【パンと恋する話】君は粒餡 縁を結ぶ
花田(ハナダ)
第1話 僕はパンに恋をした
駅に向かって歩いていたら、曲がり角から女の子が飛び出してきた。
同じ高校の制服だった。
しかも、パンを咥えていた。
ほんとうの話だ。
高校3年生の春。始業式の朝だった。
僕は目を離せなかった。離せるわけがなかった。
だいたい、パンを咥えて女の子が走っていたら、それは目立つ。その子が美人かどうかなんて、あんまり気にはならないんじゃないだろうか。
だって、まず涎まみれだ。
口を塞がれ、水分を奪われ、そのまま走るのだから苦しいに違いない。
鼻呼吸に頼るため、鼻の穴は大きく開いているはずだ。
そんなことをしている理由を知りたいなんて考えず、やめればいいのにと思うに決まっていた。
でも、実際は違った。
彼女の咥えていたパンは丸く、黒ごまがあしらわれている。
曲がり角で出くわしたその時、あまりの出来事に、僕は立ちすくんだまま動けなかった。
「いっけなーい!」
その声は、はっきりと聞こえた。
女の子はパンを咥えているから、こんなにハッキリと喋るのは無理だ。
じゃあ、この声は誰?
疑問を持った次の瞬間、パンが女の子の口から飛び出した。
「遅刻しちゃーう!」
パンは空中に弧を描きながら、僕に胸に体当たりをした。
ワイシャツにポンッとあたったので、思わず両手でキャッチした。
「ご、ごめんなさい」
そう言ったのはパンだった。
女の子から抜け出すときにかじり取られたようで、パンの右端が少しだけ弓なりに欠けていた。
そこから見えるのは深みのある赤茶の粒餡。それに甘くて香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
(ああ、なんてかわいいんだろう)
あろうことが、僕はパンに心を射抜かれてしまったのだ。
「あの」
声をかけられて顔を上げた。
女の子のほうと目があって、我に返り、僕はパンを渡す。
「落としましたよ」
女の子は手に持っていた真っ赤な手提げ袋の中から小さなビニールの小分け袋を取り出し、パンを丁寧に仕舞った。
「ありがとうございます」
女の子がそういうのを聞くと、僕は急いでその場を逃げ出した。
この場合、女の子のほうとぶつかって、はからずもスカートの中を見てしまったり、胸に触れてしまったりするラッキーなんとかが起こるものではないのか?
そして、殴られたり嫌われたりして、後で再会するパターン。なんやかんやを経て、両思いになるパターン。
(それなのに!)
よりによって、パンにキュンとしてしまうとは何事だ。
わけがわからなくて、僕はとにかく腕を振って夢中で走った。現実的じゃない。何もかも道理にあわない。理屈っぽさが僕の個性だったのに!
なのに何故、胸のトキメキだけは嘘偽りなく、身体中がこうも幸福なのだろう。
(これは、恋だ!)
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