第3話:外の世界

「分かった! 俺は外の世界に出る! お前の言う通り、生活用ライクアとして配属先に行く! だから止めてくれ! レバーを、レバーを止めてくれ!」

 腹の底から、叫んだ末だった。遠くで機械音が響いてこだまする。それは、Nを送り出したあのレバーの音。足先で鳴り響いていた駆動音が止まり、背中に感じていた震えが引いていく。未だ呼吸の荒れは収まらない。止まった天井の石壁を必死に見つめながら、まだ受け入れ切れてない自分の体に少しずつ現実を染みさせていく。足音。近づいてきた先生は、Nを見てしゃがむと無言で手首と取っ手の頂点の僅かな隙間に指を突っ込み、そのまま勢いよく取っ手を引き剥がした。鉄同士を溶接した物を、彼はいとも容易く。残りの三つも引き剥がされ、先生に促されてNは立ち上がってコンベアから降りる。

 やっと落ち着きを取り戻したところ、顔を上げたNは冷や汗が背中を伝うのを感じた。彼の乗ってきた鉄の塊のもうほぼ数センチ先は、あの無慈悲なスクラップ機の中。叫ぶのがあと数秒遅れていただけでも、今踏みしめているこの冷たい石床の感覚を知り得ることはもう出来なかったであろう。

「……行くぞ。お前が選択した道へ」

 それ以上何も言わず、先生は歩き出した。Nはその背中へとついていく。自分の選択に思案しながら、景色なんて一切見ずにただ後悔やら葛藤やら生存欲求が、頭の中に渦巻き続ける。階段を上り、地上へと戻ってきた二人はまた立ち並ぶ校舎の間を歩く。しばらく行ったところで、囲まれた壁の一辺に一つの扉があるのを発見する。先生がそれを開け、二人で中に入ると、そこは馬車が大量に並んでいるいわゆる車庫のような場所だった。並んでいるのは、瞬間的に見えるところだけでも実に百台以上。それぞれの馬車の後ろは大きな荷台が備え付けてあって、そこにいる作業服を着たライクアがみな大きな長方形の木箱を何個も積み込んでいる。

「あの木箱には、今日卒業した全てのライクア養成学校の生徒が入っている。一つに一体。みな、今夜外の世界へと旅立つんだ。生活用の生徒も、軍事用の生徒も。あっちの梱包所に行こう、そこで同じように入れて貰える」

 遠くに見える、大きな部屋。確かにあそこから積み上がった木箱が台車に乗せられて、トラックの近くまで運ばれている。歩いている中、Nはそれぞれの荷台へと視線をやった。縦に五個、横に五個、計二十五個。積み上がった木箱の山、それが外から見た奥行きから仮定すると恐らく六ブロック続く。つまりは、一つの荷台に百人越えのライクアが乗せられているのだ。それぞれの木箱に入ったライクアの感情をNは想像する。彼らは、全員人間の役に立ちたいがために外に出るのだろうか。そして、かくなる自分もその一人になってしまったのだろうか。それならば、やはりあそこで死んでいた方が。その時、鮮明に思い起こされるあの駆動音。そこで思い出した。あの瞬間に感じた死の恐怖を。全身に行き渡る戦慄を。何度やっても死ぬことなんて恐らく自分には出来なかった。そんな覚悟すら無かった。

「君は、非常に中途半端な存在だ」

 また。まただ。頭の中でPの声が響く。まるで、耳元で囁くかのように繰り返されるそれは、首を絞めるごとく遅れてそしてまたゆっくりとNの体を蝕んでいく。首を横に振り、それを無理やりかき消す。気づいた時には梱包室に着いていた。縦に並ぶライクア達。Nはその最後尾に並ぶ。じわじわと進むその列の先頭では、作業服を着たライクアが卒業生の自分達の背中にラベルを貼り、手慣れた作業で木箱に詰めるという行為が繰り返されていた。肩を優しく叩いた先生は、少し目尻を下げてNに語りかける。

「確かに、お前は劣等生だった。でも、外の世界に出たらそんなことは関係無い。リスタートだ。無責任だが……俺はお前が、人間様に少しでも役に立って貰えるような立派なライクアになることを願っているよ」

 最後、背中を送り出すようにした後、先生はすぐに遠くへと行った。いつもだったらなんとか理由をつけて言い返していたであっただろう、あの先生の顔。でも、今日はそれが出来なかった。リスタート。彼の放ったその一言が、なんだか悔しいほど体に染み込んでいくような気がした。自分の手のひらを見つめる。先生……本当にやり直せるのか。みんなが求めたライクア像として、誰かの役に立つ存在に今からでもなれるのか。……。Nは俯いていた顔を上げる。真っ直ぐ前を見つめる、その瞳。作業服のライクアが問う。

「お待たせしました。形式番号をお願いします」

「N-3015番……です」

「ありがとうございます。それでは運輸のため木箱に入れさせていただきますが、万が一に誤動作が起きないようにするため、こちらで擬似的に電源を落とさせていただきます」

 後ろを向く。背中にラベルを貼られるのと同時に、一瞬うなじのコンセントにプラグが挿さって冷たい何かが注入される感覚を感じる。それから、意識がほんのりと遠ざかっていく。朦朧とする中、もう一人の作業員によって脇のコンベアから運ばれてきた木箱の中に全身を入れさせられる。仰向けで寝ている状態。全身の機能が停止していく感じが少し気持ちいい。木箱が閉められ、視界は完全な暗闇となる。そしてそのまま作業員によって持ち上げられると、恐らく台車の上に乗せられた。しばらくして自分の木箱の上にもまた別の木箱がどんどん積み重なるのが、揺れで分かる。そして遂に台車が動き出し、下の車輪がキュルキュルと回る音がし始めた。トラックの荷台に向けて運ばれているのだろう。なんとなく推察出来る。だがその道中で微睡が頂点へ達し始め、Nはもう委ねるように暗闇の中で目を瞑った。次に目覚めた時は、もう外の世界なのだろう。そうしたら、人間と触れることはもう避けられない。……Pが言っていた。人間に会ってもないのに不満を述べるなんて、と。あの時は気にも留めなかった、でも確かに判断するのが早かったかもしれない。これまで百年間、自分達の先輩であるライクア達は、ずっとその構造をひっくり返すことなく今までやってきたのだ。それには何か理由があるのかもしれない。一度、見極めよう。この目で直接人間と触れて、そいつらが本当にぶっ倒すべき存在なのかを。意識が途切れる直前、Nは静かに拳を握る。強く握れない分、心にそれを深く刻み込む。そしてそのまま、彼は知らず知らずのうちにしばしの旅路へと出ていくのだった。



 歩く度に軋む音がする、木材同士を無理やり番わせたような床。Nは必死に駆けずり回りながら、そこに放り出されたビールやワインの瓶を麻袋に詰めていく。そこらに点在しているダークオークの木材で作られた椅子には、頭にバンダナ、腰にはナイフ、目つきは鋭く、笑い声は卑しい、というようないかにもガラの悪そうな人間達が例外なく座っており、彼らは木樽のジョッキで酒を酌み交わしながら騒ぎ合って机を下品に揺らしている。その間を縫うようにNは進む。だが、うなじのコンセントに挿さっているプラグ、そこから伸びているコードのせいで自由に動くことは難しくなっているのだ。それなのに客に自分の存在を気付かれると、まるで「拾え」と言わんばかりに目の前に飲み終わった瓶を投げられる。取ったものの、誰かがやり始めれば馬鹿の一つ覚えのように全員が面白がってやり出し、Nは四方八方に投げられる瓶をなんとか手に収めようと四つん這いになってまで店内を駆け抜けた。収容人数は二十人ほどの、そこまで広くない酒場の中。でも、目の前にまで迫った瓶は全てあと一歩のところで悉く床へと落ちて無情にも割れていく。残った酒がその勢いでもう黒ずみだらけの白い肌にかかると、客席はその無様さに大いに湧き立った。

「はっはっは! やっぱりライクアは面白ぇぜ!」

「人間にこんなことさせたら、俺達また余罪が増えちまうもんな!」

「見せ物としてまたいいもん仕入れたな、ダオーム!」

 客が呼んだその名前を聞いて、Nは一瞬体を震わせた。急いで割れた破片を片付けていると、呼ばれたことを察知したかのようにカウンターから革靴の音が段々と近づいてくる。袖を捲った白のレースアップシャツの上に赤茶色のジャーキンを羽織り、下は紺色のブリーヂスを履くその姿。シャツが今にもはち切れそうになっているほどに出っ張ったお腹と口元全体を覆った黒い髭が特徴的で、坊主ゆえにはっきり見える、その茶色の双眸の目力が気迫を感じさせる。筋肉質ではないにしろ、それはそれは大きな体躯を持つのは、Nの配属先の酒場で店主をしている中年男性、ダオームであった。手に何周か巻かれている黒いコードを、彼は思い切り引っ張る。その一番先端は、今Nのうなじに繋がっているプラグであり、必然的に彼の力によってNは無理やり立ち上がらせられ、同時に激痛も感じた。思わず唸り声を上げるN。だが、それは店内の喧騒にすぐ溶けていき、構わずに彼はNを無理やりコードで引っ張って自分の近くに持って来させる。さながら、それは言うことを聞かないペットを躾ける飼い主で。

「こいつは最近買ったんだ、馬鹿みてぇに安かったからな。ただ、安いなりにちゃんと欠陥品だ。何せ、人間への忠誠心なんてもんはありゃしねぇ。喧嘩っ早いし、こっちをイライラさせてくる」

 ダオームは客に自慢するように、Nの顔を掴みながら嬉々としてそのがなり声を上げる。Nは思わず客も、そしてダオームにも睨みを利かせるが、彼らは話に夢中でそんな小さな抵抗さえも相手してくれない。

「だとしてもよぉ、ライクアを持ってるってだけで羨ましいぜ。なぁ、今度そいつと俺、喧嘩させてくれよ! 反抗的なんだろ? いっちょ俺が教え込んでやるよ」

「あぁ、そいつは無理な話だ。なんてったって、万年金欠の俺だぜ? 次に会う時にはもう体をバラバラにして、全部売り飛ばしちまってるかもしれねぇからな」

「はは! 傑作だな! ダオーム、もう一杯!」

「まいど! おい、そこのもう一個のお前、ここにグロービール持ってこい!」

 ダオームが視線を向けたのは、カウンターにいるここに配属しているもう一人のライクアだった。形式番号は「C-8936」、背はNより少し高めで全体的に細めのシルエット。金髪のマッシュヘアを揺らしながら、急いで瓶を客席に持ってくる。だが次の瞬間、彼はダオームに殴られて床へ背中をぶつけた。ダオームは瓶を掲げて怒鳴りつける。

「誰がホロウビール持ってこいっつったよ! グロービールだっつってんだろ! さっさと持ってこい!」

「は……はい! 申し訳ございません!」

 すぐに空気に馴染んでしまう、弱々しい声を残して逃げるようにカウンターに戻っていく。焦る顔で瓶を探す彼の後ろ姿。これでも、Nが配属される三年前からもうここにいた養成学校の先輩らしいが、ここに配属されている時点でお察しなのかもしれない。

「お前もさっさとそれ、裏に捨ててこい。ほら、連れてってやるからよ!」

 勢いよくダオームにコードを引っ張られるようにして、カウンターへと連れて行かれる。歩く道中、Nは首を抑えながら片手に持っている麻袋を掴む力が無意識に強くなってしまう。

「……いてぇ! いてぇって、離せよこの人間野郎!」

 腹の底から彼の顔にぶつけるように、絶叫を繰り返す。それでも彼は無言でNをコードで引きずって連れて行き、カウンターから扉を通して裏の倉庫へと繋がる廊下に出る。扉が閉まり、店内の喧騒が聞こえなくなった時。ダオームは突然立ち止まると、Nの顔に一発強い拳を喰らわせた。

「ぐはっ!」

 衝撃で廊下の壁に体を打ち付けられる。それでも間髪に入れずにダオームは腹に蹴りを数発加えると、コードで体を立ち上がらせ、頬にも数発打撃を喰らわせた。その一発一発が頑強な拳から繰り出されているため、非常に重く、抵抗することなど出来ないほど全身の力が抜けてしまう。顎をグッと掴まれて、顔を近づけられて言われる。

「ライクアの癖にあんまり調子に乗るんじゃねぇよ。俺らはお前らで言う人間、サマだろ? 分かったら黙って、それ捨ててこい」

 ダオームによってNの顔が壁に突き飛ばされ、再び壁にぶつかった衝撃で思わず項垂れてしまう。彼はそれを横目に見ながら、カウンターに繋がる扉を開け、店内へ体を半分出しながら中の様子を確認していた。

「おういらっしゃい! 何人だ? 二人? ああ……ちょっとそこで待っててくれ! おいお前! 瓶運んだら早くこっち来い!」

 彼は扉を閉め、腕組みをしながら貧乏ゆすりをする。呼ばれて数十秒も経たないうちに扉を開けて入ってきたのは、Cだった。ダオームは持っていた黒いコードを彼に渡した後、気迫溢れる声を石壁で作られた廊下中に響かせる。

「いいか? これはこいつのうなじに繋がっている。勝手な行動をさせないためだ。こいつがゴミを捨てている間、お前は俺の代わりにこれを持って行動を制限しろ。終わったらすぐにカウンターに戻ってこい、分かったな?」

「はい、了解です」

 命令だけ残し、ダオームは扉を開けて店内へと戻っていった。外の風の音が聞こえてくるほどの静寂。Nが息を整えている中、Cはその持っているコードを強く引っ張る。激痛。咄嗟に自分が想定したよりも大きい声が漏れた。

「いってぇって! ちょっと一旦待ってくれよ!」

「でも、人間様から命令されたんですもん。早く捨てに行きましょう、ほら」

 廊下の突き当たりにある倉庫へと急かしてくるCは、コードを何度も腕で無作為に動かす。その度に痛みが全身に広がってきて、同時に喉をつっかえるような閉塞感に若干息が苦しくなる。

「分かった、行くから! だからとりあえずうなじに挿さったプラグを抜いてくれ! 自分で抜けないんだこれ! それに動く度にマジでゲロ吐きそうになるぐらいきつい、だから早く!」

「だめに決まってるじゃないですか。人間様から直々に命令を受けたんですから」

「今いないんだから良いだろ!? ほら、早くしてくれ。じゃないとあいつ、帰ってきちまうよ」

「い、いや外さないですよ。絶対、絶対!」

「……あぁもう! じゃあお前がこれ、この麻袋持って捨ててきてくれよ! もう俺本当に動くだけでしんどいんだ! プラグ抜かなくていいから! な?」

「いいや。人間様は、あなたがゴミを捨てに行くのを私が見守ると命令されました。だから、私がゴミを捨てに行ったらそれは命令違反になってしまいます」

「いやそんな厳密に守るような命令じゃないだろ!? とにかくここはゴミを捨てりゃいいんだよ、だから早く行ってきてくれって、」

 ────ドン。

 扉を一発叩く、あまりに鈍重な音。そこで察する。壁一枚隔ても伝わってくるダオームの圧を。

「ほ、ほら……! 行きましょう」

 目を合わせたCが声を震わせながらそう言うので、Nは髪を全力で掻きむしってから歩き出した。首を前に出すようにして、少しでも痛みを逃がそうという猫背の姿勢。倉庫の扉を開けて二人が中に入った後、そこから右へと曲がりもう一つの扉を開ける。そこが正真正銘のゴミ捨て場、麻袋から瓶を取り出すために屈んだ時、プラグが引っ掛かって思わずえずいてしまう。涙目になりながら事を済ませ、すぐさまカウンターへと二人で戻ると、ダオームは突然宣告してきた。

「お前らちょっとテーブルになれ。お前があそこで、お前があっちだ」

「テ、テーブルですか?」

「……おいちょっと待てよ。俺達は人間型電池だぞ、テーブルになるってそんな機能はついてない」

「馬鹿か。四つん這いになるんだよ。ほら、お客さんが待ってんだ。さっさと行け」

「いい加減にしろよ、俺達は……ぐあっ!」

 言い返そうとしたところで、何回もダオームにうなじに繋がるコードを強く引っ張られる。さっきのCの力が甘く思えるほどの、あまりの剛腕。全身の中を閃光が駆け巡るみたいな衝撃が繰り返され、Nは息切れを起こす。隣のCはそれをただじっと見下ろし。

「もうこんな茶番してる暇ねえんだ。さあ、さっさと役目を果たしてもらおうか」

 二人とも彼の両手で背中を押され、カウンターの外に出される。まずCが四つん這いになり、入り口付近で待っていた男女二人が彼を囲むように椅子に座った。事前に聞いておいたのか、ダオームは酒樽を二人に渡すと人間の彼らは躊躇なくCの背中にそれを置くのだった。対して、Nは部屋の端。彼に押し潰すような力で四つん這いにさせられると、コンセント部分を指でずらされて一旦コードを抜かれる。それも激痛。そして、今度はコードが短くなったプラグを挿されて、彼はそれを案内した大柄な男三人の客に渡した。

「とりあえずしばしの間こいつがテーブルばかりってことでよろしく。でも、そいつたまに暴れるんでこれで躾けてやってくれ」

「ほーう、面白い。こいつがライクアっていうのか、初めて見たぜ」

 彼らは嬉々とした反応を見せながら、向かい合って椅子に座ると、Nの背中に全員が足を乗せてきた。踏まれる感触。殴られて軋んだ体へのそれはまるで傷口を抉られるような痛みであり、屈辱だった。Nは涙目になったまま、ふと顔を出来るだけ上げてみる。目に入ってきたのはこの部屋を照らす灯りの存在。天井から吊り下がっているランタン。壁に掛けてある松明。それはいずれも「火」であり、ライクアの持っている「電気」などそこには何一つ活かされていなかった。そもそもこの場所には、部屋の明かりを照らす電源となるコンセントは無い。ましてや、ビッグコアから引っ張られてくるはずの電源さえも。歯を食いしばり、わざと踏み直されているのにも反撃をしない。ただ、小さく唸り声を上げながらじっと全身を強張らせて、Nは自分への存在証明を問う。中に眠るプルを必要としないなら、なぜ自分はライクアに生まれてきたのか。その心の底では、稲妻が伴う青い心火が沸々と湧き上がっているのをNは確実に感じていた。



 閉店して、店主もいなくなり。店内はありえないほど静音に包まれていった。ただし、その光景を見たのももう二時間前になる。今、NとCは物に塗れた倉庫の中で体育座りのまま再び太陽が沈むのをただじっと待っているのだ。営業時間は午後二十一時から午前五時。それ以外の時間は、何も余計なことをしないようにとこの狭ったらしい部屋未満の場所に入れられている。

 配属されてもう一ヶ月ほどが経ったような気がする。それなのに、繰り返されるのは今日みたいな暴虐な振る舞いと、雑用としか言えない待遇。受けた傷は深いのも浅いのも含めてもう数え切れないほどになってきており、白かったはずの肌は蝕まれた心と同期するように汚れに塗れていた。いくら手で擦っても金属同士ぶつかり合うだけ。だがこれではっきりした。やはり、人間はライクアを物としか見ていない存在だった。自分達ライクアをその手で従属させ、一定の地位を築こうとしている悪辣非道な奴ら。これはもう仮説から紛れもない真実へと、自分の中で証明されてしまった事柄だ。それが分かったなら、もう迷うことは無い。いや、最初から迷うことなんて無かったのかもしれない。他人の誘惑に惑わされ、中途半端だと罵られ、それで少し気が動転してしまったのだ。この世界の人間を全員、ぶっ殺す。そして、ライクア達を救い、ライクアだけの帝国を築く。それしかもう幸せになれる選択肢はないんだ。

 そうなれば、尚更こんなところでぐずぐずしてはいられない。まずはどうする? ビッグコアでも壊すか? いや、想像が膨らむが、まずは目の前の問題が先だ。うなじに繋がれたコード、こいつを外してここから逃げなければ。プラグから伸びるコードの最終的な先端の部分は壁に釘で打ち付けられており、それでいて手も届かないため外せそうにない。故に立ち上がれないNはとにかくうなじに挿さっているプラグ部分を両手で掴み、息を止め、全身に力を入れてそれを引き抜こうとする。

「う……うぁぁぁああぁああ!」

 だが、あまりにも痛みが勝ってしまってどうしても腕に力が入りきらない。何度叫びながら腕を動かしても同じ結果が出るのみだった。疲弊して、座り込んだ頃。体育座りで顔を俯かせるCが呟く。

「無理だよ。それは多分、抜けないと思う」

「……はぁ。はぁ……。今は無理でも、いつかは抜くさ。俺はもうこんなところにいるのはごめんなんだ……」

 吐息だけがしばらく部屋に響く。犬の遠吠えみたいなのが外から聞こえてきた後。Cは重々しく続けた。

「……ねぇ。なんで君は、そんなにここを逃げ出そうとするの? 外に出てもここ以外にアテ、ないでしょ?」

「まあ、ねぇけどよ。それでもじっとしてらんねぇんだ。あんなに殴ったり蹴ったりしてくるやつと一緒に暮らしてらんねぇし、大体やられっぱなしはなんかむずむずする。それに人間といると、やっぱりどうにも性に合わねぇ。自分の自由を奪われるような感覚がしてな」

「……その、前から思ってたんだけどさ。君ってなんかちょっと変だよね。人間様には反抗的な態度を取るし、自分の自由のために生きようとするし。僕達ライクアって誰かのために自分の体を捧げるものでしょ」

「確かに、通説ではそうなのかもしんねぇな。でも……俺はちょっと違うって思ってる。俺達は電池でありながらも、人間と同じように意識があって、個性があって、そして感情がある。だから、誰かに使われるためだけの存在じゃなくてもいいと思うんだ。自分の意思で自分のために生きても。そのために俺は前へ進もうとしてる、ライクア全員が自由に暮らせる国を作るために」

 Cがゆっくりと顔を上げる。こちらを見る彼と、目が合って。

「ライクアが自由に暮らせる国?」

「ああ、そうだ。その世界には俺達を虐める人間達なんていない。ライクアがお互いを認め合い、争いや権力勾配なんて無いそんな平和な世界だ」

「……おっきい夢だね。なんか僕、そういう人ちょっと憧れちゃうな。生きるのに目標があるっていうか」

 彼の言葉は消え入るように、部屋の暗闇に沈んでいった。Nは座り直して、彼にもう一度目を合わせる。

「そういうお前は、なんでこっから逃げないんだ? 俺みたいに繋がれてないからいつでも逃げられるだろ。というか、あれか……? やっぱり人間への忠誠心ってやつか?」

「まあ、ね。逃げても行くとこないし。それに自分があんな風に店主さんから怒られたり暴力振るわれたりするのって、僕がやっぱりヘマしちゃうからだと思うんだよね。ちょっと僕どうしても言われたこと以外のことが頭に回らなくなっちゃう時があるし、なんなら言われたことすら出来ないようなこともあるし。学校にいる時からずっとそうだったんだ。みんなに……劣等生って言われて」

「……劣等、生か」

「うん。だから、ちゃんとやればいつかは人間様に認めてもらえるんじゃないかと思うんだ! どんなに酷いことをされても、どんなに苦しい状況でも、死ぬまでにほんの少しでも誰かの助けになって自分が生まれた意味があればな……って」

 彼の声に感情がこもっているのは、なんだか珍しいような気がした。いつもの弱々しい口ぶりではあるものの、その気迫は心から搾り出されたはずのもので。劣等生と言われてきた人生。Nはなんだか見過ごせないものを彼に感じてしまった。唇を噛み締め、天を仰ぐ。

「それが、お前にとっての夢なんじゃないのか?」

「え?」

「誰かの役に少しでも立ちたいっていう想い。それこそが、お前が心の底で思っている生きる目標のはずだ」

「……。そう、なのかな? なんだか、あまり上手く自分では分からないけど」

 少し黙ってから、彼は顔を完全に外へと出した。腕と膝で囲まれていた暗闇しか見えない体育座りの中から、この雑多な物の集まるまた別の暗闇へと。

「でも、ありがとう。僕、ちょっと明日からまた頑張ってみるよ。君も、いつかその夢叶うといいなって応援してる」

「……! あ、ありがとう。うん、ああ……」

 煌々とした青色のガラス玉のような双眸を向けられ、少し戸惑う。感謝を述べられたことも、ほとんど記憶の中では無かった。それゆえ、どう返していいか分からなくて思わずしどろもどろになってしまう。そんな過程で、Nは生きてきて初めて微笑を顔に浮かべた。そして、明日が来るという事実にほんのり光が差したような感覚を、自分の体を迸る閃光を見て連想するのだった。

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