第三章

第9話:執行

 煉瓦造りの壁、壁、壁。聳え立つ建物に囲まれた、空が狭く見えるほどの閉鎖的な路地を二人は歩いていた。電気がある時代とは思えないような前時代的な馬車が、荷物運搬のために横を通っていく。吹き抜ける風と共に最低限の整備がされた道路と車輪がぶつかる音が街を活気づける。胸を張りながら進むアルラの背に追いつくように、ノードはどこか体を縮こまらせながら足を動かす。すれ違う人々は例外なく不信の視線を向けてきていて、なんだか休まる暇が無い。

「なぁ、やっぱりまずいんじゃないか?」

「平気よ平気。逆に自信なさげにしてる方がライクアってバレちゃうんだから」

「いや……それ以前の問題なんだよ。こんな変な格好してたら、注目されないわけにはいかないだろ……!」

 店に留まっていては撤廃派に目をつけられる、という理由で二人は外に出てきたのだが、当然外でもありのままの姿でいれば、アルラはあまりにも目立つし、ノードはライクアだから厄介事に巻き込まれてしまうだろう。そのため、ノードはいつものように顔にファンデーションを塗った後、地下室の棚の中で眠っていた防塵マスクを彼女に付けさせられた。一方、アルラの顔には溶接マスク。これは見慣れている彼からしたら違和感が無いのだが、やはりどうしても中世的な街の雰囲気の中では浮いてしまっている。挙げ句の果てには二人揃って、黄色のつなぎを裏返して着ているのだった。元々の色だと目立ちすぎるという意見が一致した後に、だがこれ以外に服が無いという彼女の苦笑いを見た時は、流石に呆れてしまった。結局現状としてはいつもの店の制服を裏返して、中の白い繊維が飛び出した状態の薄黄色のつなぎという奇妙なペアルックで街を闊歩することになってしまっている。そして案の定、人々の視線を集めすぎていた。

「時間あったら……服買いに行こうぜ。俺、このままじゃライクアだからとか以前に、恥ずかしくて歩けねぇよ」

「えぇ〜服……!? 勿体無いよ。それにお金使うぐらいならさ〜、もっと……新しい工具とか〜、金属の研磨剤とか、そういうのを買い足せばさ〜」

「はぁ……。うだうだ言ってないでいいから行くぞ」

 アルラの腕を掴み、ノードは早歩きで人の波をかき分けていく。彼女は頬を赤らめながら、驚いた様子でその足の動きに無理やり合わせる。

「ちょ! いきなり触るなって……うわぁ! えぇ〜!? 本当に行くの〜!?」


 住居はもちろんのこと。電気屋、本屋、道を数十メートル占領する市場など、ネスメイはどの路地も人で溢れ返っており、どこからでも喧騒が聞こえてきた。だが、どれだけ歩いても道を歩くライクアの姿は一人も見つけられない。恐らく彼らを運搬しているであろうと思われる馬車が道を通ることはあれど、撤廃派の影響か、はたまた世の中の風潮そのものか、そこには人々が暮らす風景しか無かった。

「思ったより、高いな……」

 服屋のショーウィンドウと向かい合いながら、ノードは飾られている値札を見て驚愕した。帽子だけで、アルラが腰にぶら下げている麻袋に入った金貨のおよそ十倍。今一番推しているであろう服の全身のセットは、もう桁が数え切れないほどになっている。

「ね、だから言ったでしょ。服なんてね、高級品なの。こういうのはね、いわゆる中心地区のナーリブにいる貴族達か、ネスメイの富裕層しか買わないのよ。私やあんたには夢のまた夢ってわけ」

 ノードはガラスにじっと手をつけて顔を近づける。大きく売り出している服のセットのその隣に飾ってある白いワンピースが、彼は惹かれていた。だが、それも少し値段は下がるものの、到底自分達が手を出せるものではない。唇を強く噛み締め、苦虫を飲むような顔でそれを睨みつける。

「あれとか……。アルラには似合うと思うんだけどな……」

「えっ……? い、いや、ありがとう。でも、それも買えないし、」

 街の喧騒に飲み込まれてしまうような、弱々しい声が響く。ガラスに反射する彼女の姿はなぜか体を縮こまらせており、足は地団駄を踏んで落ち着きがない様子だった。そんな中、ノードは頭の中で昨日のシルバの言葉をふと思い出す。

「両親が亡くなってからはあの子が、ずっと一人でこの電気屋を管理してた。まだ年端もいかないお嬢ちゃんだった頃からも、ずっと。それを見てて、アタシ、赤の他人だけど気の毒に思ってたんだ。だからね、今、新しく誰かがあの子の近くにいるっていうのはなんだか嬉しいんだよ」

 ずっと、一人。両親なんて存在はライクアには分からないけど。拠り所を無くして、孤独で。それでもただひたすらに生き続けて、その過程で彼女はノードを救ってくれた。その事実がどれだけ重くて、どれだけ稀有なものなのか。恐らく今の自分にはまだ分からない。でも、別にそんな難しくて考えなくてもいいのかもしれない。

「なぁ、アルラ」

「ん?」

「俺、もっと電気屋頑張るよ。電気屋の仕事、めちゃくちゃ頑張って、いつになるかわかんねぇけど、すげぇ量のお金稼いで。そしたら、お前にこのワンピース買ってやりたいって思う」

「え、えぇ……? 気持ちは嬉しいけど……そもそも私、こんな華奢なの多分そんな似合わないよ、」

「いや、似合う。もし、嫌だったら別のでも良い。でも、俺はこれが一番似合うと思う!」

 つい前のめりになって訴えかけてしまい、気づいたらアルラとの距離が異常に近くなっていた。片手で彼の頭を押さえるようにしながら目線を外し、もう片方の手で必死に髪を弄るその落ち着かない姿を見せる。そのまま向けられた圧に負けるように彼女は更に顔を赤くさせ、極度に震えた唇から言葉を漏らす。

「そ、そんなにあんたが言うなら……この、ワンピース? 買ってくれたら嬉しい……けど。いや嬉しいっていうか、その、なんというか……。でも、いつか、いつかの話ね……! うちの電気屋、そんなに稼げるわけじゃないから……」

「分かった。なるべく、早く実現出来るように頑張る」

 ノードが何食わぬ顔でアルラの体から離れると、彼女は全身で息をするようにして体を揺らしていた。彼は彼女がなぜそんな風に動揺するのか、いまいち掴めなかったが、怒っている訳ではなさそうだったので特に深く考えることはやめた。二人の間に生まれる静寂。だが、それはその世界の静寂と偶然重なった。そしてその一瞬の時をバネに、突然二人の背後の道を走る民衆が国中に響かせるような勢いで声を荒げた。

「これから国王が直々に今年の継承式について話されるぞー! 場所はナーリブ入り口前のリオネブルク城が見える広場だー! みんな急げー!」

 号令を皮切りに、先ほどまで道に散らばっていた人々が一気に同じ方向へ走り出した。それはまさしく雪崩のようであり、駆けてくる群衆は道をほとんど埋め、その勢いに二人も巻き込まれてしまった。腕を動かすことすら出来ないほど人に密着した状況。先ほどかなり近いと思われたアルラとの距離感が可愛く思えるほどの人口密度で、お互いがお互いの体を押し潰し合っている。背伸びして振り返ってみると、それが視界の奥でもうどこまでも続いていてしまっているような光景が即座に形成されていることが分かった。列はゆっくりと進む。本当に、本当に、少しずつ。微々たる歩みを積み重ね、二人は運良く往々と聳える王城が見える大きな門の前に来ることが出来た。まだかまだか、と民衆が騒ぎ立てる中、突然大きな歓声が湧き出す。門の上に出現したスクリーン。流れている映像、その画面の真ん中に立ち尽くすのは、絨毯のような複雑な模様の服の上に、あからさまというような白いファーのついた赤いローブを纏った王冠被りの男だった。蓄えた髭を一度なぞってから、彼は両手を広げる。

「皆さん、ごきげんよう! フィアウス国、国王のロット・リオネブルクだ」

 国王と思われる男の登場に国民は歓声をあげる。相当慕われているらしく、いい年しているであろう大人もまるで子供のように目を輝かせながらスクリーンに集中している様子。 背景に、堂々と映り込むビッグコア。恐らくリアルタイムで城の中で配信をし、その映像をスクリーンに流しているのだろう。国王の合図により、側近であろう二人が画面外から入ってきて、一人のライクアを連れてくる。

「えー今年でビッグコア導入から百年ということで、今年も度重なる協議の末、候補者の中から今後五十年国を支えるビッグコア継承者を決定した。それがこの個体だ」

 煌々とした白い装飾が全体に付いている赤いローブを身に纏った豪華絢爛なライクアの姿、国王の服装とほとんど違いは無かった。その唯一と言える大きな差異はライクアの頭には王冠が乗っていないということ。形式番号すら提示されず、ビッグコア継承者ですらあくまでも「この個体」として扱われるその光景に、眉を顰めていたのはノードとアルラだけだった。

「王が選んだライクアだ! 間違いないぞ!」

「リオネブルク国王万歳! リオネブルク国王万歳!」

 民衆が大きな歓声を上げ、周囲が大きな拍手に包まれる。高らかな合唱が、徐々に広がっていく。国の全土がその雄叫びを上げているのではないかと思えるほど、その声量は一ライクアの耳をつんざいた。

「継承式は二週間後の昼の十二時にここ、リオネブルク城の一階で行われる。その様子は今日のようにスクリーンやテレビで映し出すため、皆の者時間になったらこの五十年に一度の儀礼を是非その目に焼き付けてくれ。それでは、時が経てばまた会おう。この国の永遠の栄光を願って……」

 国王の一言を残し、スクリーンが消滅する。民衆はその後も余韻のまま盛り上がった後、数十分が経ってからやっと身動きが取れるほどの密度に減っていった。二人とも揃ってため息をつくと、ノードは目の前にある黒鉄の門に視線を送る。固く閉ざされた重厚なそれの脇には、甲冑に身を包み、腰に剣を帯刀した護衛隊が構えの体勢を崩さずに不動を貫き続けていた。その厳重な警備に応えるように天を衝いて聳えるのは、この国の長が住む王城リオネブルク城。圧巻という言葉が似合う、白を基調とした外壁に散りばめられた金色の装飾が入り混じり合う様相。その絶対的な権力の象徴を中心に、構成される中心地区の景色は、一つ一つの建物が高級感溢れたものとなっており、花咲く道を歩く人々は全員が可憐で、逞しく、そして高貴だった。


 日が暮れ始め、夕焼けが空を燃やす。住宅ばかりが多い区画の道ゆえ、すれ違う人も昼と比べればかなり減ってきた。頭の遥か上を通る鳥の声も、耳を何度も通り抜ける。

「あれが、中心地区……か」

 王城前の門から離れても、ノードはあの荘厳な光景を忘れずにはいられなかった。憧れという感情では無い。レイルベルからネスメイへと移ってきた者として、ナーリブの街並みはまるで作られた箱庭のようで現実味が薄かったのだ。両手を頭の後ろに乗せながら、ツインテールを呑気に揺らして歩くアルラが口を開ける。

「あそこに出入り出来るのは国の中でもごく一部の人達だけ。政府関係者とか、あとは……元々貴族の血を引く家系の人達とか。だから実質、庶民にとってはこのネスメイの地が一番恵まれている街なのよ。……というか、継承式、か〜。生きているうちに見られるってのは損なことじゃないんだろうけど……なんだかね〜」

 言われて、継承式のことを遅れて頭に浮かべる。ビッグコアの継承者として選ばれていたライクアは正直学校では見たことないやつだった。まあ、全ての学校から候補者は選出され、その中でも選りすぐりのライクアが選ばれるため、正直その一人知らなくても不自然なことでは無い。だが、一つ思った。あの優等生野郎は、継承者になれなかったんだと。彼のことを口が裂けても認めるなんてことをしたくはないが、それでも事実としてはそう並べざるを得ないほど、彼は明らかに他のライクアとは別格だと言えるだろう。いわば第三学校のスター的存在。そんな彼が落選するなんて、とほんの少し興味を持った自分を、心の中のもう一人の自分が殴った。ビッグコア、そんな制度があること自体、そもそもおかしいのだ。あんなものがあるから、ライクアは人間への不当な従属を強いられ続けてきた、そう……百年間も。どこに発散することも出来ない無意味な怒りを、力強く拳を握ることで逃がしていく。前さえまともに見ず、ただ自分の思考に集中して歩みを進めていた、その頃だった。

「……ちょっと待って。あいつ、昨日店に来てたやつじゃない?」

 アルラが両手を下ろし、囁き声でノードに語りかける。彼が顔を上げると、確かに視界に続く道の奥に、あの見覚えのある高い鼻と鋭い目つきをした撤廃派の男がいるのが分かった。リーダー格の男と思われる彼は、昨日と同じやけに決まった小綺麗な正装を着て、俯き加減のままこちらの方向へ歩いてきている。気づいたら、かなり人気のない道を通っていたらしく、周囲にはノード達とその男しかいなかった。顔を下げているゆえ、まだあちらはこちらの存在に気づいていない。二人は「どうする?」と短い問答を繰り返した後、すれ違うのは万が一の可能性を考えて危険だと判断し、すぐさま道の脇に置いてあった樽の中にそれぞれ隠れることにした。近づいてくる足音。なるべく物音を立てないようにしようと意識するも、樽の中は思っていたよりも狭く、ある程度小さな体躯のノードでも足を屈ませる必要があって、それを継続するのにはかなりの体力勝負を強いられた。……足音が止まる。丁度先程まで自分達がいた、その位置で。思わず息を呑む。樽の中に開いている小さな穴を通して、彼は恐る恐る外の様子を確認する。限られた視界で見回すが、いない。やり過ごせたか? 樽から出ようと少し転がった時、視界の先の見えていなかった裏路地に彼が煙草に火をつけているのが見えた。そして、その瞬間。樽と地面が擦れる砂塵混じりの濁点のついた物音が閑静な住宅街に響いてしまう。男は顔を上げ、ノードは樽の中の穴越しに彼と目が合った。……不味い、気づかれたか……!? そのまま眉を顰めた彼が、音のした方向へ近づこうと、一歩踏み出した、刹那。

 黒い影が男の横を通り過ぎ、一瞬で消える。その間、音も風も無く。違和感を感じてから僅か数秒後、男は持っていた煙草を手から落とすと、そのまま滑らかに首が落ちた。隣の樽の中にいたアルラが、こちらに聞こえる勢いで息を呑む。

「ノード……! 今の見た……!?」

「……ああ。もしかして、例の……」

「インスのメンバーだ……! 今の影、追うよ!」

 樽から飛び出し、彼女は「ハナコー!」と叫ぶ。ノードが樽から全身を出した頃にはもう既にバイクは道を通って走ってきており、彼女の元へと着いていた。後ろの座席に乗せられている修理済みの白いコンテナを背負うと、彼女は運転席に座ってハンドルをふかす。連なるように、ノードも座席に座る。裏路地に向かって車体を傾けると、ハンドルの動きと共に駆動音が鳴り響き、音を置き去りにして二人は推進した。

 水溜まりの上を通り、捨てられた廃棄物達に飛沫がかかる。もう抜け殻となったライクア達を踏まないように車体を何度も傾け、その度に風が全身を突き抜けていく。右へ左へ曲がるのを繰り返す、入り組んだ構造になっているものの、実際は完全な一方通行の道。凄まじい速さで前進するバイクのおかげで、逃げる黒い影を少しずつ視界の中で捉え始める。そして、最後の曲がり角にその黒い影が消えたのを見て、ノード達もドリフト混じりのカーブを決めた。前進。着いたのは開けた空き地のような場所。若い芝生が生え、少し湿っている雰囲気の土地を、相変わらず煉瓦造りの高い建物が要塞のように囲っている。その中心で二人ともバイクから降り、彼女は髪を解くと、後部座席を開けて地下室にあった自作の銃を取り出す。持ち手から伸びるコードをコンテナのコンセントに挿して構え、どこからでも黒服を迎え入れられる戦闘態勢に入った。ノードは胸の前に両拳を添えると目を瞑り、襲ってくる気配に意識を集中させる。風の吹く音、少しこもった場所を知覚して。

「アルラ、背中側!」

 言葉に反応して、彼女がすぐに振り返り、引き金を引く。放たれた光弾が襲い掛かろうとする黒服の刀を押し込み、奴の体ごと吹っ飛ばした。着地したその姿勢から見て分かる。奴は彼女を殺す直前まで追い込んだ、あの黒服だ。白い肌の口角をにやりと上げ、再び姿を消す。彼が手に持つその光の刃は、うなじのコンセントからコードを繋いで出力されている。だが、それらは本来高速移動する体とは分離している箇所。つまり、その移動時のコードの弛みを捉えられれば、先ほどのような攻撃される直前よりも前に彼の姿を捉えられるはずだ。壁を飛び回る黒い影、視界の中で蝿如く仕掛けてくる。優等生との最終試験を思い出す。あの時は、ノードがあちら側だった。そうなれば、されたら嫌なことを喰らわしてやるまで。影が消える。来る。

「アルラ……俺に向かって撃て!」

「え!?」

「いいから! その後、真上にも一発だ!」

 一瞬躊躇ったものの、彼女は彼のまっすぐな視線を見て引き金に指をかける。放たれた光弾が向かってくるのと同時に、彼は後ろに気配を感じた。読み通り。次は自分を狙ってくると思ってたぜ。残像を残しながら、ノードは高速移動する。背中への斬撃を喰らわそうとした黒服が顔を引き攣らせ、すんでの所で体を翻す。後ろに回り込んだノードがわざとらしく足踏みをして自分の存在を知らしめると、黒服は彼と距離を取るためには前側に移動するしか無い択を迫られた。飛び上がる黒服。だが、彼の前の前にはもう既に放たれていた一つの光弾が。今度はそれが体を突き破り、間髪入れず、ノードが拳から地面に稲妻を放って宙に浮くと、そのままの勢いで蹴りを彼のみぞおちへと決めた。「ぐはぁっ!」という大きな唸り声と共に地面に叩きつけられて、転がっていく体。土が黒服を汚し、帽子は外れ、うなじのコンセントからはプラグが抜けた。プルが供給されなくなったことにより、刀は光の粒となって融解し、柄だけが形として地面に突き刺さっている。這いつくばる黒服。背中から出でる煙はプルの激しい消耗による、システムショートの証。今なら高速移動は使えない。そんな追い詰められた彼の顔に、アルラは銃を向けた。

「今なら……いける! アルラ、倒せー!」

 睨みつける彼の目線を、執行者のような冷酷な表情で受け流す彼女の様相。ゆっくりと引き金に手をかけ、そのまま重々しく指を動かす。金属が軋み、澄んでいるようにも嘆いているようにも聞こえる音が微かに聞こえる。だが、彼女は引き金を引き切らなかった。直前で止めた状態で、よく見たら指を、そして全身を震わせている。凛とした表情は崩れ、唇は噛み締められ、瞼は必死に目の前の景色を拒まないように力を入れている。ノードは未だ始末されないことを不思議に思いながらも、その意識の奥で何か嫌な予感を感じる。アルラはそんな中、遂に銃を下ろして。

「あんたは、今ここで一度死んだ。だから、今からでも普通のライクアとしてやり直しなさい。誰かを殺してしまったという罪を償って、二度とインスなんかに関わらず……」

 酷く震えた声だった。泣きそうな子供が必死に平静を取り繕う、あの雰囲気。彼女を見つめる黒服は呆気に取られているような状態で、じっとただ視線を送っている。ノードはその光景を更に遠くで注視し、顔を俯かせていた。だが、背後から風の音がして。

 ────ガキン。

 考えるよりも、先に腕を構えていた。光の刀で切り掛かってきたのは、今度はまた別の細身のライクア。もう一人いたのか……! その様相に反して、こちらを押し切る力が強く、腕に段々黒く焦げた跡が目立っていく。熱い。内部基盤をこじ開けられているような痛みだ。歯を食いしばりながら彼の腕を掴み、そのまま無理やり自分から引き剥がす。遠くで着地したその黒服を目で追いながら、ノードは思わず腕を押さえ、地面に膝をついた。

「ノード!」

 アルラが叫んだ時、ふと彼女の横を黒い影が通るのが見えた。彼女もそれにすぐに反応して振り返る。だが、遅かった。気づいたら近くで這いつくばっていた黒服の後ろには、更にまた新しい黒服。地面に突き刺さっていた柄を高速で手に収め、彼のうなじに即座にプラグをつける。再び蘇ったその光の刃を握った帽子の外れた黒服は、不敵な笑みを浮かべてから立ち上がると同時に彼女へ一閃を喰らわせた。直撃は免れたものの、彼女は吹っ飛び、ノードの近くへと転がってくる。頬を掠めた傷が、血を垂らし、まるでそれが涙のように見えた。

「大丈夫か!?」

「うん……なんとか。でも、これ、ちょっと不味いかもね……!」

 二人で背中を合わせた状態で立ち上がり、周囲を見渡す。その光景にノードは目を見張った。二人や三人なんて可愛いものではない。気づいたら空き地の全方位に自分達を囲むようにして、多くの黒服が立ち尽くしていた。全員、光の刀を手に持ち、揃って同じ服装。円状に立つ彼らはじりじりと自分達の方へと近づいてくる。アルラは再び銃を構え、ノードは両拳を更に高く上げた。帽子の外れた黒服が刀を振り回しながら、二人に刃先を突きつける。

「お前達、さっきはよくもやってくれたな……! さあ、反撃と行こうか……!」

 彼の呼びかけにより、黒服達が同時に構えを見せる。殺し損ねた彼が、駆け出してこちらに向かってくる。二人は息を呑み、彼に体を向けて次の一手を頭の中で何度も思考を繰り返す。だが、突然稲妻を纏った一人の黒服が、彼の接近を止めるように右手を大きく広げた視界の中に割り込んできた。

「待ってくれ!」

 そう語りかけるは、他の奴らと何ら変わりない体躯の黒服。不満そうに頭を掻き回す大きな体躯をした黒服を静止し、彼が帽子のつばを上げてこちらを見た時。その顔にノードは見覚えがあった。驚きのあまり、思わず口から言葉は漏れていた。

「C-8936……!?」

 帽子の隙間から見える金色の髪。自分より少し高い身長。確かに間違いなかったのだ。彼はいつものように少し自信なさげに。

「それはもう……昔の名前だよ、N。僕は、コルという名前をインスから貰ったんだ」

「お前……なんで……」

「君がいなくなった日。あの酒場に、今の僕と同じような黒服の彼らが来てね。ダオームを殺した後、僕に言ったんだ。『お前も、こちら側に来ないか』ってね」

 風が吹き荒れる。揺れる帽子を押さえ、コルは淡々と語る。彼がこちらを見つめる目。そこに敵意のような鋭さは、感じられなかった。なぜだろう。あの時から、彼はあまり変わっていないように見えて。

「Nに言われたこと、僕、よく覚えてる。君は僕達を虐げるような人間という悪しき種族がいない、ライクアだけの世界を作ると語ってくれた。最初はよくわからなかったけど……。でも、今なら君の言うことがよく分かる。ダオームにされた仕打ちが、まだ痛むんだ」

 彼は腕を押さえる。顔を上げ、強く芯のこもった声を発する。

「インスの彼らも一緒なんだ。みんな人間に虐げられてきた、だからライクア達だけで徒党を組んで今まで僕達を苦しめてきた奴に復讐を遂げることで、ライクアという種の平和を求めている! ……君も一緒だろ!? だから、僕達が戦う必要なんて無い。その隣にいる人間さえ殺せれば、僕達はもう十分なんだ。N、一緒に来てくれないか」

 コルはノードを見る柔らかな目線と、アルラを冷たく睨む目線を話している時も常に切り替えていた。アルラがノードを見つめる中、彼はただじっとコルの言葉に耳を傾け続ける。ライクアのためと、ノードがコルに語った夢。人間なんて、全員殺してしまえばいい。そうすれば、ライクアだけが生き残る平和な世界が訪れる……。

 その世界に、彼女がいなくていい理由があるのか。ノードは顔を上げ、アルラと目を合わせる。お互い何も言わずにただ、じっと。近くで見ると、よく分かる。彼女はずっと平気だという顔をしながら、唇の端をずっと震わせているのだ。深呼吸をすると、ノードはコルへ視線を移し、高らかに宣言する。

「俺は……お前らとは違う。こいつは、殺させねぇ」

 コルは困惑した表情で、瞳孔を大きく開く。

「……そんな。N、君が言ってくれたんじゃないか! 僕達は人間に従属するような存在じゃないって! 自由に生きることが、本来のライクアの姿だって!」

「あいつに何を言っても無駄だ。奴は、もう同胞じゃない……!」

 制止を続けられていた黒服が痺れを切らして地面を蹴り、高速で移動する。風がコルのコートを激しく揺らし、瞬時に隙をついた黒服はアルラの首を絞めて彼女の体ごと持ち上げた。悶え苦しみ、唸り声すら上げられなくなっている彼女。「まずはこいつからだ」と挑発するようにこちらに視線を向けてくる彼の悪行に、ノードはもう自分の感情を抑えきれずにはいられなかった。

「やめろおおおおぉぉぉぉ!」

 全身に即座に稲妻が走り出す。これまでに見たことないような、青の光粒の層に体が包まれ、空気が触れるだけで轟音が鳴り響く。一歩、一歩、地面を踏み締める度に、辺り一帯に電流が舞い上がり、跳んで勢いよく空を駆けるその姿は龍のようだった。魚が餌に食いついてきたことを喜ぶが如く、黒服は彼女を投げ捨て、こちらに向かって光の刀を力強く構える。狙いは最初からノードだったのだ。だが、そんなことどうでもいい。今は目の前のこいつをとにかくぶっ殺す。震えた拳に全身を這いずる稲妻を全て集中させ、そのまま振り下ろす。同時に、黒服が放ったはずの一閃。だが、その刃に宿ったプルは限界突破した拳に吸収されてしまい、ただただ彼の推進力と変化した。そして放たれた鉄槌はライクアの頑丈な金属の肌を軽々と破壊し、地面を抉り、衝撃音と共に神鳴った。眩い光に周囲が一瞬包まれ、世界が元に戻った時。もうライクアだったものの残骸さえなく、彼の着ていた黒服の切れ端が烏の羽のように辺りに散るのみだった。コルは膝から崩れ落ちて、拳を地面に叩きつける。

「なんで……なんでこうなるんだよ……!」

 着地した瞬間、体力の消耗で全身が急速に重くなるのを感じる。ノードはアルラを立ち上がらせてバイクに乗せると、勢いのまま運転席に座り、分からずじまいのままとりあえずハンドルを捻った。

「一旦退くぞ、背中に掴まってろ!」

 バイクが駆動音を上げ、車体が瞬時に移動する。入り口付近に構えていた黒服も刎ね、裏路地を駆け抜ける二人。早すぎるがゆえ、路地の壁をも走りながらなんとか大通りへと向かう。その間も後ろを追ってきている黒服達の、風を切る音が焦燥感を駆り立ててきて。咳を繰り返し、呼吸を整えたアルラはノードの肩に顔をくっつけながら風圧に負けないように大きな声で呼びかけた。

「このまま家に戻ったら恐らくあいつらに居場所を特定される! 元々両親が研究室兼家として使ってた別の家がネスメイにあるから、そっちに向かって! 今から案内するから!」

「わ、分かった!」

 体を何度も揺らし、壁にしきりに車体をぶつけながら夜のネスメイを駆け抜けていく。彼女が言うその別の家とやらに着くのにも、そこまで時間はかからなかった。

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