころを
思いだす。
でも、今は違うな。
「死の匂いがするよ」
ジングルベル♪
ジングルベル♪
「ふふっ♪ ふん♪ ふふふっ♪」
隣の家のドアが、同時に開いた。
ばったり。
「……奏」
昔から、そう呼んでいる。
幼馴染。
隣の家。
当たり前みたいに、そこにいる存在。
「偶然だね」
「そうだな、ひかり」
声は、いつも通り。
――お前か。
胸の奥で、
小さく、硬い音が鳴る。
父から貰った、この碧眼の目が
“それ”を捉える。
ダン♫
一拍。
ダン♫
ダン♫
確認するみたいに。
試すみたいに。
言葉にはしない。
今は、まだ。
「今は時間じゃない」
街は光っている。
祝っている。
誰もが、今日は特別だと思っている。
でも、この一拍だけは
胸の内側に、沈んだままだ。
一歩、外へ。
冷たい空気が、頬を刺す。
背後で、玄関の音。
名前を呼ぶ声。
振り返らず、歩き出す。
あの時の青空とは違う、
雪の輝き。
「美しい。悪くない」
笑い声が、漏れる。
ポツ♪
ポツ♪
ポツ♪
その白髪に雪が良く馴染む。
自然な、音のように……。
――最初のカウントは、もう始まっている。
次の更新予定
2025年12月18日 12:00
「ビート」―復讐のリズム― 白黒 @506671
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