一章 危険な新婚生活、人間の欲望

第2話 新婚夫婦、コンビニで死闘する

 種族戦争が終わり三カ月。レイの故郷・アスリニア王国にぽつぽつと魔族が歩くようになった。


 魔石のエネルギーがもたらす最先端の魔導文明。


 街には魔石エンジンの自動車が往来し、微弱な魔力波で構築されたインターネットが、今日も世界を繋いでいる。


 そんな平穏をもたらした二人もまた、賑やかで穏やかな生活を送っていた。



 ――戦争終結ボーナスで購入した新築の家。広々としたリビングには最新の魔石家電が並ぶ。


 その中心で、元魔王がモニターに向かって叫んだ。


「だーっ! また魔王にやられたー! このクソゲー、難易度おかしいだろ!」


 コントローラーを振り上げたが、息を吐いてゴトンとテーブルの上に置いた。視聴者の存在を思い出したんだろう。


「ルルノ、朝からうるさい。それと――」


 モニターの端に流れるコメントを見る。


『無謀すぎて薬草生える』『魔王が魔王に負けるの最高』『叡智の薬草使えよ雑魚』


「――視聴者のコメントよく読めって。魔王を倒すには四天王からドロップする叡智の薬草がないと」


「そんなものいらーん! 純粋な実力のみで魔王を倒す! 私は魔王だぞ!」


 白い二本の角に引っ掛けたヘッドフォンが外れる。少しは落ち着いてほしい。言ってることは支離滅裂。


 これで二六〇歳とは未だに恐れ入る。見た目は小柄な美少女なのに。


「はぁ……それとルルノ、あんまり小言は言いたくないんだけど……」


「じゃあ言うな。お互いの平和のためにも」


「そうはいくか。昨日また課金しただろ。今月五回目。約束通りケータイ取り上げな」


 平和を築いた末の報奨金。生活費は一生困らないが、使いすぎは良くない。これも彼女のためだ。


「んなー!」


「うるさ。まじ近所迷惑」


「んにゃあ……」


「胸キュンさせんな」


 分かっていた。魔王や勇者という立場がなければ、ルルノと気が合うと。似た系統の魔法を極め、戦い方も同じ。魔族を避難させ自分が前線に出るところは、敵ながら尊敬していた。


 だけどここまで気楽な相手、解散したパーティでも誰もいなかった。


「あ、そういえばコーヒー切らしてた。コンビニ行くからついてきて、ルルノ」


 武道士アークスの顔が浮かぶ。彼がいつも持ち歩いていたコーヒー豆は美味しかった。


 ルルノがソファーにダイブする。猫の着ぐるみパジャマから、白い太ももがチラリと見えた。慌てて目を逸らす。


「めんどいー、断るー、一人で行ってこーい」


「行けないから言ってんだろ。いいから行くぞ」


 手を繋いで無理やり立たせる。猫フードが外れ、角がチョコンと覗いた。


「やめろエッチ。わ、私をどうする気だ?」


「コンビニに連れてく気だ」


 左手の指輪がキラリと光る。見た目は綺麗だが完全に呪いの装備。これを外せたら一人で行ってる。


「嫌だー! たとえレイと戦うことになろうとも、私は外に出たくなーい!」


「冗談じゃ済まないだろソレ。ていうか配信でグータラ魔王垂れ流れてるぞ」


「はっ⁉︎」


 ルルノが目を見開く。すべすべ頬っぺたがプルンと揺れる。


『こいつダメだ、早くなんとかしないと』『勇者面倒見良すぎない?』『頂上決戦はよ』


 コメントが勝手に盛り上がる。ルルノが慌ててマウスを弄り、一方的に配信を終了した。


「さ、さらばだ皆の者。でゅわ!」


 暗転するモニター。『でゅわ!』のコメントが嵐のように流れ、ホーム画面に戻る。


「それじゃ行くぞ」


「ぐぬぬ。トンデモない男と結婚してしまった」


「こっちのセリフだグータラ魔王」


 猫パジャマのまま玄関へ。それぞれ安物のサンダルを履いていざコンビニへ。


「あら勇者さんに魔王ちゃん。二人でお出かけ? 仲良しねぇ」


「はい。これも世界平和のためなんで」


「こいつに付き合ってやってるだけだ」


 近所のオバさんにバッチリ見られた。軽く会釈し閑静な住宅街を進む。


 すぐに見えてきた最寄りのコンビニ。自動ドアが開き入店のメロディーがポロリロと流れる。


「なあ、レイ」


「ん? どした?」


 嫌な予感がする。というか指輪が訴えてくる。


「体鈍っちゃうし、ちょっと戦わないか? アレも調べたいし」


「街を壊す気かアホ魔王。それに今じゃなくても」


 断っても無駄だろう。ルルノは一度言い出したらきかない。レジでコーヒーを注文しながらため息が漏れる。


「なら空なら問題ないな! 外で待つぞ勇者よ!」


「あ、バカ、離れんな!」


 コンビニからウキウキで出て行くルルノ。香ってきたコーヒーも待たずに追いかける。


 だが時すでに遅し。魔力もない体では追いつけない。ルルノと距離が、心が離れていく。


 指輪が熱を帯びる。警告だ。


(あのバカ! ……ムカつく……勝手ばっか言いやがって……)


 心がザワつく。突然イライラが募り、魔力と憎しみが戻ってくる。――黄金、微弱な魔力が体から噴き上がった。


「おいお前、いい加減にしろ! これ以上離れんな!」


 苛立ちのまま怒鳴る。いつものレイじゃない。


 聖剣はない。魔力を剣状にして右手で掴む。


「は? 貴様ごときにそれができるか? 舐めるでないわ!」


 彼女の顔つきも変わる。かつて敵対していた頃、冷たい眼差し。


 ルルノの体に黒い魔力が帯びる。空に飛び上がり、魔力を集めた両手を向けてくる。


 負けじと空に飛び上がる。


「こっちだ! 付いて来るがいい!」


「言われなくても!」


 あっという間に遥か上空。ビルや工場が乱立する街を眼下に、元魔王と睨み合う。風が冷たい。


「私からケータイを奪おうとしたらどうなるか、思い知らせてやろう!」


「それが本音だろ! 今月の課金額超えたのはお前だ、バカ!」


「バカって言うやつがバカなんだ!」


 罵り合い、小さな不満をぶつけ合う。


 イライラがさらに積もる。魔力剣を振り上げる。


「【闇鉄砲】ー!」


 先手はルルノ。


 手から黒い弾、闇の初級魔法が生まれる。


 ヒュルル……と花火みたいな音。弱々しく、遅い。


 空気に瘴気が混ざる。


「【聖光剣・小】!」


 迎え撃つ。切先に込めた魔力の一閃。


 同じくノロノロした光の斬撃。


 ルルノの魔法とぶつかる。互いに相殺。


 ギャグみたいだがどちらも本気。


「やるな、勇者!」


「初級魔法だろうが!」


 この距離だとこれが精一杯。情けないが目を瞑る。


「まだまだ行くぞー! 【闇突風】!」


 空気がピリピリ唸る。今度はさっきより上位の魔法。


 大きな黒い風刃がレイに迫る。


 まともに受けたら首が飛ぶ。魔力剣を消し右手をかざす。


「【光疾風】!」


 聖なる光の風。瘴気の混ざった空気を浄化。


 白い風刃が飛び、またもや対消滅する。


「むきー! また私の魔法パクったー!」


「うるせえ! 今殺す気だったろ! ……俺もだけど」


 レイも一瞬殺気を込めた。だが理性で押し込める。


「うるさい! こうなったら接近戦だ!」


「望むところだ!」


 本心じゃない。なのに憎くて堪らない。


 拳に魔力を纏う。風が二人の間を駆け抜ける。


「「行くぞおおおお!」」


 距離が縮まる。


 十五……十メートル。


 虫唾が走る。顔も見たくない。


「「おおおぉぉ――」」


 五メートル。


 雄叫びが消える。ちゃんと顔を見たい。もっと近くに。彼女に触れたい。


 ――そして零メートル。


 手を伸ばす。見つめ合い、どちらともなく指を絡めた。


 愛しさが溢れる。もっと触れたい。


「……ごめん、ルルノ。ちょっと殺しそうになった」


「……私も。本気になるとこだった」


 不安そうな少女。笑ってほしい。傷付けないように抱きしめる。


「レイ……あったかい……」


 ルルノも応える。背中に回された手が震えている。


「帰るか、ルルノ」


「うむ、ちょっと疲れたな」


 魔力が消える前に地上に。二人で着地し、無力な人間に戻った。


「レイ、お前いいやつだな」


「ルルノは面白いけどな」


 視線が交わり、ふっと微笑む。胸がポカポカ温かい。


「なあなあ、もう今月は課金しないからー」


「今度こそ約束だぞ? 次破ったら飯作らないからな」


「くひひ、分かった」


 無邪気にはにかむ可憐な少女。


 手を繋いでコンビニに戻る。


「……あ、コーヒー」


「冷めてるだろうな、ドンマイ!」


 指輪の封印が織りなす奇妙な新婚生活。


 これも平和のためだと言い聞かせ、彼女の手を熱く握った。


「私、幸せかも」


「……俺も」


 二人の相性は、本当にバッチリだった。


「……チッ、見せつけんな」


 バイトの学生に舌打ちされた。レイは苦笑し、ルルノと店を出る。


 外に出ると、ふと視線を感じた。


 振り返る。だが誰もこちらを見ていない。


 通りを行き交う人々。いつもと変わらない平和な風景。


(……気のせいか)


 ルルノの手を握り直す。温かい。


「どうした、レイ?」


「ん、何でもない」



 二人は手を繋いで家路についた。


 レイの知らぬところで、確かに『何か』が動き始めていた――。

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