怪異送りの死神

y=why

第1話 チョウチンアンコウ桜

「母さん」


 母は本の表紙を延々と撫でている。その白い手で、愛しい人に触れるように撫でている。


「母さん、俺定期テストで国語100点だったよ」


 母は本を棚にしまった。


「! 母さん!」


 俺は年甲斐もなく誇らしげに答案用紙を母さんにおしつけた。


 だが、母は違う本を取り出しただけだった。


 だから、俺の呼びかけに応える母は




「母さん」


 桜がびゅうびゅうと舞っている。


「なあに、文彦」




俺の母ではないのだ。







 うすいピンク色の花びらがはらはらと風にさらわれていく。その花びらは近くにある小川に流れていき、水の流れにのってどこかへと流れていく。そこはかとなくする甘い蜜の香りに俺は少し良い気分になっていた。この桜の木の下でひと眠りするのもいいかもしれない。


 持ってきた画材を抱いて寝ようとしたその時だった。


「今日は絵描かないのか?」


 頭上から声がした。目線を上げると桜の木の枝に俺が泊まっている家の息子がいた。

 名前は桜井義春。中学1年生だ。


「描かない」


「ふ~ん」


 義春は何か言いたげな視線をよこしながらそうつぶやいた。


 さて、どうしようか。誰かに観察されている状況で絵を描くことは別にいいのだが、寝ている姿を観察されるのは嫌だ。


 よし、場所を変えて眠るとしよう。


 画材を持ち、その場を離れようとした時だった。


「あっ、まて!」


 義春が声をかけてきた。心なしか瞳がウルウルしているように見える。


「どうかしたのか?」


「降りれなくなっちゃった」


 きみは猫か何かか???




「そっかぁ、昼寝しようとしてたのかぁ」


 それは木から義春を降ろしたあと、彼が持ってきていた弁当をそこで食べながらの発言だった。


「うん。ところで義春はなんでここに?」


「見晴らしがいいところでご飯食べたいなぁって思ったから」


「そうか」


 どこか遠くを見ながらヘラヘラと笑う義春。


 それが理由なのだとしたら、その態度と二人分の弁当は何なのだと言及したくなったがやめておいた。


「葬式、いつ終わるんだろうね」


 義春がぽつりとつぶやいた。


「明日で終わる」


「え、明日? 早いね。葬式が始まるまでの方が長かったじゃないか」


「そんなもんだよ。俺の母親のときもそうだった」


「ごめん」


 義春は申し訳なく思っているようだが、そんなに気にすることではないと思う。もう二年も前に終わったことだ。


「別にいいよ。それよりも団子屋行かない?」


そういった気持ちをこめて俺は彼を団子屋に誘った。






「花より団子だわ、やっぱり」


 俺のおごりの三食団子を食べ終え、俺の持っている団子に視線を注ぐ義春にあきれ返った。


「まだ食べる気か、太るぞ。糖尿になるぞ」


「え、こわ。やめとく」


「いい判断だ」


「…家、帰らないのか?」


 義春は黒曜石のような瞳を桜にやりながら、何でもない風に俺に聞いてきた。


「そもそもあそこは俺の家ではない。確かに俺の生物学上の父はそこの家の人だが戸籍上では赤の他人だ」


「まぁ、それ抜きにしてもあんな愛のないような家戻りたくないよねぇ」







 ああ、この人が俺の「兄」なのか。

葬式が始まる前、家の固定電話が鳴って俺の「父」が死んだという知らせが入った。


 父のことを父だと思ったことはないが、高校入学早々に死んでしまった母のおかげで金がなかった俺に資金援助をしてくれた人ではあるため、葬式に出ることにした。






 庭を散歩しているときに事は起こった。


「だから、お前はどうしてそうなんだ!」


 遅れて、何かが殴りつけられるような音と花瓶が割れる音が響いた。


「お前の祖父はとんでもなくえらい小説家なんだぞ! そんな成績でどうする!」


 気づいたら部屋に土足で乗り上げていた。


「兄さん」


 そこには「兄」がいた。


「兄さんの言うことが本当ならば、弱者女性から生まれた俺はなんなのでしょうね」


 俺は殴られた青年を起こした。


 それが義春だった。







「大丈夫か? やっぱ家帰るの嫌か?」


 外がだいぶ暗くなってきたため帰路についている最中だった。


「俺は大丈夫だが君はあの家でうまくやっていけてるのか?」


 にやり、と義春は笑う。


「いいや、全然」







「母さん」


 母さんは桜の木の下に立っている。


「母さん」


 母さんはパートフルタイムで働く人だった。そうしないと生活していけないというのもあったが最も大きかった理由は俺の父親に会えた場所から離れたくないと思っていたのだろう。


 なんとなくその気持ちがわかる気がする。俺も一回だけ母が遊んでくれた公園で日が暮れるまでブランコをこいでいたからだ。


「なあに、文彦」


 ああ、これはきっと母ではないのだろう。けれども、息子を見てもくれなかった弱い母親より、こうやって呼んでくれる母の方が何倍も好きだ。


 庭に降りて、桜の下へ行けば母から逃れられるだろうか。


 サッシを開けて、少しひんやりとした春の土へ足をつけたらあんなに弱い母からかけられた呪いから解き放たれるのだろうか。







「文彦さん?」


「なんだ、きみだったのか。毎日俺を呼んでいたのは」


 義春は不思議そうな顔をした。


「ううん。ここに来たのは今日が初めてだよ? ていうか毎日って何? 寝ぼけてるの?」


「割ときみは辛らつだな」


 ごろりと頭をふすまの方へ向ける。縁側へと続く障子は開いていない。縁側に咲いている桜は当然ながら見えなかった。


「ここに来てから、毎日毎日、二年前に死んだ母親を夢に見るんだ。そこの庭に咲いている桜の下で俺が呼ぶと名前を呼んでくれる」


「それはいいことなのか?」


 透ける月明かりが逆光となって表情は読めなかったが、声が不満げだった。


「生きている間はきみのお祖父さんばかりに執心して俺のことを見てくれなかったからね。とっても嬉しいよ、って、なにをする」


 ぐいぐいとからだを俺が寝ている布団の中に義春はねじ込んできた。まるで猫のようだ。


「お父さんの近くに寝室があるからさ。気まずくてここで寝ようと思ったんだ」


「そうか」






 俺の母親は俺が高校に上がってすぐに自殺した。服毒自殺だった。


 もう二年も前のことだ。


「貴方のお父さんはね、立派な小説家大先生だったのよ」


「だからあなたも小説家になりなさい」


 母さんがたまに俺に話しかけるとき、ずっとずっと繰り返し繰り返しそう言っていた。それは自分に言い聞かせていたようで一回も俺を見て言っていなかった。


 それを見て『俺は父さんの子どもである前に母さんの子だよ』と思っていたことはついぞ伝えられなかった。


 母さんの葬式が終わった後で、その父とやらは来た。


 母子家庭だったことで金がなく、このままでは高校を中退してアルバイトをすることになりそうだと焦っていたころだった。


 「父」は今まで会えなかったことを詫び、高校と大学の資金を援助することを約束した。


 そこで俺は「絵の大学に行きたい」と言った。絵が好きだったから。






 布団の中に潜り込んできた義春を見る。

 

 あの頃の俺と同じように胎児のように丸まって寝ている姿がなんだか痛々しかった。






「おはよう」


「義春か…」


「なんだよ、僕じゃ不服か?」


「そういうわけじゃない」


 疑いの目をいまだ向けてくる義春をおしのけ、俺は布団から出た。


 ふすまをあけて、サッシを開ける。桜が舞っていた。桜吹雪だ。


「そんなに桜は綺麗かねぇ」


 いつの間にか義春が隣に来ていた。腕を組んで、ふすまにもたれかかっている。


「綺麗だよ」


「じゃあ、とっておきの場所があるんだ。来るかい?」


 いたずらっぽく笑いながら義春は言った。




 そういうことで俺たちは自転車に乗っていた。自転車は1つしかなかったので二人乗りした。なんだか青春って感じがする。


「うおわっ! やっぱ二人乗りだとバランスがとりにくいなぁ」


 とかなんとかいう割に、かなりの速さが出てないか? この自転車。


「落ちて絵が描けなくなったら困るから頑張ってくれ」


「がんばるぅ」


 少し情けない声だった。




「なんでここなんだ?」


 義春快速自転車号は、昨日俺が寝ようとしていたところに着いた。


「…お父さんに殴られたときにさ、ここ連れてきてくれたの覚えてる?」


「覚えているが、それがどうかしたのか?」


「その時さ、凄い嬉しかったから。僕には暴力振るわれたことを心配してくれる人がいなかったんだよ。しかも勉強も教えてくれたし」


 まっすぐと義春の黒曜石が俺を見ている。


「なんかクサいセリフだな」


 少し、照れ隠しをした。


「うん。そうだね」


 どこまでもまっすぐに俺の目を見たまま義春は続ける。


「でもこれが一番きみに効くと思ってさ」


 そう言って、ゆっと口が弧を描いた。


「明日俺は家に帰るが大丈夫なのか?」


 あまりにもまっすぐに見てくるその目から逃れたくて、強引に話題を変えた。


「大丈夫だよ。僕のことを心配してくれた人がいるってだけでむこう6年はこの環境で生きていけるさ」


「そりゃ凄いな」


「きみだってすごいじゃないか。母親から見向きもされない環境で今の今まで生きてきたんだから。僕は心配してくれる人はいなかったけどかまってくれる人はいたからさ」


 そうじゃなかったら今頃僕はここにいないだろうなぁ、と義春はぼやいた。


「そうか」


「いまいち言葉の意味わかってないだろ、きみ」


「そりゃ、俺は絵描きだから。文学的なロマンスはわからんよ」


「『月がきれいですね』も?」


「それはさすがに知っている」


「え~、意外」


 それを聞くということは俺が知っていると思って聞いたのだろうと思っていたが、どうやら違かったようだ。

 やれやれと視線を上にむける。


「え、かあさ、、、」


 母が、いや、母の手が桜の木の下から伸びてきていた。


 いや、おかしい。俺の母がここにいるはずがない。なぜなら母は二年前服毒自殺して俺を残して逝ってしまったし最近見ているあの夢も俺が母から愛情を貰えなかったため見る半ば願望めいたものだし俺は母の幻覚を見るほど精神が弱いはずないし


「文彦さん? 顔色悪いぞ。大丈夫か?」


「問題ない。大丈夫だ」


 義春は納得がいかない、といった表情をしていたがそれ以上追及してこなかった。


 …そうだ、母がここに居るはずがない。これは義春に名前を呼ばれたから見てしまった白昼夢だ。そう。これは白昼夢だ。






「あれ? あんなところに人がいる」


「なぜあんなところに?」


 帰り道、傾いた日がやや古風な建物たちと丹塗りの橋を照らしていた。


 義春が指さしたほうを見ると橋の欄干の上に人が立っている。


「まさか、自殺する気では…」


「えっ! まずいじゃん!」


 義春の自転車をこぐ速度が更に速くなる。


「ちょっと! そこの人! 早まらない」


 義春の自転車が失速していく。


「どうした? なにかあったのか?」


「いない」


「え?」


「さっきの人、いなくなった」


 欄干を見ると確かにそこには誰もいなかった。


「目の錯覚か?」


 いや、それはないだろう、と頭の中で考える。どうすればあの真っ黒なマントと学生帽を目深にかぶった男を桜の薄桃色とオレンジの光の中で見間違うのだろうか。







 桜がひどく吹雪いている。これが雪だったのならば俺は瞬く間に体温を奪われて死んでしまうのではないか。そう思うほどに視界は桜に支配されていた。


「文彦」


 母さんが俺を呼んでいる声がする。この家に来てからずっと聞いている優しい声だ。


「文彦、こっちに来て」


 この人が母さんじゃないことくらいわかっている。


 だが、親から愛情を貰えなかった子どもに「その声を聞くな」と言うのはあまりにも酷ではないか。


 温度のないふわふわとした地面を歩いて、母さんの元へと行こう。きっとそうしたほうが


「なにしてるんだっ!」


 不意に腕を捕まれる。


 後ろを振り向くと、義春がいた。


「義春」


 カラカラに乾いた喉からなんとか母さんの元へと行く理由を絞りだしてみようと試みたが、ただ彼の名前を呼ぶことしかできなかった。


「あの人がきみのお母さんか?」


 言われて、言葉に困った。


「違うってわかってるんじゃないか?」


 あの人は俺の呼びかけに応じない。あの人は俺のことを俺の名前で呼ばない。あの人は俺のことをきみの祖父の名前で呼ぶ。


「きみにとっては酷だろうけれど、あそこにいる人、明らかにやばいじゃないか。」


 確かに生きている人の顔色ではない。暗闇の中で薄く光っているかのように青白い顔色だ。


 だが、俺はあそこに行けば愛してもらえるかもしれない。俺は愛がほしい。


 だが、それを言う前に義春は俺の腕を引き走り始めた。





「あっちに自転車がある! それに乗って逃げよう!」


「俺のことは置いていけ」


「え?」


 俺はあれが母じゃなくてもいい。俺に愛をくれそうな温かみがあるならばそれがいい。


「橋」


「?」


「今日行った橋のところまで待ってくれ」


「そこに着いてまだ君が置いて行ってほしかったらおいていくから」


 ぎっとこちらを睨んで、義春は言う。それに俺は気すいたら、うなずいていた。


「わかった」






「結局、人は人からの評価がないと生きていけない」


 春の風をきりながら義春は言う。

 自転車を運転しているため、息が上がって苦しいだろうに俺のために喋ってくれている。


「けれど、それをきみの母ばかりに依存していたら、こうなっていなくてもいずれ彼岸に引きずり込まれていただろうね」


 割ときみは辛らつだな。


「なぁ!」


 どこまでもまっすぐな瞳が俺をとらえた。


「きみを評価する人間、僕にしてくれないか?」


ああ


なんて滑稽なんだろうか


ずっと俺は母から見てもらわないと心が救われないと思っていた


それがどうだ


こんな年下の言葉で


バケモノが気にならなくなるくらい


こんなにもあっさりと


「文彦!」


 義春が俺の名前を呼んだ。


「どうだ?」


 口の端を吊り上げた義春が言う。


 百点満点越えだよ、こんちくしょう。


「やっぱりか」


 そう言おうしたが、気になることを義春が言ったのでいったん飲み込んだ。


「やっぱりか、とはどういうことだ?」


 義春が見ている方向へ目をやると、男が一人いた。


「死神のお出ましだ」


 真っ黒なマントに学生帽、バンカラのような恰好をした男が橋の欄干の上に立っていた。


「お初にお目にかかります」


 よく通る声だった。

 声の主は欄干を蹴り、上へと飛び上がる。


「わたくし、死神でございます」


 彼の腰に刺してある軍刀が抜かれる。


「貴方たちを送るのではなく、怪異専門ですが」


 抜刀



そして



 刀は人型をしたものの後ろの地面へと突き立てられた。


 地面が盛り上がり、一瞬大きな魚の形をしたような木の根が見えたが、次の瞬間にはそれは花びらになり、彼が懐から取り出したビー玉の中へ入って行った。


 無色透明だったビー玉は薄桃色に変わった。


「花吹雪

  ここで見納め

       桜散る」


 死神はそのビー玉を小瓶の中に入れた。




「チョウチンアンコウみたいですね。桜とともに現れたから桜チョウチンアンコウとかどうでしょう」


 義春はそう言った。


「その人にとって親しい人の姿かたちを借り、あの世への道連れとして人を彼岸へ引きずりこむ存在のことをそうとらえますか。いい感性をお持ちだ」


 この二人は知り合いか何かなのだろうか。


「あの、お二人はどこかでお会いしたことがあるんですか?」


「いいえ、初対面でございます」

「ううん、初対面だよ」


 二人は同時にそう答えた。


「じゃあなんで死神さんのもとに行ったんだよきみは」


「やばいそうなやつが居たらやばそうなやつをぶつけたら何とかなるかなっていう勘で今日この死神さんがいたところにダメ元で行ってみたんだよ」


 義春は真剣な顔でそういった。


「勘もいいとは。ますますいい感性をお持ちだ」


 死神はにこりと笑った。


「さて、もうわたくしはここを去らせていただきます」


 死神は学生帽のつばをつかみ、月を見上げた。


「あの、すみません」


 俺は少し気になっていることを死神が言ってしまう前に聞いておきたかった。


「はい、なんですか?」


 死神はこちらを向いた。依然として目元は目深に被った学生帽で隠れていて見えない。


「義春の祖父はその桜チョウチンアンコウに連れていかれたんですか?」


 死神は腕を組み、考えるようなそぶりを見せた。


「いえ、そうだったとしたらソレはこの世にもういませんよ。おそらく、ヨシハルさんのおじい様は安らかにあの世へといったと思われます」


「そうですか」







「きみの祖父についてはなんとも思っていないよ」


 朝、俺は荷物をまとめ駅へ行こうとしていた。

 義春が心配そうにこちらを見やった。


「本当に? 大丈夫?」


「うん。それより」


 俺はあのときの義春と同じようにゆっと口に弧を描かせた。


「勉強教えにまたここに来るよ」


 義春は自信ありげに笑い、その健康的な色をした手で俺の頭をなでてきた。


「うん、わかってたよ」


 そう言って嬉しそうに俺の腹に頭をぶつけてきた。


俺は思わず破顔した。


「だから猫かきみは」


「えっ」

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