「本音」

ナカメグミ

「本音」

 なぜ今、笑っているのか。自分でもわからない。騙されたと思っている。なのになぜ今、それのために笑っているのか。被害者を増やすだけなのに。加害者には、なりたくないのに。


 ひざの上に、4歳になる愛娘。隣りには、1度は愛した夫。夫のひざには愛する息子、2歳。背後に雄大な山。草原に置かれた木のベンチ。腰掛ける4人家族。

 前方にあるカメラのファインダー。カメラマン。親しげに声をかける。「リラックスして」と声をかける。その傍らに、スーツを来た男女。


 なぜ笑う?。なぜ、こんなことになった?。でも笑う。笑顔に見えるように、口角を上げる。ここでの役割を、早く切り上げたい。


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 「移住しようか」。東京中央線の西のはずれ。賃貸マンションの2階。

IT系企業に勤める夫が1年前、突然、言った。夫。東京生まれ、東京育ち。大学を卒業後、今の会社に就職。私、大学進学を機に上京。同じ会社で夫と出会う。26歳で結婚した。


 まもなく授かった子ども。不規則な仕事。長時間勤務。第1子の妊娠の時、切迫流産になりかけた。仕事を辞めた。その間、夫は長時間通勤、不規則勤務、長時間勤務のオンパレード。ハードな生活に耐えてくれたことは、感謝している。そこに訪れたコロナ禍。


 リモート勤務を経験した夫は、悟ったという。「どこでも働ける。パソコンとネット環境さえあれば。どこでも」。そうだろう。あなたが勤めているのはIT系企業だ。

 

 テレワーク。リモートワーク。ワーケーション。2拠点生活。

 あのころ、日本中で、どれだけ多くの人が同じことを考えただろう。目端の利く自治体は、この夫のような人々のための宿泊施設、宿泊プランを用意した。


 舐めていた。子どもがいては、そんなに簡単に移住などできまい、と。舐めていた。東京生まれ、東京育ちの夫を。その行動力を。決断力を。そのオツムの浅はかさを。


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 「ここなんか、いいと思うんだけど」。ある日、仕事から帰った夫が、パンフレットを食卓テーブルに広げた。23区内の公共空間でやっていた「移住者フェア」のブースに、立ち寄ってきたという。


 ページを繰る。私の故郷の北の地。でも訪れたこともない、小さな自治体。雪の多さで有名だ。

 雜誌顔負けの、質の高い写真が並ぶ。家族持ち。趣味にこだわった独身の男性や女性。エピソード。こだわりの工房を開いた。地元の食材を生かした飲食店を開いた。第2の人生、農業に全力を注いでいる。限りなく自然とたわむれる仕事につけた。

 都会の喧騒に流されない、充実した時間。あたたかい人々。美しい写真。自己実現のオンパレード。ホントか?。無条件に信じるか?。これを。

 

 夫は付箋をつけたページを指差し、力説した。

「ここ、見てみ?。子育てしやすいまち、全国でなんと、この順位だって?。うち、せっかく男と女、1人ずつ恵まれたんだし。やっぱり最高の場所で、のびのび、育ててあげたいじゃん。こんな、せこせこした場所じゃなくてさ」。

 

 最高の人質「子ども」。最高のエサ「のびのびした子育て環境」。

 つい先日まで、あなたのその口は、子ども2人の私立中学受験の資金プランについて、語ってはいなかったか?。あなた自身が経験したような。

 公立では受けさせられない、世界に通用するグローバルな教育を受けさせたいと、語ってはいなかったか?。

 コロナ禍が収束した今、生活基盤を築きつつあるここでは、だめなのか?


 3歳。1歳。食事、洗濯、排泄、散歩、風呂。

目の前の命を繋ぐことに追われる日々。少し目を離したら、まんまと外部からのエサに食いついてきた。この愚か者が、自分の夫である悔しさ、自らの決断の過ちを悔いる。


 「ルー、ルルルルー、ルルルルーって言ったら。あれ、来たりして」。国民的人気ドラマのまねをして、自ら笑う。

バカか。あれはエキノコックス持ちだ。地元でやるバカは、いない。

 昔はりりしく見えた顔。いまは現実を知らないアホ面にしか見えない。


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 バタバタと移住が決まった。子ども2人は、まだ未就学児。あちらでの生活に慣れなかったら、帰ってきてもいい。子どもは幼い。自らの収入もない今、夫の流れにのるしかなかった。

 

移住先の暮らしでの本音


「人々が、みんな温かく優しい」。

家族4人。2人の子どもを連れて歩く。道で。店で。公共施設で。声をかけられる。高齢の女性。目を細め、近づいてくる。

「かわいいね」。子どもの頬を触る。

「ここはいい町だよ。自然も多いし」。

「お父さん、えらいね。いい決断をした!」。

 息子を腕に抱き、相好を崩す夫。「お体、お気をつけて」。家ではきかない優しい声音で、老婆の健康を気遣う。満足そうな夫。


家族の決断で褒められるのは、いつだって男。夫。父親。

家事、育児。現実の生活を支えるのは、いつだって女。妻。母親。おまけ。悔しい。


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「都会へのアクセスもバツグン」。

 政令指定都市まで、車で高速4時間。休日の早朝。家族4人でマイカーに乗る。

 子どもの世話をしながらの外食、人混みの中の買い物。ネットで物は買える。そうではない、選ぶ楽しみ。でもそれは、子どもたちの服。

 1人で来られたら、どんなによいだろう。まだ30歳。1人で映画を見たい。大きな本屋を、ゆっくり歩きたい。コンサートにも行きたい。あの田舎では縁のない、子育て効率が最優先ではない、流行の服を着てみたい。

 私はあの山の中で、一生を終えるのでしょうか。


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「恵まれた子育て環境」

 まちには、大きな知的複合施設が中心部にある。図書館、そのまちの主たる産業である林業と、その木工製品を展示する空間、子どもたち用の自習室、まちの人が集う集会室。ミニコンサートが開ける小さなホール。

 窓の外には豊かな自然。子育て世代が集える子育てセンター。保育施設も完備。

 移住者の中には、夫婦が同じモチベーションでこのまちにやってきた意欲的、活動的なものもいる。子ども連れで移住した母親たちは、ここで集い、情報交換をする。

「来るんじゃなかった」。言えない本音。


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「自然豊かな生活環境」

 冬。雪。想像以上。この北の地は広い。私の故郷は寒いかわりに、雪が少なかった。

 このまちは山に囲まれている。夏は30度以上、冬はー30度。寒暖差60度。雪。赤いママさんダンプは必需品。雪かきショベルにスコップ。金属製は重い。プラスチック製は軽いが、固い雪にあてると壊れやすい。使い分ける。肩が痛い。腰が痛い。首が痛い。つらい。

 子どもたち、雪山でそり滑り。笑い声。楽しそう。つらい。


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 複合施設。今日も集う。子どもら、遊ぶ。母親、話す。窓の外から駐車場をみやる。外車、停まった。都会からの観光客夫婦。女。私と同じくらいの年。冬。マークが象徴的なブランドもののダウン。ヒールの高いブーツ。ヒール。履けないヒール。雪かき。子育て。ヒールは無理。

 女。トイレへ。後を追う。頭に衝撃。意識がとんだ。


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 もう、本音で話していいですか?。疲れます。正直いいますと。

でも同じところで暮らすとは、だいたい、そういことなのではないでしょうか?。

 ずっと同じ景色を見ながら、ずっと同じ人間関係。毎日毎日、同じようなことを、繰り返していく。


 ただ人間関係が、祖父、その息子、またその息子と。同じ苗字の中で顔ぶれが入れ替わっていくだけ。閉塞感は強いんです。嫌にもなります。だから私も、1度出ていきました。東京の大学に進学したんです。でも帰ってきました。東京で働く生活が、どうにも性に合わなくて。


 昔はまちの観光協会が、あちらこちらで観光キャンペーンを打って。観光客が来てくれればよかったんです。でも今は、観光客が落とす一時しのぎのお金だけでは、どうしようもないんです。まちを維持するために、人口を増やしたい。そこで移住者です。


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 移住者を招くことは、お金がかかります。コンサルタント、広告代理店、WEBデザイナー。「移住者フェア」を打つ。お金をかけて。

 興味を持っていただいた方には、お試し移住を勧める。ミスマッチを防ぐために。まちでの暮らしに、なじんでもらえそうな夫婦や家族に来ていただけると、ありがたいんです。

 彼らのために、空き家や古民家をリフォーム、リノベーションします。ここでもお金です。移住してきた方には、移住支援金、住宅取得・改修支援など。またお金。


 ネットやSNSで発信していくのは当たり前の時代です。そして紙媒体。移住のハウツーを記した冊子。実際に住み、充実感を味わっている人の生活ぶりを載せた冊子。

 動画と紙媒体で、同時に展開する。映像でポジティブなイメージづくり。紙のハウツー冊子は、具体的な家族会議で使っていただく。


 今の若い人は、動画の編集やおしゃれなリーフレットを作るのに、長けています。自分のYouTubeで、店をあっという間に人気店にする若者もいます。

 それは彼らが民間人だから。私達には失敗は許されない。だから、多額のお金を払ってプロに発注します。


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 あの奥さまのご家族は、来週から首都圏で始まる「移住者フェア」で配る冊子の、巻頭に写真入りで登場するご家族です。今、何か事件を起こされては、あの冊子は使えなくなってしまう。困るのです。


 子育てセンターに集うあの奥さまの友人が、最近様子がおかしいと、教えてくれました。家の中から言い争いをする声が、頻繁に聞こえると。役所に手続きに来たときに、教えてくれたのです。

 だからこっそり、見ていました。そしたら、あの日、観光客の女性のあとを、トイレまで虚ろな目でついていった。何かされては困ります。頭を殴って、羽交い締めにして、トイレの外に出しました。通報されて、傷害容疑で逮捕されてしまいました。 


 構いません。私はどうなってもいい。貴重な町の税金で作った冊子は、守ることができました。「移住者フェア」も、問題なく開催できるでしょう。私がいなくても。部下がきちんとやってくれます。

 そういえば、刑事さんも転勤族ですね。これから私がお会いする検察官、裁判官・・。そういえばみなさん、転勤族ですね。少しだけ、複雑です。

 私ですか?。公務員です。このまちの役場の、移住・定住推進課の課長をしております。

(了)

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「本音」 ナカメグミ @megu1113

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