事故ったら生霊になったので、訳あり美少女JK退魔師と同棲します。~最強の管理人に吸血鬼、座敷わらしまでいる魔境アパートですが、僕の「時間回帰」能力が一番チートでした~

秋夜紙魚

第1話

「危ない!」


 叫ぶと同時に、柴石雅兎(しばせきまさと)の身体は道路へと飛び出していた。  視界の端に映ったのは、腰を抜かして座り込んでいるセーラー服の女子高生。そして、速度を落とさずに突っ込んでくる大型トラックの威圧的なフロントガラスだった。


 間に合わない。

 雅兎は咄嗟に彼女を庇うように両手を広げ――。


 ドンッ、という鈍く重い衝撃。

 浮遊感。

 そして、世界は唐突に暗転した。


   ◇ ◇ ◇


「……で、だ」


 気がつくと、雅兎は川辺に立っていた。


 足元には灰色の砂利。辺り一面は濃い霧に覆われていて、数メートル先も見通せない。

 耳を澄ませば、さらさらと水の流れる音がする。右手側には、対岸が見えないほど巨大な川が流れているようだ。


「ここ、どこだ?」


 雅兎は確かにトラックに撥ねられたはずだった。

 あの衝撃、全身を粉砕されるような痛み、息苦しさ。死ぬ瞬間の記憶は鮮明に残っている。

 だというのに、今の彼は五体満足だ。服装も、就活用の着慣れないスーツではなく、普段着のシャツとカーディガン姿に戻っている。


「夢、か」


 そう呟いて歩き出した直後、顔面に何かがぶつかった。


「うわっ」


 尻餅をついた雅兎の目の前に、それはいた。

 真っ白で、ぷにぷにしていて、尻尾が生えたソフトボール大の球体。

 どう見ても、漫画やアニメでよく見る「人魂」だ。


「……なんだこれ」


 そいつは雅兎の周りをふよふよと飛び回り、指でつつくと、まるでペットの犬か猫みたいに懐いてきた。

 ひんやりとした冷たさはあるものの、不思議と嫌な感じはしない。


「お前も、迷子か?」


 人魂は答えない。ただ、雅兎の肩にちょこんと乗っかって、居心地良さそうに震えた。


「――こりゃあたまげた。あんた、人間かい?」


 不意に、霧の中から声がした。

 現れたのは、和服姿の、息を飲むほど美しい女性だった。

 燃えるような赤い髪に、金色の瞳。そして何より目を引いたのは、側頭部から伸びる二本の立派な角だ。


 彼女は三途の川の「鬼」だと名乗り、呆れたように雅兎を観察した。


「なるほどね。あんた、『生霊』だよ」

「……はい?」

「肉体はまだ生きてる。魂だけが勘違いして、こっちへ飛び出してきちゃったってわけさ」


 生霊。

 つまり、雅兎はまだ死んでいないということか。


「かなりレアケースだね。普通、生霊は人の形を保っていられないもんだけど……ま、いいや。帰りな」


 鬼は雅兎の背中をバンと叩き、霧の向こう――現世の方角を指差した。


「帰りたい場所を強く念じて、来た道を引き返しな。そうすれば戻れる」

「あ、ありがとうございます!」

「……ん?」


 鬼は雅兎の肩に乗っていた人魂を指差して、ニヤリと笑った。


「そいつ、あんたに憑いちゃってるよ。無理に引き剥がすのも面倒だし、連れていきな。無事に元の身体に戻れる保証はどこにもないけど、それでもいいならね」


 こうして、雅兎は謎の人魂を相棒に、現世への帰路についたのだった。


   ◇ ◇ ◇


 霧が晴れると、そこは見慣れた景色だった。

 大学の近くにある公園だ。


 真夜中なのだろう。辺りは暗く、静まり返っている。

 見上げれば、時計塔の針は深夜一時を回っていた。


「戻って……これたのか?」


 雅兎は自分の身体を見下ろした。

 手足はある。服も着ている。

 けれど、彼の肩の周りでは、あの白い人魂が元気に飛び回っていた。


「本当について来ちゃったよ……」


 とりあえず家に帰ろうか。

 そんなことを考えながら公園の出口へ向かっていると、街灯の下に小さな影を見つけた。


 白いワンピースを着た、幼い女の子だ。

 こんな真夜中に、一人ぼっちで佇んでいる。


「どうしたの、こんな夜更けに――」


 言いかけて、雅兎は口を噤んだ。

 今の自分は幽霊(生霊)らしい。普通の人には見えないし、声も届かないはずだ。

 何かが間違って、独り言が聞こえでもして怖がらせても悪い。そのまま通り過ぎようとした時だった。


「お兄ちゃん、だあれ?」


 透き通るような声。

 少女は雅兎の方を振り向き、ニコリと笑った。


「えっ……僕のこと、視えるの?」

「お兄ちゃんは人間? それとも幽霊?」


 無邪気な問いかけに、雅兎は答えに窮した。

 今の彼は、生きている人間ではない。かといって、死んでもいない中途半端な存在だ。

 だが、少女は雅兎の答えなど待ってはいなかった。


「まあ、どちらでも良いや」


 少女の黒い瞳が、ねっとりと雅兎を捉える。

 その瞳の奥には、底知れない闇が広がっていた。


「食べちゃえば、一緒だしね」


 ドンッ、と爆発的な衝撃。

 雅兎の視界が反転し、地面に叩きつけられる。


「――っ!?」


 何が起きた?

 逃げようとして、足に力が入らないことに気づく。


 恐る恐る視線を下げた雅兎は、絶句した。


 ない。

 あるはずの彼の右脚が、膝から下が、消滅している。

 地面に飛び散る、大量の赤い液体。


「うわああああああああああああああ!」


 遅れてやって来た激痛が、脳髄を焼き切る。

 痛い、熱い、怖い!


 自分は幽霊ではないのか?

 霊体なのに、血が出るのか?

 痛みを感じるのか!?


「もう、逃げちゃだめだよぉ」


 見上げれば、そこに「人間」はいなかった。

 少女の背中から生えているのは、巨大な翼。

 その翼は、鋭い牙が幾重にも並ぶ、醜悪な捕食者の顎そのものだった。


「ひっ……!」


 トラックの前で感じた死の予感。

 まさしく同じだ。

 目の前にあるのは、確実で、冷酷で、逃れようのない捕食という名の死だ。


「うわぁ、なによこれぇ」


 少女――いや、化け物が顔をしかめる。

 雅兎についてきたあの人魂が、少女の顔にまとわりついたのだ。


「やめろ、逃げろ……!」


 叫ぼうとしても、喉からはヒューヒューと空気が漏れる音しか出ない。

 人魂の抵抗も虚しく、化け物の翼が一閃する。人魂はハエのように叩き落とされ、地面に転がった。


「ああ、っ」

「もうっ、邪魔ぁ!」


 化け物は雅兎に向き直り、口元を三日月型に歪めた。

 それは、獲物を前にした捕食者の笑み。


「人間でも、ばれなきゃいいよね? いただきまぁす」


 大きく広げられた翼の顎が、雅兎の頭上へ振り下ろされる。

 終わる。

 トラックから助かったのに。三途の川から戻ってきたのに。

 こんな訳のわからない化け物に食われて、終わるのか。


 ――閃光。


 一筋の銀色が、夜の闇を切り裂いた。


「ふぇ?」


 間の抜けた声と共に、少女の片翼が宙を舞う。


 雅兎と化け物の間に、誰かが割り込んでいた。

 風になびく黒髪。

 深夜の公園には不釣り合いな、黒いセーラー服。

 そしてその手には、漆黒の刀身を持つ日本刀が握られている。


「契約違反ね、夜雀(よすずめ)」


 鈴を転がすような声。先ほどまで笑って雅兎に襲いかかっていた少女は身体をびくりと震わせて後退した。


「な、なによぉ!」


 さらに、一閃。残っていた片翼をも切り離す。五歩、いや六歩分は離れていたはずの距離を、女性は一瞬で詰めたのだ。


 へたり込む少女に、女性は刀の切っ先を向ける。


「調子に乗って、人間を食べようとしたのは誰? 有象無象の意思なき妖怪なんかを食べる分なら許してあげると、以前警告したはずよ」

「っ、くそぉ! この化け物めぇ!」


 ばっ、と少女が両の手のひらを女性に向けた。


「っ」


 一瞬の間だけ、女性の身体がふらついた。少女は作られた刹那の時間に背中を向けると、すたこらと逃げていった。


「覚えてろぉ!」と捨てていった台詞。女性は息を吐いて、地面に倒れこんだままの雅兎の方を向いた。


 セーラー服を着ていたから「もしや」とは思っていたが、女性の顔は高校生らしい、大人と子どもの中間くらいのものだった。

 切りそろえられた猫毛と、ぱっちりとした大きな二重瞼。

 その奥にあるブラウンの瞳は宝石のように透き通っていて、自分の汚れた青色の瞳よりずっと綺麗だと、雅兎は朦朧とする意識の中で感嘆した。


「貴方、それだけの霊力があるのに、こんな夜更けに出歩くなんて正気? しかも、夜雀ごときに負かされてるなんて」


 女性の言葉の意味を問いただしたかったが、痛みと疲労とで、その意識はもうこと切れる寸前であった。


「ちょっとっ」


 瞼を落としてしまう直前に見えたのは、先ほどまで凛として化け物と相対していた剣士ではなくて、焦った顔で駆け寄ってくる、歳相応の表情をした女の子の姿だった。


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