太陽と月

ほっきょくせい

 どうでもいい話。

小学校3年~6年生ぐらいは特に色々あった気がする。

初めての仲のいい友達。初めての喧嘩。初めての初恋。

こんなことが目白押しだった気がする。

他の人にとってはこんな話はどうでもいいことだという事。


追憶によると春のクラス代わりの季節に前の席に座っていたのが遠藤君だ。自分も似たような名前で自分から声をかけた。

「名前はなんていうの?僕も同じ名前だよ。」

あっけにとられた彼はぽかんとしていたがすぐに仲良くなっていた。

遠藤君は自分と違ってひょろっとしていて真っ白な顔が印象的だったが

頭もよくそこそこ走るのも早かった。


クラスはダイスケというサッカー少年とクラスのほとんど全員がサッカークラブに入っている状態だった。今考えると異常事態だ。あり得ない。

変なクラスだったと思うがクラスの纏まりは最高だった。


遠藤君とは暇な休日に野球をして遊んでいた。

カラーボールとカラーバット。これだけで十分だった。

彼は本も好きで少し離れた図書館まで一緒に本を借りに行くこともあった。その途中で他校の生徒から絡まれることがあった。

俗にいうカツアゲだ。自分は喧嘩も好きじゃないし、ましてや喘息だ。


喘息は酷くて発症すると歩いて学校から家に帰るまですらギリギリだった。風邪をひいて歩いて帰るのに膝に手をついて息切れが整う迄じっとしているしかなかった。なぜ生きているのかが不思議なぐらいだった。

40度近い熱が出ても親は放置していた。まぁ仕事が忙しかったのだろう。

父親は大工だったし昭和はタバコも嗜みだ。母は床屋で働いていた。

受付だったが。因みにだが本当に幼い時期は雪に歯医者までおぶって連れていかれた記憶がある。毒親というか3年生ぐらいの時期に半分放棄された。のだ。理由は後日談で。そういえば抱きしめられたり頭を撫でられたりした記憶もない。昭和はそんな世界だ。当たり前だ。


そんな事もあり3歳ぐらい?(もっと前かもしれない。)から近所の神社でラジオ体操をしていた。3歳から中学校に入るまでだ。日曜以外毎日。

狂ってる。本当に。


喧嘩の話に話を戻そう。遠藤君と少し離れた図書館に向かって帰る途中に他校の生徒から声をかけられた。「ちょっとまてよ。」やっぱり来たか。

図書館からずっとジロジロ見られていて、こいつら声かけてくるかもなんて考えていた。カツアゲされるのは初めてじゃなくて従弟の友達と(従弟は二コ上。今は警察の官僚かなんかになっていて結婚式依頼何十年もあっていない。)カツアゲされてたことがあった。

許しがたい事だったし小学生にカツアゲってお前って感じだった。

失礼な言い方にイライラしつつ「何?」と言いながら相手の一人の胸ぐらを掴んで相手を突き飛ばしていた。相手は五人ぐらいてこっちは二人勝ち目なんか始めからないとは思っていたけどやるしかなかった。もう粋がるぐらいしかない。「てめーどこのもんだよ。かかって来るならやってやるよ!!」そう言って他の奴のこめかみを思いっきり殴った。

遠藤君には先に帰ってといって先に帰らせたのを覚えている。

この一件依頼、遠藤君とは親友になった気がした。勝手な思い込みだ。

それと同時に虚しさみたいな悲壮感に教われていたのを想い出す。



この頃に習い事も始めていて、月曜・金曜日はプール。火曜・木曜・土曜日がそろばん。さらに土曜日には習字。日曜日にはサッカー。勉強する暇なんかなくて常にイライラいしていて休みたい気持ちがいっぱいだったのに、それを親に言い出せなくて毎日が歪んでいた。


ある土曜日の習字の日に低学年の靴を習字塾の前にあるアルミ缶を集めているゴミ箱の中に捨てた。理由なんかない。もう壊れていたのかもしれない。他の塾生徒が見ている前で捨てたのだ。習字(ペン字)には母が気まぐれで作ったキャラ物のバッグを使っていたのだが、それを覚えていた生徒から塾長に告げ口されて呼ばれた。

「あなたが捨てたの?」自分はもう何も言えなかったが一言「知らない」とだけしか言えなかった。習字の先生はラジオ体操の先生でもあり自分を生まれたぐらいから知っているのだ。嘘をついていたのなんてわかっていただろうがそれ以上追及されなかった。

習字の先生は奥さんでラジオ体操の先生でもあるし旦那さんはラジオ体操の先生でもう定年されていて何をされていたのか今では知る由もないのだが、隔週の日曜日に山登りに連れて行ってもらったり、元旦には明治神宮まで歩いてお参りに行っていた。毎年。楽しかったが狂ってる。

だが、サッカーを始めてしまったのでもうこれもなくなった。

「今週は山登り行けるか?」と何度聞かれても断り続けるしかなくて大変もしわけない気持ちでいっぱいだったのを記憶している。


なぜ靴を捨てたのかって?

わかっていたら他人の靴など棄てるわけがない。


この頃。毎朝学校で漢字のテストやら掛け算のテストが毎日実施されていてもう滅入っていた。学校に行くのは憂鬱だし、毎朝タカシの家に向かいに行くのも頭にきていた。タカシは毎朝プロレス技をかけてきてもうやめろといってもやってきてしつこい奴だった。何度もやれるとやり返すことも覚えるが、何せ体格差があってすぐに首を羽交い絞めにされていた。

サルで言ういわゆるマウント行為。


子供は本当に残酷だ。今思い出しても殺意が沸くことが度々ある。


このフザケタ毎朝のマウント行為のせいで他の友達から無視されて、女子からも距離を取られ挙句の果てにはノートに悪口を書かれるようになっていた。

その年の運動会のあたりで応援団長になった。

自主的だったかは覚えていない。中学生の1年までやった筈。

ちなみに応援団長で応援した色で負けたことがない。


4年の夏が過ぎた頃の秋だったか。タカシがいつもの様に体育の時間の鉄棒前でマウントを取ってきて頭に来たので、思いっきり腹にパンチを入れてやった。爽快だった。

先生はこの行為を知ってか知らずか何も言わなかった。殴った瞬間「やりすぎちゃったか?」なんて疑問が沸いたがどうでもよかった。この次の年にクラス替えがあった。タカシとは別のクラスになった。その一件依頼タカシの家のお迎えはやめた。


翌年タカシとは別のクラスになったのだが、サルは死なない。

狂った猿はタダの猿。


5年の秋口だったか運動会前にまたタカシがマウントをとってきたので右フックをかましたのだが避けられて、そのあとに右腕を何度も蹴られて腕が折れたと思った。3年の頃はスケボーをしていて腕を折ったことがあった。それ以上に痛みだ。

保健室に連れていかれたのだがこれも少し話を聞かれただけで問題にはならなかった。これが現実。


書いてて思ったのだが教師何もしてねぇな。

これが昭和だ。平成だった気もするが。どうでもいい。

今あの教師たちは何をしているのだろうか。



サッカーに入る前には家に帰ってゲームばかりやっていた。

これがきっかけで東(トン)というあだ名の友人が出来ていた。

トンがサッカーを誘ってくれたおかげで喘息も治ったし、ゲームにも詳しくなった。トントンはRPGがうまかった。裏技も知っていた。

ポーション99個今でも忘れられない裏技だ。



そんなこんなでトンとよく遊ぶようになり学校では班が一緒になることがあった。母は何故かトンの家庭環境を知っており父親が亡くなっていて兄妹は3人ぐらいいたと記憶している。

ある日の給食の日にふと気になってトンの父親について不意に聞いたことがあった。場の空気は氷ついていて「まずい」と気がついた時には後の祭り。女子からは空気読めないだのなんだの言われて、トンは苦笑いだったが一緒にゲームをしてる時、不意に実情を教えてくれた。



トンは自分が喘息の事を知っていて全く走れずに喘息が出て途中で早退することもしばしばあった事もあり、サッカーチームに進めてきた。当時は在りかなとも考え入部したが喘息は改善に向かったが良かったのか悪かったのか今でも疑問に思う所がある。



トンも絶妙に嫌われていた。トンの母親は有名な宗教に没頭していた。

大人になってみれば宗教なんてものはクソだなって言い張ることができるし、必要な人にとって見たら天からの恵みかもしれない。

ただ神様はいないかもね。としか言えない。そうだな。

宗教について書きたい事もあるが、現実を見てくれと言いたい。

この話について心のどこかで書いておけという言葉が聞こえるので。

もう読んでる人がどうであるかなんてどうでもいいのだが、もしも。

もしも神様がいるんだとしたら、とっくの昔に人間などという愚の骨頂な生物は消し去っているし、或いはボノボの様なモノに作り替える。

信じるのは勝手だ。だが信者を意図的に増やすことはQuestionだ。

神を信じている者が戦争をするのか?チャンチャラおかしい。




生とか死とか自由とか気がついて考え出した頃は幼稚園だ。

間違いなく言い切れる。深く生と死について考える日が後日あるのだが。


ある日ラジオ体操のラジオ係とハンコ係が決められる日があった。月当番で近所の少し上のオオスギ兄弟だ。


オオスギ兄弟、兄の方は何故かいつも不貞腐れていて自分に当たりが強かった。当番決めの日も地面に描いたアミダクジで決めようとしていたが、その日自分は相当悩んでしまって、「早く決めろ。見て選んでるんだろ。」

と兄に急かされた。だが何故か選べなくて「テメェ遅いんだよ。」と言われたが体が固まって選べない。そこで大人が入ってくれたが、何故オオスギ兄がいつも当たってくるのかは未だにわからないままだ。

ま。かわいがられてたしヤキモチだろうな。



不貞腐れて泣きながら家に帰る途中にもう嫌だ。

死にたい自由になりたいとはじめて思ったのが記憶されている。

因みに。自分が母親の結婚指輪をどこかへやったらしい。

それは未だに納得がいっていない。何故なら姉もいたからだ。

幼稚園入るとかそこいらで、結婚指輪で遊ぶか?普通。ないね。

俺じゃない。



結婚指輪の事で寒空の中、真っ暗な時間。

父親が帰ってくるまで外で立たされていた。

母に言いたい。指輪と俺どっち大事?

どうでもいいけどな。



そういえば神社には何千年とか何百年クラスの巨木があって

毎朝ラジオ体操するのに見守られてる気分だったのは覚えてる。

神様じゃなくてその巨木が見ていたんじゃないかな。

巨木には注連縄(しめなわ)もしてあったしな。



そういえば幼稚園の頃は私立の幼稚園に通っていた。












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