学術的根拠

これらの概念は、特定の個人を断罪するためではなく、

なぜ、人が沈黙や距離を選ばざるを得なかったのかを、

個人の性格ではなく構造として理解するために提示しています。


1.「加害と言われた」ときに生じる反発の心理構造

(=なぜ人は“自分は悪くない”と即座に感じるのか)


要約

人は、自分の行為や不作為が「加害」と名指しされた瞬間、

*道徳的自己像(自分は善良である、正しい人間である)*が脅かされる。

この脅威に対し、多くの人は事実検討ではなく、*防衛反応*を起動。

その結果、


* 「そんなつもりはなかった」

* 「善意だった」

* 「自分も大変だった」

* 「誤解だ」「言い過ぎだ」


といった

**自己正当化・責任の希薄化・被害者非難**が生じやすくなる。

これは人格の善悪ではなく、**人間の認知と感情の防衛機構**である。


### 学術的根拠(例)


* **Leon Festinger**

*Cognitive Dissonance Theory*(1957)

─ 自己像と矛盾する情報に直面すると、不快(不協和)を低減するために認知を歪める

* **Albert Bandura**

*Moral Disengagement*(1999)

─ 責任転嫁・被害の矮小化・正当化によって道徳的責任から離脱する

* **Jennifer Freyd**

*Betrayal Trauma Theory*(1996)

─ 近しい関係ほど、加害の事実を認めること自体が心理的脅威になる



## 2.なぜ「沈黙」は加害になりうるのか

(=被虐待児のSOSに対する沈黙の意味)


### 要約


被虐待児(またはその保護者)によるSOS・告発は、

**すでに極めて大きな心理的コストを支払った行為**である。

このとき周囲(親戚・家族・コミュニティ)が沈黙を選ぶことは、


* 「あなたの苦痛は扱う価値がない」

* 「真実より、関係の安定を優先する」

* 「助けを求めても応答は得られない」


という**メッセージを事後的に確定させる行為**になる。


沈黙は中立ではなく、

**既存の加害構造・権力関係を温存する選択**であり、

結果として被害の固定化・孤立・二次被害を生む。


### 学術的根拠


* **Burden of Disclosure(開示の負担)**

─ 被害を語る側が、信頼・関係・安全を賭けて告白しているという概念

(心理学・トラウマ研究で広く使用)

* **Judith Herman**

*Trauma and Recovery*(1992)

─ 沈黙と否認はトラウマを固定化し、回復を阻害する

* **Arlie Russell Hochschild**

*The Managed Heart*(1983)

─ 被害者が周囲の感情安定のために自らの感情を管理させられる構造=感情労働

* **Bystander Effect(傍観者効果)**

─ 責任が分散されることで「誰も行動しない」状態が生まれる(Latane & Darley)


## 3.スケープゴート(身代わり役)と家族システム


### 要約


家族や親族システムでは、

不都合な緊張・葛藤・罪責を**一人の成員に集中させる**ことで、

全体の安定を保つ構造が生まれやすい。


被虐待児や問題を提起する人物は、

「空気を乱す存在」「厄介な人」として位置づけられ、

結果として孤立・沈黙・排除が正当化される。


### 学術的根拠


* **Murray Bowen**

*Family Systems Theory*

* **René Girard**

*Scapegoat Theory*(身代わりの理論)



## 4.象徴界・命名・「父の名」の機能(ラカン)


### 要約


ラカンにおける「父の名」とは、

**暴力や欲望を制限し、言語と法によって秩序を作る象徴的機能**

である。


沈黙が続く家族では、この象徴的機能が不全となり、

暴力・逸脱・苦痛が**言語化も裁定もされないまま循環**する。


告発や言語化は秩序破壊ではなく、

**本来の象徴機能(秩序を作る)を回復しようとする行為**である。


A. 回避と「沈黙」の問題


5. 回避的対処(ストレス対処スタイル)


日本語名

• 回避的対処/回避的コーピング


英語名・キーワード

• avoidant coping, avoidance coping, coping styles

代表的な研究者・文献

• Richard S. Lazarus & Susan Folkman

• Stress, Appraisal, and Coping (1984)

• Charles S. Carver & Jennifer Connor-Smith

• “Personality and Coping” (Annual Review of Psychology, 2010)


要約

問題に向き合うのではなく、「見ない」「後回しにする」「相手と接触を断つ」などでしのごうとする対処。短期的には楽だが、長期的には葛藤・症状をこじらせやすいとされる。

6. ストーンウォーリング(沈黙によるコミュニケーション遮断)


日本語名

• ストーンウォーリング

• 沈黙による関係遮断


英語名・キーワード

• stonewalling, silent treatment, demand–withdraw pattern

代表的な研究者・文献

• John M. Gottman

• Why Marriages Succeed or Fail (1994)

• “What Predicts Divorce?”(複数論文の総称的テーマ)


要約

パートナー関係などにおいて、相手に一切応答しない、話し合いから引き上げる、必要最低限の事務連絡しかしない、といった「沈黙」をパターン化している行動。長期的には、相手に「存在を消された」ような深い傷を与えるとされる。

7. 境界線(バウンダリー)


日本語名

• 境界線/パーソナル・バウンダリー


英語名・キーワード

• personal boundaries, family boundaries, enmeshment

代表的な研究者・文献

• Salvador Minuchin

• Families and Family Therapy (1974)

• Murray Bowen

• Family Therapy in Clinical Practice (1978)


要約

家族やチームの中で、「ここから先は相手の責任/ここから先は自分の責任」という線引き。

境界が曖昧な家族では、一人に負担が集中したり、感情や責任が混ざって誰も自分の分を取らない、という問題が起きやすい。

B. トラウマと二次被害


8. トラウマと複雑性PTSD


日本語名

• 心的外傷(トラウマ)

• 複雑性PTSD(complex PTSD)


英語名・キーワード

• psychological trauma, complex PTSD, chronic interpersonal trauma

代表的な研究者・文献

• Judith Lewis Herman

• Trauma and Recovery (1992)

• Bessel van der Kolk

• The Body Keeps the Score (2014)


要約

家庭内虐待などの長期的・繰り返しの加害経験は、「単発の事件」とは違う形で心身に影響し、対人関係、自己評価、身体反応などに長く影響を残す、という議論。

9. 二次被害(セカンダリー・ヴィクティミゼーション)

日本語名

• 二次被害/二次加害


英語名・キーワード

• secondary victimization, secondary trauma, revictimization by systems

代表的な研究者・文献

• Rebecca Campbell & Seema Raja

• “The Secondary Victimization of Rape Victims” (Journal of Interpersonal Violence, 1999)

• Judith Herman(上記書)でも、司法・医療による「再加害」が繰り返し問題にされている


要約

被害を打ち明けた相手(家族・警察・医療関係者など)から

「たいしたことない」「お前にも非がある」「忘れろ」などと言われ、二重に傷つけられること。

事件そのものと同じくらい、あるいはそれ以上に被害者を追い詰めることがある、とされる。

10. トラウマ・インフォームド・ケア


日本語名

• トラウマ・インフォームド・ケア/トラウマを前提にした支援


英語名・キーワード

• trauma-informed care, trauma-informed practice

代表的な文書

• SAMHSA (Substance Abuse and Mental Health Services Administration)

• Trauma-Informed Care in Behavioral Health Services (Treatment Improvement Protocol: TIP 57, 2014)


要約

「この人に何が“悪い”のか?」ではなく

「この人に何があったからこうなっているのか?」という前提でかかわる考え方。

被害の再現や二次被害を避けること、安心・安全を確保することが中核に置かれる。

C. 愛着と「回避」


11. 愛着理論と回避型愛着


日本語名

• 愛着理論

• 回避型愛着(成人では「愛着スタイル」の一つ)


英語名・キーワード

• attachment theory, avoidant attachment, attachment styles

代表的な研究者・文献

• John Bowlby

• Attachment and Loss Vol.1: Attachment (1969)

• Mary Ainsworth

• “Strange Situation” 研究(Ainsworth et al., 1978)

• Cindy Hazan & Phillip Shaver

• “Romantic Love Conceptualized as an Attachment Process” (1987)

• Kim Bartholomew & Leonard M. Horowitz

• “Attachment Styles Among Young Adults” (1991)


要約

幼少期に「頼ったとき、繰り返し拒絶された/感情を受け止めてもらえなかった」経験があると、

大人になってから、他人に頼らず、距離をおいて自分を守ろうとする「回避型」のスタイルになりやすい、という理論。

これは性格の欠陥というより、「そうするしかなかった適応」として理解される。


D. 被害者の役割と「被害者の仕事ではない負担」


12. 打ち明ける側に課される負担(Burden of Disclosure)


・ 被害経験を「説明すること」そのものが、被害者にとって大きな心理的・身体的負担になる、という概念。

・ 特に、相手が「理解する準備ができていない」「疑う」「否定する」「沈黙する」場合、その負担は増大する。

英語キーワード

burden of disclosure

disclosure fatigue

testimonial injustice(証言的不正義:Miranda Fricker)


要約

被害者はしばしば、

何が起きたか

どれほど辛かったか

なぜ今も影響が残っているか


を、繰り返し説明することを求められる。

しかしこれは、本来加害や傍観に関与しなかった第三者に課すべき仕事ではない。


説明責任が一方的に被害者側に集中する構造そのものが、

二次被害(secondary victimization)を生み出すとされる。


13. 感情労働(Emotional Labor)と被害者


代表的文献

Arlie Russell Hochschild

The Managed Heart (1983)


本来の定義

感情労働とは、

「他者の期待に合わせて、自分の感情を管理・調整する労働」


被害者文脈での応用

被害者はしばしば、

相手を刺激しないように言葉を選ぶ

怒りや悲しみを抑えて説明する

「分かってもらえなかった場合のフォロー」まで引き受ける


といった高度な感情労働を無意識に強いられる。

これは

被害者が「大人に」「冷静に」「配慮深く」振る舞うことを要求される

という非対称な構造であり、

被害そのものとは別の次元で人を消耗させる。

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