さかいめ

霧宇

さかいめ


 なぜ、ここに私はいるのだろうか。


 目の前にあるのは、いつもの公園。遊具はどれも錆びきっていて、ブランコは誰も漕げないように、鎖で縛られている。


 誰かいないのか辺りを見渡しても、この廃れた公園には誰もいない。


 空は快晴で、日がさんさんと照っている。何時なのか確認しようとしても、私は何も持っていない。学校の制服を着ているのに、鞄は持っていない。


 とりあえず、家に帰ろう。


 そう思った時だった、急に辺りが暗くなった。水色だった空は、青や赤、オレンジなど、色々な色が混じっていた。


 突然の出来事に、私は大げさなくらい慌てた。首を左右に大きく振り、また人を探した。ついさっき、確認したばかりなのに。


 でも、今回は違った。なぜか人がいた。その人は、私と同い年くらいの女性で、パジャマを着て、黒ずんだベンチにポツンと座っている。けれど、その雰囲気は私とは全く違うものだった。


 彼女の雰囲気は薄明の空はおろか、この公園のどの遊具よりも暗い。とにかく、ただただ暗いのだ。雰囲気という言葉で表せないような、存在そのものが暗いと勘違いするような、そんな感じだった。


「あの、大丈夫ですか?」


 私は彼女の前へ行き、そう声を掛けた。明らかに大丈夫ではなさそうだけど、そう話し掛けるしかなかった。だって、普通ならこんな暗い人に声を掛けない。赤の他人が関わっちゃいけない、そんなレベルまで行ってそうなの。この訳の分からない状況で、仕方なしに声を掛けているに過ぎない。


 だからだろうか、彼女は返事をしなかった。


 そのまま沈黙が続き、どんどん時が過ぎていく。どれだけ時間が経っても、空の色は変わらず薄明のまま。


 立ち続けるのも疲れるので、私は彼女の横に座った。すると、彼女は口を開いた。


「あなたは、なんで生きてるの?」


 やってしまったと思った。やはり、声を掛けるべきではなかった。初対面の人にそんなことを聞いてくる時点で、自殺とかを考えていても不思議ではない。早く家に帰って、警察に知らせた方がいい。


 でも、私から声を掛けたのだ。返事はしなければならない。


「幸せになるためだけど……」


「幸せって、何?」


 ごく普通のありきたりな答えに対し、彼女はそう投げかけて来た。


 「何って言われても…… やりたいこととか、好きなことをやってる時とかだと思うよ」


「じゃあ、それらが何もなかったら幸せになれないの?」


「それは……」


 私は言葉に詰まった。

 

 考えてみると、幸せってすごく難しい。幸せは多分、楽しいとか嬉しいとかの複合で、感情の中でもとりわけ曖昧で、脆いものだと思う。


 そんな難しいことへの答えなんて、私にはできなかった。


「私って、死ぬべきなのかな?」


「そんなことないよ」


 彼女の言葉に、私はそう返すしかなかった。


「私には夢も目標もやりたいことも、生きる意味も全部ないの。それだったら、死んだ方がいい」


「生きていれば、いつかきっと見つかるよ。だから……」


「そうだよね。私もそう思ってた。でも、頑張って生きても何も見つからない。それどころか、ますます生きづらくなっていくだけで……」


 目から涙が静かに流れ落ちる彼女の言葉。そこからは、何をやってもどうにもならない絶望と、孤独を感じた。


「それでも、ここまで頑張って生きたなら、生きようよ。今までの努力を無駄にしないためにも」


 私は彼女の努力を知らない。けれど、その言葉が出て来た。初めは半ば仕方ないと思って答えていた。けれど、徐々に彼女をどうにかしてあげたいと、そう思ってきて、気づいたら勝手に言葉が出てきていた。


 どこかで彼女はまだ生きたいと思っている、そんな気がする。


「今までのって言われても、覚えてないもん。私って昔からそうなの。過去の思い出も経験もすぐ忘れちゃう。というか、覚えられない。1年前のことですら、自分が何を考えて何をやったのかも、何も覚えてない。楽しかった記憶も、何もかも……」


「そうだとしても、生きればいいんだよ。ただ生きるだけで、それだけでもいいよ。何もしなくても、生きてさえいたら、それだけでいいよ」


 例え何も覚えていなかったとしても、また新しく積み重ねればいい。他人事のようで無責任かもしれない。けれど、生きていれば、きっとどのような形であれ、そこへ辿り着けると私は思う。


「何もせずに、生きていけないじゃん。何かしらはしないといけない。でも、私にはそれすらもできないの。もう、生きていけないよ」


「いや、でも、私も詳しくは知らないけど、生活保護とかもあるし、生きてはいけるよ」


 社会の中で生きるという今までと比べて単純な問いに、私はつい曖昧な回答をしてしまった。彼女の言葉から感じた僅かな怒りからか、少し焦ってしまった。


「でも、それで生きてどうするの? このままの状況で生き続けて、何になるの? やりたいことも何も見つからないまま、時間だけが過ぎて行って、どうすればいいの? 何に繋がるの?」


「……」


 私は何も返せなかった。私は、魔法を使えるわけでもないし、長く生きてきたわけでもない。私には、彼女の状況を変えることも、彼女に響くような言葉を返すこともできない。


 彼女にとっては、生きるということが当たり前ではないのだろう。それならば、私にはどうしようもない。私だけではなく、大勢の人の言葉も、きっと彼女には届かない。


 「死んでもいい」と、心の底から彼女に言える人しか、彼女を救うことはできないのだろう。そんな人は、この世界にいるのだろうか。


「ありがとうね、私に付き合ってくれて。でも、ごめん」


 会話の終わりに、彼女はそう言って去っていった。日が沈む方へゆっくり歩いていく彼女の影は、ちょうど私と重なった。














 頭上に浮かぶのは暗い空と、それを照らす星々だけだった。さっきまで隣にいたはずの彼女の気配は、どこにもない。


 私は誰もいない場所で仰向けのまま、ゆっくりと目を閉じ、意識を失った。

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さかいめ 霧宇 @NKsaiboupannda

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