Escape the Backrooms
廻る猫
第1話 Something that screams
俺は貧乏な大学生だ。
貧乏ゆえに、今日も今日とて倉庫のバイトである。
無機質に並んだ金属製の棚の上段に、
その商品で区切りがついたので、脚立の上でふぅ、と一息ついた。
それが駄目だった。
俺はバランスを崩し、頭から転落した。
三メートルほどの高さから落下しながら、
床に違和感を覚えたのは、鼻が触れてからだった。
沈む。
硬いはずの石の床に、水に放り込まれた石みたいに沈み込む。
何かおかしい。
そう思った時にはすでに、俺は立っていた。
見知らぬ廊下の真ん中で。
黄色い壁。
天井に等間隔で並ぶ蛍光灯。
どこまでも続く、同じ景色。
空調の音がない。
外の気配がない。
世界から、音だけが切り取られたみたいだった。
スマホを確認する。圏外。
時刻だけが、無意味に進んでいる。
一歩進むと、靴底が湿った感触を返した。
足元のカーペットが、濡れている。
壁に、紙が貼られているのが見えた。
白い、印刷された張り紙。
やけに綺麗で、端も揃っている。
ENTITY WARNING
If you hear its voice, remain silent.
Running increases the risk of detection.
Avoid eye contact.
さっきのショックだろうか、頭が混乱していて英文が読めない。
そんな中、
detection
running
risk
――嫌な単語だけが目に残る。
説明書みたいだ、と思った。
誰かが作ったというより、最初からここにある感じがする。
少し歩くと、黄色い壁に赤黒い文字で『走るな』と乱雑に書かれていた。
さらに進む。
『音を立てるな』
『見るな』
インクが途中で薄くなっている。
最後まで書けなかったみたいだった。
ただ、なぜか『見るな』だけ赤色が鮮明だ。
そう考えてから、一つの考察が脳裏を掠める。
時間経過で黒くなっていく、赤い液体。
「……血液か?」
思わず声に出してしまった。
それを
一つ。
二つ。
残った灯りが、不規則に明滅する。
その時――
遠くで、声がした。
――――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……
人の叫び声に似ている。
でも、どこか壊れたスピーカーから聞く音声のように、不明瞭だ。
距離が分からない。
廊下の奥なのか、壁の裏側なのか。
耳の中に、直接流し込まれる感じがする。
体が固まる。
英語の張り紙と、手書きの警告が、頭の中で繋がった。
『走るな』『音を立てるな』『見るな』
声が、もう一度
さっきより、近く感じる。
俺は歩き始める。
全身の力を抜いて、靴底を
角を曲がった先に、棚があった。
壁に寄せて置かれた、背の高い金属のクローゼット。
中身は空っぽだった。
――隠れられる。
息を止めて、クローゼットの内側に体を滑り込ませた。
ちょうど目の位置に長方形の空気穴がある。
――――あ゛あ゛あ゛あ゛……
叫び声が、すぐ近くを通り過ぎた。
床に引きずる音。
濡れた何かが、地面と作る音。
蛍光灯が、一瞬だけ
そこにいたのは、体が黒い針金でできているような化け物だった。
また光が消える。
叫び声が、止まる。
それが一番恐ろしかった。
次の瞬間、別の方向で音がした。
何かが倒れる音。
短く、息継ぎもままならない悲鳴。
化け物が、悲鳴の元へ走り去っていく。
しばらくして、完全な静寂が戻った。
俺は、クローゼットの中で、ようやく息を吐いた。
俺は生きている。
理由は分からない。
正解を選んだ感覚もない。
ただ、運が良かっただけなのだろう。
Escape the Backrooms 廻る猫 @mawarunuko
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