『私たち、ビジネス不仲ですので。~ただしプライベートは除きます~』

@korone_

1.世界のエラーと、猫のあくび


 相坂莉奈(あいさか・りな)という生き物は、わかりやすく言えば『陽キャ』という種族に分類される。

 クラスの女子グループの中心にいて、流行りのコスメの話で盛り上がり、放課後はシェラーズコーヒーのラテを嗜みながら皆で中身のない会話を繰り広げ、SNSをぽちぽち更新する。

 それが、あたしの日常であり、無難な学校生活を送るための生存戦略だ。

「莉奈~! これ超ウケるんだけど!」

「あはは、マジだ。ヤバいね~!」

 お腹の底から笑っているフリをして、頬の筋肉を引きつらせる。

 空気は読むものではなく、作るもの。この学校というジャングルで生き残るため、あたしは『相坂莉奈』という完璧なアバターを操作し続けている。

 ……が、正直しんどい。

 MP(メンタルポイント)がゴリゴリ削られていくのが分かる。

 昼休みを告げるチャイムは、あたしにとって酸素供給の合図だ。

 「今日もちょっと用事あるから、ごめん!みんなで食べててねー!」と、定番の嘘を吐き、あたしはリュックを持ち教室を脱出した。

 向かう先は、第2資料室。

 埃とカビの匂いが漂う、学園のダンジョン。滅多に人が来ないこの場所だけが、あたしが『陽キャ』の重たい着ぐるみを脱げる、唯一のセーブポイントだ。

 鍵が壊れかけていて、コツさえ掴めば誰でも開けられるこの部屋は、あたしの秘密基地である。

「ふぅ、生き返った……」

 重い扉を閉め、床にドサリとリュックを放り投げる。

 ジッパーを開け、教科書の隙間に隠していた『ブツ』を慎重に取り出した。

 タイトルは『透明な恋人たち』第4巻。

 表紙には、夕暮れの教室で指を絡ませる二人の美少女。

 そう、これこそがあたしのガソリン。あたしの生きる糧。

 世間一般では『百合漫画』と呼ばれる、至高の芸術作品である。

 ビニールカバーの感触を楽しみながら、ページをめくる。

 ああ、尊い。無理。しんどい。

 繊細なタッチで描かれた主人公の表情。背景に舞うトーンのキラキラ。

 セリフのないコマで、視線だけが交差するこの間(ま)!

 その静寂な1コマが、あたしの脳みそをダイレクトに刺激する。

「あー……ここのコマ割り、天才かよ……! 尊すぎて息できない……!」

 つい、独り言が漏れる。ニヤニヤが止まらない。

 誰もいないこの部屋でなら、あたしはただのキモオタに戻れる。

 最高に幸せな時間だった。幸せなはずだった。


 ――その瞬間までは。


「……そこで、何をしているんですか?」

 背後から響いたのは、絶対零度の冷気を含んだ声。

 心臓が口から飛び出るかと思った。


 漫画を読むのに集中して、ドアが開く音に一切気がつくことができなかったようだ。

 驚き、勢いよく振り返ると、そこには『この世の終わりを告げる存在』が立っていた。


 篠崎栞(しのざき・しおり)。

 この学園の生徒会長にして、全校生徒が尊敬あるいは畏怖する『氷の女王』。

 整いすぎた顔立ちは、まるで作り物のように無表情で、あたしを見下ろしている。

「あ……えっと、これは……」

咄嗟のことで言い訳すらも思いつかない。

「無断使用ですね。この部屋は生徒会の管轄区域ですよ」

 終わった。

 あたしの学校生活、これにて完全終了のお知らせ。

 陽キャのトップランカーが、埃まみれの部屋で百合漫画を読んでニヤついてたなんてバレ、それだけに留まらず無断で資料室に侵入という2つの罪を公にされてしまっては、明日から学校に来れるわけが無い。

 生徒会長はあたしの手から漫画を乱暴にひったくると、パラパラとその中身を確認し始めた。

 あたしは放心状態で、その白く綺麗な指先がページをめくるのを、黙って見つめるしかなかった。心臓がバクバク音を立てている。あたしの寿命が縮んでいくサインだ。

 と、その時。

「……『不純』ですね」

 彼女は短くそう吐き捨てた。視線は漫画に向けられたまま。

「はい?」

 何を言ったのかがわからず、あたしはおそるおそる、彼女が開いているページを覗き込む。

 そこは、とある見開きページだった。

 主人公二人が初めてお互いの名前を呼び合う、物語のクライマックス。最高にエモエモなシーンである。

「……非合理的です」

「え?」

「なぜ、好意があるのに言葉にしないのですか? 名前を呼ぶシーンだけで、なぜ見開き2ページも使って背景を花柄にする必要があるのですか? 資源の無駄では?」

 会長の声が、微かに上ずっていた。

 あたしは、会長の顔をチラッと見た。

 夕日のせいじゃない。

 黒髪の間から覗く彼女の耳が、熟れた果実のように真っ赤に染まっている。

 ――あれ?

 この人、もしかして。

「……会長」

「な、なんですか」

「この漫画の続き、気になります?」


 そう伝えた瞬間、世界にバグが生まれた。


 氷の女王の仮面が一瞬だけ剥がれ落ち、そこには「猫じゃらしを目の前にした猫」のような、好奇心に満ちた瞳があったのだ。

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