花陰のロザリア〜悪役令嬢に転生した妹があまりにもポンコツなので、兄が裏で全部なんとかしてます〜

@nanami_nanana

プロローグ

「ひどいです、ロザリア様! 足を出すなんて……っ!」


舞踏会の喧騒が、一瞬で凍りついた。

「聖女」ミナが床にへたり込み、可憐に肩を震わせる。瞳には大粒の涙。計算し尽くされたその「哀れな被害者のポーズ」は、会場にいる全ての男たちの守護欲を煽り立てた。


「ミナ! 大丈夫か!」


王太子レオンハルトが、弾かれたように彼女を抱き寄せる。そして、燃え盛るような敵意を、俺の主へと向けた。


「ロザリア!貴様という女はどこまで浅ましい!聖女を突き飛ばし、足を引っ掛けて転ばせるなど、公爵令嬢以前に人間として腐っているぞ!」


王太子の咆哮が響く中、当のロザリアは、ただ呆然と立ち尽くしていた。

反論すら思いつかない様子で、その大きな瞳を不安げに揺らしている。


……まったく。相変わらず、隙だらけで不器用で、どうしようもなく「ポンコツ」な俺の"妹"だ。


「貴様のような下劣な女、もはや王妃の座に座らせるわけにはいかん! 今この場をもって、婚約を破棄する!」


残酷な宣告。周囲の貴族たちは「当然の報いだ」と言わんばかりに冷笑を浮かべる。

絶望のシナリオが完成しようとした、その瞬間。


「失礼いたします、殿下。」


俺は、一歩前に出た。

ロザリアの斜め前。光を遮り、彼女を闇の中に匿う影として。


「なんだ、ただの召使か。下がれ、不愉快だ」

「いいえ。私は召使なればこそ、主が不当に傷つけられるのを看過できない性分でして」


俺はあえて視線を外した。王太子の怒りなど眼中にないと言わんばかりに、床に転がった「聖女」を、まるで壊れた検体でも見るような冷徹な眼差しで射抜く。


「……聖女様、お怪我がないようで何よりでございます。ですが、そのあまりに計算され尽くした『美しすぎる着地』を拝見しますと、私のような召使いは、つい余計な勘繰りをしてしまいます。」

「何だと……? 貴様、今の暴挙を見ていなかったのか!」

「いいえ、克明に拝見しておりました。……それゆえに不可解なのです。

殿下、本来、勢いよく歩いている人間が、外からの障害物に足を阻まれたのであれば、その体は誰かに背中を蹴られたように前方へ放り出されなければなりません。」


俺は冷徹な視線で、床に転がる聖女を上から下まで眺めた。


「よくお考えください。もし本当にロザリア様が外から足を出し、聖女様の歩行を妨害したのであれば、それは『外部からの強力なブレーキ』です。慣性の法則に従えば、聖女様の体は前方へ突き飛ばされ、今頃、床に這いつくばっていらしたはず。床に顔面を強打して鼻血を流されていたかもしれません。」


俺は転んだ体勢のまま固まる聖女を一瞥する。


「しかし、現実はどうでしょうか。……片膝を突かれ、上半身を斜め横へとねじらせておいでだ。これは、自らの足を内側へ交差させ、自分自身でバランスを崩した際にしか起こり得ない形でございます。」


俺は一歩、跪く聖女に詰め寄る。


「貴女は『自ら足をクロスさせる』ことで、前進するエネルギーを回転運動へと変換した。おかげでドレスは汚れず、お顔も守られ、今こうして『悲劇のヒロイン』として完璧な角度でポーズを決めておいでだ―――ロザリア様に足を引っ掛けられたと『錯覚させる』ための、あまりに献身的なお芝居にございます。」

「な、何を……っ! 私は、咄嗟に顔を守ろうとして……!」

「左様でございますか。不意の事故において、瞬きをするほどの刹那に、『最も可憐に見え、かつ怪我をしない角度』を導き出し、膝から美しく着地されたと。……それはもはや反射ではなく、相当な時間をかけた『事前の練習』の成果とお見受けいたしますが」


聖女の顔がさっと青ざめる。


「き、貴様ッ! 何を勝手な憶測を並べている!」


割り込んできたのは、顔を真っ赤にしたレオンハルト王太子だった。彼は聖女を庇うように一歩前へ出ると、俺を刺し殺さんばかりの勢いで指し示す。


「体勢がなんだ!転び方の美しさがなんだ!そんな曖昧な理屈、ロザリアの罪を隠す証拠にもならん!貴様のそれは、ただの言いがかりだ!」


激昂する王太子の叫びが、静まり返った会場に響き渡る。周囲の貴族たちも「そうだ」「倒れ方などその時々だろう」と同調するようなささやきを漏らし始めた。


俺は、怒りに震える王子を鼻で笑うことすらせず、ただ無機質に返した。


​「……なるほど。確かに、体勢だけでは『偶然の奇跡』と言い逃れもできましょう。ですが殿下、人の主観などは脆いもの。真実というものは常に、言葉を持たぬ『物質』にこそ宿るのです」


俺は白手袋をゆっくりと脱ぎ、素手で床の表面をスーッとなぞった。


「……殿下。この会場の床は、私が今朝、最高級のワックスで磨き上げたばかりです。どう転んだかは、床が全て覚えています」

俺は懐からペンライト型の魔法具を取り出すと、床の表面に鋭い光の反射を当てた。


俺は白手袋を脱ぎ、素手で床の表面をスーッとなぞった。


「……殿下。この会場の床は、私が今朝、最高級のワックスで磨き上げたばかりです。どう転んだかは、床が全て覚えています」


俺は懐からペンライト型の魔法具を取り出し、光の反射を床に当てた。


「皆様、ご覧ください。ロザリア様が足を出し、そこに躓いたのであれば、床には『縦方向への強い擦れ跡』が残るはずです。ですが、ここ。聖女様が転ぶ直前、垂直に踏ん張り、左足のつま先を床に強く突き立てた跡があります。自ら急ブレーキをかけた証拠です」


さらに俺は、蒼白になる聖女の「靴の先端」を指差す。


「そしてこの、自分の右足で左足のかかとを蹴り飛ばした跡。聖女様の右足のつま先だけ、ワックスがべったりと付着し、革が剥げています。他人に足を引っ掛けられた人間が、なぜ『自分の靴の先端』をボロボロにする必要があるのですか?」


俺は立ち上がり、呆然とする王子にトドメの言葉を突き刺した。


「殿下。彼女が披露したのは『悲劇』ではなく、独りでに転んでみせただけの『滑稽な大道芸』にございます。ロザリア様はタルトのベリーに夢中で、聖女様がご自分の足ともつれ合っている姿など、気づかれていませんでしたよ。……さて、この滑稽な芝居に、いつまで付き合わせるおつもりですか?」

「貴様ぁ……っ!万死に値する無礼だぞ! どこの馬の骨だ、何様だ貴様は!!」


顔を真っ赤に沸騰させ、喉を潰さんばかりに怒鳴るレオンハルト。

その剣幕を、俺は柳に風と受け流し、胸に手を当てて優雅に、深く、一礼してみせた。


​「ただの召使にございます。」


俺は何も状況を掴めていない様子のロザリアの手を引き、その場を後にした。

前世、アホな妹を守るために鍛え上げた俺の理屈と、叩き込まれた召使としてのスキル。

……これらを組み合わせて、この「悲劇のお嬢様」の運命を、根底から書き換えてやる。

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