第4話

「まず、貴方のその身体は霊体……つまり、貴方は幽霊なの。それは、理解できる?」

「えっと、はい。でも、その、あの、少しだけ疑問があって」

「何かしら?」

「……昨晩、その、小さな女の子に襲われて、あの、怪我をした記憶が、微かにあるんですけれど」


 雅兎がおずおずと尋ねると、銀は視線を里見に向けた。


「ああ、里見が言っていたわ。脚が生えた、って」


 里見はこくこくと頷くと、口内に残ったせんべいをバリバリとかみ砕き、ごくんと飲み下してから口を開いた。


「っん。生えたっていうか、いつの間にかくっついていたっていうか、そんな感じでした」

「……その、記憶が曖昧で、脚が無くなっていた時の事はあまり覚えてはいないんですけど……」


 雅兎は言い淀みながら、自分の脚に触れる。


「どうして治ったのかも気になるんですけど、血がたくさん出ていた光景は少しだけ覚えていて。でも、僕って幽霊なんですよね?」


 どうしても、雅兎の脳内では「幽霊が血を流す」という状況に納得がいかなかった。

 そんな雅兎の問いかけに、銀は可笑しそうに笑う。


「そういうものなのよ」

「はぁ……」

「貴方、今しがたご飯を美味しそうに食べていたわね?」

「あ……」

「先に言ってしまうけれど、貴方は幽霊の中でもとりわけ珍しい、『生霊』に分類されるの」


 生霊。その言葉に、雅兎は息を呑む。


「生霊は、貴方の傍で飛んでいる魂とは違って、様々な要因が絡み合って生まれる。ケースバイケースだから、原因をこれだって断定は出来ないけれど……ひとまずそれは置いておくわ」


 雅兎の視線は、陽気に室内を飛び回る魂に向かった。そういえば、彼はどうして付いて来たのだろうか。


「生霊は、何らかの形で肉体との途絶が完璧に出来ていない状態。不完全な霊体なの。だから、霊体と現実の身体と、お互いの特性を持ち合わせている」

「互いの、特性?」

「ええ。貴方は霊体だから、普通の人にはまず視えない。だけど、肉体に依存している存在であるが故、怪我もするし、深ければ血も流す。お腹だって空くし、疲労も感じる」


 銀は指を折って数えるように言った。


「……まあ、血に関しては霊力がそれっぽく形や色を変えているだけだし、食べた物はその場で消滅しているんだけど」

「納得が出来るような、出来ないような」


 釈然としない様子の雅兎に、「そうでしょうね」と里見が言った。


「昨晩、わたしも柴石さんの事、人間だと思って助けに入りましたから」

「この世界、理屈では説明しようのない事ばかりよ。現に貴方の身体は幽霊であり、切断された脚が復活している。その事に関しては、わたしたちにも何故かはわからないし、正直驚いている。ま、つまりは、そういう事なのよ」


 銀はぴしゃりと断言した。

 雅兎はまだ納得のいかない風であったが、とりあえずは、と頷く。


「……わかりました。なら、また質問いいですか? 『普通の人にはまず視えない』って言いましたけど、貴方たちはその……普通の人ではない、ってことでいいんですか?」

「ま、そうなるわよね」


 ちらりと、雅兎は里見の方を見た。

 彼女はせんべいを全て食べきってしまったらしく、今度は小分けされたチョコレートを貪っている。


「わたしは普通……」


 黙々とチョコを食べながら、里見は抗議するように言った。

 けれど、銀はそんな里見にどこか含みを持った視線を向ける。


「残念だけど――人間ではあるけれど、普通の人間ではないでしょう?」

「普通……」


 語尾を小さくしてしょんぼりする里見を尻目に、銀は再び視線を雅兎に向けた。


「そういえば、自己紹介がまだだったわね。わたしは観海寺銀(かんかいじぎん)。このアパートの管理人兼、里見の後見人をしているわ」


 コンコン、と。

 そこで再び、部屋の扉をノックする音が響いた。


「おはよー。さとみんはいる?」

「いるよ」


 里見が大きめの声で返事をする。

 すぐに扉が開き、雅兎には見覚えのない少女が顔を覗かせた。

 ぱっつん前髪のオカッパヘアが特徴的な、日本人形のような美少女だ。


「お客様?」


 来訪者の少女は雅兎と視線を合わせると、驚いた素振りを見せた。


「入って来て良いよ。何か用事?」

「なら、お言葉に甘えて」


 ずかずかと入って来た少女の出で立ちに、雅兎は目を剥いた。

 ゴテゴテの黒いドレスに、白いフリルがふんだんにあしらわれた衣装。雅兎の生活圏では中々お目にかかれない、ゴシックロリータ服だったからだ。


「いやぁ、大した用じゃないんだけど、指定ごみ袋がなくなっちゃってさ。一枚もらえないかなーって」

「はいはい」


 里見は立ち上がり、台所の下から黄色いポリ袋を一枚取り出して手渡した。

 服装と会話内容のギャップがすごい。


「ありがとう!」


 礼を述べると、少女は風のように玄関から出て行った。

 手を振って見送った里見は、戻って来るとまたコタツに入った。いつ取り出したのか、今度は柿の種の袋を抱えている。


「あの娘も、普通の人ではない?」


 雅兎の問いに答えたのは、銀だった。


「ええ。二つ隣の部屋、二○三号室に住んでいる鉄輪瞳子(かんなわとうこ)。見ての通り、座敷わらしよ」

「……は?」

「もう、座敷わらしよ。知らない? 幸運を呼ぶ妖怪なのだけど」

「いやその、知ってますけど……イメージとかなり違って。というか、妖怪って、え?」


 狼狽する雅兎に、銀は「呆れた」といった表情で肩をすくめた。


「昨晩、貴方を襲ったという幼女も、立派な妖怪よ」


 雅兎がくるりと首を曲げて里見を見やると、彼女はこくこくと頷いた。

 ボリボリと貪り食べる柿の種の袋は、もう中身が空になりかけている。


「っん。……あれは夜雀。貧弱な妖だけど、その中では強い方。一時的に視力を奪う力を持っているから、すぐ逃げられます」


 里見はそう言って、袋の端っこを口に付け、上を向いた。

 ザラザラと、底に残った柿の種を口の中に流し込む。

 あまり上品な食べ方ではなかったが、自分も時々やってしまうので雅兎は何も言えなかった。


「妖怪や妖精、怪物なんかもそうだけど、こういった人成らざる存在は、大きく二つに分類出来るの」


 驚く雅兎に、銀はにこりと笑って解説する。


「知性を持つか、持たざるか。前者と後者を比べれば、圧倒的に前者の方が能力は高く、危険な存在。人間に危害を加える奴らだっている。里見は、そんな危険分子を排除する事を生業としているの」


 再び、雅兎の視線は里見の方を向いた。

 彼女は今、飴玉の包装を剥いでいる途中だった。

 無表情に見えるが、飴をじっと見つめて嬉しそうにしている。とてもではないが、銀が言うような化け物と戦う姿は想像出来ない。


「……あげます」

「あ、どうも」


 雅兎の視線を「物欲しそうな目」と捉えたらしい。

 包装されたままの飴玉を押し付けられ、雅兎は困惑しながらジーンズのポケットにしまいこんだ。


 しかし……こうして頓狂としているように見えるけれど、雅兎は昨晩しっかりと目撃している。

 夜雀と呼ばれるあの妖怪を、里見が軽くあしらったところを。


「退魔師、みたいなもの、ですか」

「概ね、間違っていないわ。まあ、一般的な退魔師とは、少しだけ違うけれど」


 そういえば、と雅兎は先ほどの少女を思い返す。

 銀はあの少女を座敷わらし――妖怪であると言った。しかし、里見と座敷わらしの関係は良好なようだった。

 つまり、あくまで人間に害を為す妖怪だけを相手にしている、という事だろう。


「ということは、管理人さんも、観海寺さんと同じ仕事を?」

「わたしは違うわ。わたしはあくまで、このアパートの管理人。ここは、普通の賃貸とは少し勝手が違うのよ。なんとなくわかるでしょう?」

「まあ、それなりに……」


 そりゃあそうだろう、と雅兎は心の中で呟いた。

 妖怪をボコる女子高生に、ゴスロリの座敷わらし。雅兎が出会った住人はたった二人なのに、この濃いメンツである。


   ◇ ◇ ◇


 会話に一区切りが付いたところで、里見が立ち上がった。

 窓から見える外の景色は、もう十分に明るい。


 里見は壁に立てかけてあった鞄を掴む。


「わたし、学校行くけど」

「あら、もうそんな時間なの。行ってらっしゃいな。鍵は閉めておくわ」


 里見は頷いて、玄関に向かった。

 靴を履いて立ち上がった背中に、雅兎は声をかける。


「あの!」


 里見は振り向いて、小首を傾げた。


「はい?」

「昨晩は、ありがとう。おかげで助かったよ」

「……別に。……それに、」

「ん?」


 里見は雅兎の瞳をじっと見つめ、何か言いたげに俯いた。

 言葉を探している様子だったので、雅兎は彼女が口を開くまで待つことにした。


「……里見、遅刻するわよ」


 銀の声にはっ、となった里見は、慌てて去っていった。


 バタン、と部屋のドアが閉まる。

 静寂が戻った部屋で、銀がぽつりと呟いた。


「良い心がけね。確かに、里見が駆けつけなければ、貴方はとっくに死んでいたわ」 「もう、殆ど死んでいるようなものですけどね……」


 苦笑する雅兎に、銀は深いため息を落とした。

 まるで、「貴方は何もわかっていない」と言いたげな瞳に、雅兎の表情が引き締まる。


「本来、人の魂が妖怪に食べられるなんてありえないケースなの」

「そう、なんですか?」

「ええ。人の魂は、死後すぐに三途の川へ飛んで行くから、妖怪の目に触れる事が殆ど無い。地縛霊みたいに『妖怪化してしまった』場合や、貴方みたいな生霊を除いてね」


 銀の声のトーンが、一段低くなった気がした。


「人の魂は密度の濃い霊体だから、妖怪にとっては格好の餌食。ごちそうなの」

「妖怪も、食事をするって事ですか」

「まあ、本来は必要ないのだけどね。でも、人間にとってそうであるように、食事は欲求の一つに変わりないから、嗜好として知性の無い妖怪を食べる奴らもいる。そんな彼らにとって、貴方は涎が出る程の美食よ」


 なるほど、と納得した直後、雅兎の背筋に悪寒が走った。

 雅兎が「その事」に気づいたのを察したのだろう。銀は冷徹なまでの事実を告げた。


「肉体を持った状態の死と、今の貴方が経験した場合の死は、平等ではないの」 「そう、なんでしょうね」


 肉体が死んでも、魂だけが三途の川へ飛んで行く。

 それがどういう状態なのかは分からないが、自分のすぐ近くをブンブンと飛び回る人魂を見ていれば、ある程度の意識が残っている事は察せられる。


 しかし。

 もし、今の状態の雅兎や人魂が、霊体のまま死んだ場合はどうなるのか。


 喰われる。

 恐怖すらも感じ得ない、完全なる「無」しかありえない。


 かつて目にして以来、雅兎の目に焼き付いて離れない、とある少女の死が思い出された。


「ま、手早く元の身体に戻ってしまう事ね」

「……わかりました」

「なら、もう少ししたら出ましょうか。経緯は知らないけれど、大体の心当たりはあるのでしょう?」


 雅兎は頷いて、昨日事故にあった時から今に至るまでの出来事を、銀に掻い摘んで説明した。

 全てを聞き終えると、銀はおもしろそうに笑った。


「興味深い事だらけね」


 銀はちらりと、雅兎の肩付近に浮かぶ魂に目をやった。


「まあ、それはさておいて。事故に巻き込まれて身体が生きているとしたら、その身体が今どこに有るかなんて、簡単なことよね」


 その場に放置されたままであるのなら、とっくに息絶えているだろう。

 有り得る可能性としては、救急車に運ばれて病院、というパターンだけだ。


「この辺りの救急病院を巡ってみましょう。本来ならば里見の仕事だけど、今回は特別に、わたしが同行してあげるわ」

「よろしく、お願いします」


 それから一時間程、里見の部屋で他愛の無い会話をした二人。

 大抵の病院で面会時間に入る頃合いを見て、雅兎と銀はアパートを後にした。


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事故ったら生霊になったので、訳あり美少女JK退魔師と同棲します。~最強の管理人に吸血鬼、座敷わらしまでいる魔境アパートですが、僕の「時間回帰」能力が一番チートでした~ 秋夜紙魚 @Autumn_Night_Bookworm

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