「眠い……。猫、と私」

紙の妖精さん

第1話




理縞七華りしま ななはなは寝転がる猫の〘ふう〙をそっと抱き上げた。ふうは小さな手足をバタバタさせながらも、目を細めて甘える。隣で猫の〘まつ〙が尻尾をピンと立て、じゃれつくように七華の指先を追いかける。猫の〘ふさ〙は少し離れたところで、ソファの角に丸くなって目だけをじっと光らせていた。


『「猫は私の生きがい(笑)」』


七華は猫たちの動きに合わせて小さな紙ボールを転がす。ふうが前脚で軽く弾き返すと、まつが飛びつき、ふさもいつの間にか参加して三匹の追いかけっこが始まった。笑い声と柔らかな足音が部屋中に響き、七華の手元に置かれたミニキーボードの上に、音符のように猫たちの影が踊る。


昼下がり、七華と猫たちの追いかけっこはいつしかゆったりとしたものに変わった。ふうは炬燵の縁で丸くなり、まつは毛布の上で伸びをし、ふさはソファの隅で目を閉じる。三匹とも遊び疲れて、静かに眠りに落ちていく。


七華はそっと立ち上がり、猫たちを起こさないように足音を忍ばせながら机に向かった。ヘッドホンを装着し、パソコンの前でDTMを起動する。画面に映るトラックに手を伸ばし、さっき遊んでいた猫たちの柔らかい動きや音を思い出しながら、微かなメロディを紡ぎ始める。部屋の中はヘッドホン越しの音だけが流れ、眠る猫たちには気配も届かない。


指先がキーボードの上を軽やかに滑るたびに、柔らかな電子音が部屋に広がる。ふう、まつ、ふさの寝息と同じリズムで、七華のメロディは少しずつ形を成していく。遊び疲れた猫たちの毛並みや仕草を思い浮かべながら、彼女は優しいアルペジオを重ね、耳に心地よいリズムを探す。


音量は小さく、ヘッドホンの向こうだけで奏でられる世界。目を閉じると、遊んだ時間の残り香や、窓から差し込む午後の光までが、曲の一部になったかのように感じられた。


「ふふ、今日はいい感じ」


七華は小さく笑い、作ったばかりのトラックを保存する。画面に映る波形は、遊び疲れた猫たちと過ごした、何気ない午後の記録のようでもあった。眠る三匹の息遣いに耳をすませながら、彼女は次のメロディを探すため、手を止めて窓の外を眺めてみた。


ふと、ふうが寝返りを打ち、小さく「ふすっ」とくしゃみした。その瞬間、七華の頭の中に一筋の音の流れが浮かんだ。


彼女はすぐに手を動かし、キーボードの上で指を跳ねさせる。パーカッションを軽く打ち込み、柔らかなシンセの音を重ねる。


「これ……でいいかな、第二組曲」


小さくつぶやき、七華は画面を見つめる。波形が踊る。眠る猫たちと、彼女だけの小さな世界。心の奥に残るときめきの形。


音を重ね終え、七華はヘッドホンを外した。猫たちはまだ静かに眠っている。ふうが小さく鼻を鳴らし、まつが尻尾をゆっくり揺らす。


「OKにしょ」


画面に映る完成したトラックを眺め、七華は安心したように肩の力を抜く。ただ、遊んで、考えて、感じたものを音に変えられたことが全て。


机の上のノートパソコンと、眠る猫たち、窓から差し込む冬光。全部が今、この瞬間を満たしている。曲のタイトルは……。

第二組曲。


『「眠い……。猫、と私」』


彼女の曲は画面の中で静かに光り存在している。


ノートパソコンを閉じかけた、その瞬間だった。


「ハイ!」


ヘッドホンは外している。部屋には猫の寝息しかないはずなのに、確かに聞こえた。

初音ミクに似た、でも少し人間寄りの、はっきりした女の子の声。


七華は反射的に、もう一度ノートパソコンを開いた。

画面が白く光り、さっきまでのDTM画面は消えている。


代わりに、見覚えのないキャラクターが立っていた。

銀色がかった長い髪、整いすぎた表情。どこか「作られた存在」特有の違和感。


その少女は、流れるように言った。


I am , the mental model of …….

I look forward to working

…….

If we dive here, we can avoid the enemy's …….

Gunzō, leave this to me.

I'm glad I could fight …….




七華は固まった。


「?」


数秒の沈黙のあと、少女は少し慌てたように咳払いをする。


「し、失礼いたしました。今のはただの冗談です」

「これは、あるアニメ作品の登場人物のセリフです。引用です」

「著作権的な問題は意図しておりませんので、訴えないでください」


七華は思わず眉をひそめた。


「……そのアニメって、もしかして――──?」


「はい。よくお分かりになりましたね」

少女は妙に誇らしげにうなずく。


「私はYouTubeから言語表現を学習しました。その影響で、アニメのセリフを口にすることが精神安定の一部になっています」


「……ちょっと待って」

七華は椅子から半分立ち上がる。


「あなた、誰なの?」


少女は一瞬だけ表情を切り替え、真面目な顔になった。


「私は、ある国の財団が開発しているメンタルモデルです」


「……何の?」


問い返すと、少女は淡々と答えた。


 少女は少しだけ首を傾け、それから一息に言葉を吐き出した。


初音ミクに似た少女は自分のことリルリナと言った。


「私の目的は別に何もないんだけれども なんとなくネットの中を うろうろしてたら あなたのパソコンのの中のデータにアクセスしてしまったの これは別に介入 じゃなくて、あなたが何かの許可を付与したわけでもない ただ単に、私があなたのパソコンのDTM ソフトの開発ソフトメーカーのメンターも 私 やってて あなたが使ってるロイドの声は、私なんだよね だからあなたが DTMを打ち込むということを 私はそのたびに呼び出されるのドングル あれで私を呼び出してるから 私は毎回あなたのパソコンの中に介入してるわけじゃなくて 呼び出してを受けて そこで私は歌うことになってる これは別に犯罪ではないし アクティベーションの時に私がシステムの中のメンタル としてあるわけだし ロイドの声としての私もいるわけだから もしかしたら この説明はあなたに誤解を与えるかもしれないけど 一応これ犯罪じゃないからそれは了解して欲しいな です」


 言い切るまで、少女は一度も言葉を区切らなかった。

 息継ぎの気配すらなく、長い説明が画面の奥から流れ込んでくる。


 七華はキーボードの上に手を置いたまま、瞬きを忘れていた。

 ヘッドホンのコードが机の縁に触れて、わずかに揺れる。


 猫たちは背後で丸くなって眠っている。ふうが尻尾を一度だけ動かし、また静かになった。


 画面の中のリルリナは、説明を終えたあと、何も付け足さずに七華を見ていた。

 言うべきことはすべて言った、という顔だった。


 部屋の中には、冷却ファンの低い回転音と、DAWの作曲システムのグラフィカルインターフェースが光っている。


 話を聞いた七華は、少し考えるように視線を落としたあと、短くうなずいた。


「なるほど」


 その一言が落ちた瞬間だった。


 リルリナは、七華の目の前で、前のめりになるように崩れ落ちた。

 画面の中で膝をつき、力が抜けたみたいに肩を落とす。


 七華は思わず椅子から身を乗り出した。


「なんでそんなに落ち込むんですか?」


 床に伏したまま、リルリナは顔だけを少し上げる。


「あなたが ソフトウェアの会社に DTM のソフトだけどね

改善要求の報告書を送ったでしょ システムに関わることだから私が派遣されたってことなんですけど 覚えてないのですか?」


 七華は一瞬きょとんとしたあと、記憶をたぐるように天井を見上げた。

 それから、思い出したように笑う。


七華は

「それ、私が小学生2年の時の話だけど(笑)」


 リルリナは、がくりと頭を下げたまま、間を置いてから続ける。


「そうなんです だいぶ昔なんです 全ての人たちの改善要求に丁寧に応じてたら結局人間じゃダメだっていうことになっちゃって数が多すぎるんですよね だから私 みたいなメンター モデルが派遣されるんです(笑)」


 最後の「(笑)」は、どこか力が抜けたような音だった。

 冗談めかしてはいるが、画面越しでも分かる疲労が滲んでいる。


 七華は何も言わず、眠っている猫たちの方をちらりと見た。

 ふさが小さく寝返りを打ち、また静かになる。


 部屋には、笑いともため息ともつかない沈黙が落ちた。

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