進もう、もう一度生き抜くために。 ― 異世界で、人生をやり直す ―

みすみかなた

プロローグ

「どうしてこうなってしまったのか……。」



 いや、こうなってしまったのも自身の責任感のなさと計画性のなさ、腑抜けた姿が物語っているのだろう。


 今日だって本来であれば定時に帰れるはずだった。

 それがどうだ。普通ではありえない記入ミスや誤字脱字、上司と折り合いがつかずに言い合って、結局のところ一からのやり直し。

 いざ修正をはじめても気持ちが乗らない。また書いては誤字脱字の繰り返し。

 一呼吸入れるために深呼吸をすると「身が入っていない」と上司にまた叱られる始末。


 そんなこんなで気づけばもう23時だ。毎日この時間に帰っている気がする。これでは体を休めることも、気持ちを落ち着かせる時間でさえ取れない……。


 すべてはあの日を境に……いや、それ以前から何もかも崩れかけていたんだ。


 あいつとの婚約破断。

 なぜあの時俺は「もう一度やり直したい」という言葉が出なかったのか。

 原因はわかっている。仕事ばかりしていて彼女との時間を一切取らなかったからだ。

 ただ彼女に幸せになってもらうためにお金を稼いで、そのお金で楽をさせたくて。

 そうしているうちに彼女に愛想をつかれてしまった。

 もう少しあの時一緒にいる時間を増やしていれば。もっと現実的な考えを持っていたら。


 あいつの別れの言葉とつらそうな顔が今でも脳裏に焼き付いている。

 ずっと信用してくれていたのに……俺は裏切ってしまったんだ。


 俺はこれから親にどう伝えればいいんだ。相手の親にはどう思われているんだ。

 挨拶もして、「結婚式はいつ頃行おうか」とか。そんな会話もしていたのに。


 今からは……いや、もう遅いか。


 「ヘイッ」


 携帯の通知音が鳴る。この音はチャットアプリ、家族や親戚としか使っていないアプリだ。

 画面を付けると妹からの通知だ。画像が添付されている。

 何気なく通知ボタンを押し、妹とのチャットへ飛ぶ。


「お兄ちゃん、この前は結婚式に来てくれてありがとう!

 今日は旅行で温泉に行ってる!

 お土産買って帰るから欲しいものがあったら教えてね!」


 幸せそうな妹と妹の旦那の写真が送られてきた。桜が綺麗な場所で、奥には滝が見えている。頭には桜の花びらが乗っている。

 妹は幸せそうでよかった。

 その顔を見れば俺も心が安らぐ……。


 そう思いたかった。

 ……無理だ。


 なぜだ、幸せなことなはずなのに。

 俺は素直に喜ぶことができない。

 なんとか笑おうとするが、笑顔になろうとするたびに心が締め付けられる。

 祝福すべきことであるはずなのに。


 俺の心はどうしてこんなにも暗くなってしまったんだ。


 今では妹からのメッセージを見るだけで憎く感じてしまう。

 俺の心を突き刺し、えぐっていく。


 呼吸が浅く、動悸が収まらなくなっていく。


 ただ思い浮かぶことは……

 怒り。

 嫉妬。


 ……いや、家族にそんな思いを向けてはいけない。


 大きく深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。

 すると、途端に押し寄せるこの罪悪感。


 家族にどうしてこんな思いを向けてしまったのか。


 ネガティブな感情が思考を支配する。

 それを拒むために自身で独り言を放つ。


 「落ち着け。」

 「落ち着け。」

 「落ち着け。」


 人目もはばからず言い聞かせると、多少は気持ちが楽になった。


 ごめんな、妹よ。

 気持ちを切り替えることができたらメッセージ返すから。待っていてくれ。


 こんな時はどうするべきか。

 そうだ、コンビニか何かで美味しいものでも買って帰ろう。

 少しは気を紛らわせるぐらいはできるはずだ。


 そうとなれば今日はコンビニ飯だ。散財してやる。



 「危ない!!」



 言葉が聞こえた。

 聞こえたときには既に俺の体は宙に浮いていた。

 何だ? 何が起こったんだ。

 耳に入ってくる音がおかしい。爆音すら聞こえないが、人の悲鳴や声だけははっきりと聞こえる。

 そして視界の右真横に地面があった。


 「何だこれは、何があったんだ。」


 喋ったつもりだが口が動かない。

 体も動かない……いや、感覚が無い。

 左目が赤く染まっていく。これは……血?


 「人が轢かれたぞ! 救急車!」

 「うわっ! 酒くせぇ! こいつ飲酒運転だ!」


 ああ、そうか。俺は車に轢かれたのか。

 あの遠くで煙を出している高級そうなミニバンに轢かれたのか。


 体は動かない。痛みは正直無いが、「もうダメなんだな」ということはわかる。


 ああ。俺、今日ここで死ぬんだな。


 次第に視界が暗くなっていく。

 会社では激務や叱責ばかり、彼女には婚約破断され、妹の幸せそうな日常。

 そして最後は交通事故で人生終わりか。


 「今救急車来るからな! 意識しっかり保ってくれよ!」


 通行人が声をかけてくれている。

 正直やめてくれ、もうたくさんなんだ。


 こんなつらいばかりの人生なら、このままくたばってしまうほうがまだマシだ。

 そう思えば気持ちが楽になる。


 妹よ、ごめんな。


 せめて来世があるんだったら、楽して生きたいものだな。

 まあ、そんなものなんてないが……。





 ―――――――――





 あれからどれくらいたったのだろうか。

 視界は暗いままなのに意識だけははっきりしている。

 脳は生きているのに、他は死んだのか?


 体を動かそうとしても何も感覚は無い。

 呼吸はできないが苦しくもない。


 おそらく死んだと思われるが、死ぬってこういう感覚なんだな。

 ……怖いものだな。


 この真っ暗な中、永遠に過ごさなければならないと思うと気が狂いそうになる。



 ん? なんだ?



 中央から小さくて白い光が見える。

 その光はどんどんと強くなっていく。


 俺はまだ生きているのか?


 まだ身体からだの感覚は全くない。

 ただ、真っ暗だった視界が真っ白に広がっていく。

 視覚は戻ってきたのか?


 そうか……俺はあの事故から生き返ったんだ。きっとそうだ。

 起きたら病室の天井が見えて、ナースたちは俺が起きたと報告する流れだろう。

 一体どれだけの間寝ていたのだろうか。目を開けることができたらある程度分かるはずだ。


 そして視界がすべて真っ白になった。

 それと同時に、まぶたの存在をはっきり意識した。

 だがまだ目を開けることができない。


 なんだ? 肌が濡れているのか分からないが、風が体に当たる感覚が強く押し寄せてくる。

 というか濡れている感覚とはどういうことだ?

 俺はどんな状況なんだ?


 「―――――――――。」


 何かが聞こえてきた。

 ただそれは何を言っているのかまではわからない。

 聴覚も戻ってきたみたいだ。ならもう少ししたら何を言っているのか分かるかもしれない。


 「―――――――――!」


 しかし何を言っているのか聞き取ることができない。

 もしかして日本語ではない?

 想像以上に大きい手術となり、海外の医者が担当しているのか?

 交通事故だけでそんな大事おおごとになっているとは到底思えないが……。


 「――あぁ。」


 口がある程度動く。ただ、しっかりと喋ることができない。

 麻酔の影響?

 それとも別の何か?

 これ以上のことは、今の状況からは予想できない。


 だが口が動いたことによって、目を開けることもできそうだ……。

 さて、俺は一体どんな場所に――。



 なんだ、ここは?



 ぼやけた視界が少しずつ晴れ、景色の輪郭がはっきりしてくる。

 見たことのない景色が目の前にある。

 現代の病院とは到底思えない木造の建物。

 病院なのに木造?

 それだけではない。ろうそくなどで照らされているような、やや赤みがかった色が天井を照らす。

 ……ろうそく?

 この現代にろうそくなんて使われているのか? 俺は一体どんなところで治療されているんだ?

 少し視線を横に動かすと家具らしき物がほとんど木造で出来ているのと……。


 あれは……剣、なのか?


 どう考えても現代に置いてあるような代物ではない。明らかにおかしい。

 俺は夢でも見ているのか?


 「お疲れ様です! 元気な男の子ですよ!」


 いや何言ってるんだ?

 俺は28歳だ。もうすぐで30歳になるおっさんだぞ?

 どうして赤ちゃんみたいな扱いをされてるんだ。


 というか目の前にいる女性は何なんだ。昔風なメイド服を着ている……。


 ――昔風のメイド服?


 ちょっと待て、いくら何でも病院にしてはおかしすぎる。

 もはやここが病院ではないことは明らかだ。

 では、一体ここはどこなんだ。


 「やった! よく頑張ったなアーシャ! 俺たちの初めての子供だ!」


 ……子供?


 全く意味がわからない。

 目の前に見える男性はやや緑がかった黒色の髪によく手入れされたシャツ。

 初々しい父親になれた優しそうな表情をしている。

 日本人、もっと言えばアジア人のような顔立ちではない。どちらかというと若干ヨーロッパ人に近いか。

 肌色は特段白いわけではないが、日本人の自分にとってはある程度なじみのある色をしている。


 ……待て、少しずつ状況がわかってきたかもしれない。

 俺が……生まれた?

 これが俺の父親?


 「ええ、スペンド……。あぁ……本当によかった……。目は私に似ているわね……。」


 父親の隣には、茶髪のポニーテールの女性がやや鋭い目つきでありながらも俺のことを優しく見つめる。

 こちらの女性は力仕事が得意そうな、やや筋肉質な腕。

 その腕で俺のことを軽々と持ち上げる。


 持ち上げられる? いとも簡単に俺のことを?

 その感覚で疑問が確信へと近づいていく。


 俺は赤ちゃんになったのか……?


 ということはこれは別の世界に生まれ変わった可能性もある。

 そんな偶然が? 本当にそんなことがあるのか?

 よく漫画や小説、アニメなどで見かけるような異世界転生が?


 「奥さん、これで拭いてあげてください。」


 そういってメイド服の女性はタオルを母親へと渡す。

 そのタオルで俺の全身を拭かれる。

 やや生ぬるい温度の感覚が全身に伝わる。

 感覚があるということは……これは夢ではない?


 「タオルはこちらに……。」


 そうメイド服の人が呼びかける先には水の入った桶がある。

 顔を少し横へ動かし、桶の水面に映った自分の顔を見た。



 ――これでようやく理解した。



 今までの自分の姿ではない。

 そして生まれたての子供のような顔。

 確かに言われた通り、目の色、形は母親に似ている。


 そうか……そういうことだったんだ。


 俺は今、「転生」したんだ。

 新しい命として、俺はこの世界で生まれ変わったんだ。


 「名前は前から決めていたからな。男の子だからお前の名前はルアードだ!」


 そう父親が俺のことを抱きかかえてしゃべる。


 俺の名前は……ルアード。


 そう、この瞬間。

 俺は「ルアード」としてこの世界に生を受けたんだ。


 心の中がざわつく。

 「転生したんだ!」という気持ちでいっぱいになる。

 子供の頃に夢描いていた、大人になっても憧れていた異世界転生。

 物語だからこそ成り立っていたことが、現実になったんだ。


 今はただ、単純な感情一つだけが支配していた。



 ――俺はもう一度、一から人生を始められるんだ……!

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進もう、もう一度生き抜くために。 ― 異世界で、人生をやり直す ― みすみかなた @Misumi_Kanata

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