第4話 黒ゴマを残してサヨナラ

 午後からは入学式で、生徒は昼前に一斉に帰される。

 あれ以上吉田さんと話すことなく下校をした。人から好意を持たれるという奇跡が起きるなんて、考えたこともなかったから、ちょっとだけ怖かったのだ。

 ちょっとだけだ。

 それに、まだ胸の中はパンでいっぱいだったから。


 地元の駅で降り、他の乗客は迷いなく改札へと向かう中、僕はホームのベンチに座った。流れていく人の波を見送り、やがてホームに一人取り残される。

 名前を呼ばれたような気がして、手に持っていた赤い袋からあんぱんを取り出した。 


「あの子の話を話を聞いてくれてありがとう」


 僕の顔を見るなり、彼女は言った。


「やっぱり無理かな。君と一緒にいたいよ」


 僕の方と来たら、未練たらしくそう言わずにはいられなかったのだ。


「無理よ」


 彼女は吐息を漏らし、少し微笑んだ。


「吉田さんはね。占いを見て、本当かなぁっていいながら食卓にいたわたしをじっと見つめていたの。ずっと心残りで、あなたに話しかけたくて2年が過ぎてしまったことを後悔していたから。本気であなたと話したかった。でも、まさか、本当にわたしを咥えるとはね。純粋で好きだわ」


 吉田さんのそれは、恋愛的な好意なのかなんなのか。僕には推し量れない。

 でも、パンはそんな吉田さんを応援したい気持ちでいっぱいだったのだ。


「吉田さんは諦めそうになっていたから、ちょっとお節介して、わたしがあなたにぶつかってみたの」


「そうしたら、僕は君を好きになってしまった」

 

 僕が返すと、あんぱんは目をそらした。


「わたしはあの子のパン。あの子に美味しく残さず食べてほしい。それとも、あなたが食べるの?」


 そんなことできそうになかった。

 彼女を咀嚼して飲み込むなんて、僕には残酷すぎる。

 そして、こんなに好きなのに、一緒にいたらカビてしまう。

 だからといって冷凍庫にはいれたくない。

 何より、彼女は美味しく食べてもらうことを望んでいる。

 それが突きつけられた現実だった。


 ふと、ホームに次の電車がやってきた。

 僕は声を上げそうになる。

 示し合わせたように吉田さんが降りてきたのだ。同じ駅を使っているのだから、ありえない偶然ではなかった。でも、偶然とは思えなかった。

 僕はあんぱんをしまい、ホームを歩く、自分より10cmは背が高いだろう吉田さんに近づいた。吉田さんは目を見開いたあと、2、3歩下がって立ち尽くす。


「ちょっといいかな」


 そう言って、早急に赤い袋を手渡した。


「これ、返します」


「でも」


「食べてほしいんです。いま、ここで」


「ここで?」


 彼女は少し戸惑っていたけれど、すぐにベンチに座った。


「食べます」


 意を決したようにそう宣言すると、あんぱんを口に入れた。

 生地の内側の白さが眩しい。粒餡が清らかなのに艶めかしい。


「あんまり見ないで下さい」


 吉田さんが伏し目がちにいう。随分不謹慎なことをしているみたいで僕はドキドキしてしまった。


「ごめんなさい。あの、残さず食べてください」


「わかりました」


 顔を赤らめながら、吉田さんはそれでも最後まで食べてくれた。


(さよなら)


 心の中でそう囁くと、喉の奥がヒリヒリして、涙の匂いがこみ上げる。思わずうつむくと、僕はワイシャツのポケットに朝の衝突で零れ落ちた黒ゴマが紛れ込んでいるのをみつけた。彼女の残した別れの印みたいな、たった一粒の黒ゴマ。


「よかった」


 ふと、吉田さんが僕に向かって笑みを浮かべる。


「齧ったパンをあげるのは忍びなくて」


 これには大きく首を振る。齧ったパンがほしいだなんて変態じみたことを言ったのは僕なのだから。気にしなくていいのに。


「今度プレゼントします。伝説のあんぱん。家で焼き直すとまた美味しさが増しますよ。生クリームトッピングしたりして」


「そうなんだ」


 でも、今は胸が痛くて食べられないと思う。


「入学式の、僕は何をしたの?」


 僕は改めてきいてみる。


「覚えていないんですか? 駅で傘を貸してくれたこと」


「傘を貸した……」


「友だちも親もいなくて、すごい雨で、電車は遅れて混むし、メガネもなくすし。一人で身動き取れなかった時に傘を貸してくれたの、覚えていないですか?」


「ああ!」


 思わず声を上げた。


「そんなこと、あった!」


 すごく悩んだのだ。傘は折りたたみとビニール傘の二本持っていたから、貸そうと心に決めたものの、下心ありありな気がして気が引けた。

 実際、渡すときはすごく緊張して、まともに顔なんか見なかったのだ。


「どうしてすぐにいなくなったんですか? お礼を言いたかったのに」


「ああいうことをしていいのは、背が高くて顔がいい男だけだと思っていたから」


「女子は背中で惚れるものです」


 彼女があんぱんのように優しく微笑んだ。


「ーー吉田さん。あのパン、なんで伝説なのか知ってますか?」


「パン屋の夫婦が出会って結婚するきっかけになったパンなんだそうです。売り場のポップに書いてありました」


「……そうなんだ」

 

 君はずっと人と人を結んできたのか。僕の胸はじんわりと温かくなった。


「吉田さん。このパン、どこで売っているのか教えてください」


「いいですよ。とりあえず、一緒に帰ります?」


 立ち上がった吉田さんのスカートが春のまだ少し肌寒い風に揺れて、僕はこくりとうなずいた。

 パンには縁結びの力があるのかもしれない。

 そんなことを考えながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【パンと恋する話】君は粒餡 縁を結ぶ 花田(ハナダ) @212244

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画