第2話 遺書と制服
教室に、夕日が不自然なほど赤く射し込んでいた。
黒板には、複雑な拝(はい)の流動図が書き残されたまま。放課後のけだるい空気が漂うその場所に、場違いな足音が響く。
教壇に立った男が、一枚の書類を机に叩きつけた。
乾いた音が、三人の生徒の視線を集める。
「遊びは終わりだ」
担任教師・**鏡 玄在(かがみ げんざい)**の言葉は、短く、重かった。
喪服のような黒いスーツを着崩したその男が口を開くと、空気の密度が変わる。訓練の汗が冷え、本能が警鐘を鳴らす。
「一年生。お前たちに最初の任務が下りた」
蓮が身を乗り出す。
「実戦、ですか」
「そうだ。国内、要人警護。詳細は移動中に伝える」
玄在は三人の顔を順に見回し、最後に蓮の瞳を覗き込んだ。
その眼差しは、解剖医が死体を見るように冷徹だが、奥底には名状しがたい泥のような感情が混じっていた。
「勘違いするなよ。これは遠足ではない。
戦わなければ死ぬ。拝が尽きれば死ぬ。判断を誤れば死ぬ。運が悪ければ死ぬ」
玄在は懐から煙草を取り出し、火もつけずに弄(もてあそ)ぶ。
「――遺書は、ロッカーにでも入れておけ」
教室が静まり返る。
想(そう)が息を呑む音が聞こえた。六花(りっか)が表情を引き締め、無意識に自分の指先を握りしめる気配がした。
親元を離れ、この閉ざされた学園の寮で暮らす彼らにとって、そのロッカーの中身だけが、ここに生きた証のすべてだ。
死。その概念が、急にリアリティを持って喉元に突きつけられる。
だが、蓮の胸には、恐怖とは別の熱が灯っていた。
ようやく、証明できる。
自分が何のためにこの力を得たのか。
この命を燃やすに値する場所へ、ようやく行けるのだ。
「行きます」
蓮は即答した。
隣で想が不安げにこちらを見たが、蓮は力強く頷いてみせる。
大丈夫だ。俺がついている。
「俺たちが、守ってみせますから」
玄在は眉ひとつ動かさず、ただ「……そうか」とだけ呟いた。
その声色が、期待なのか、諦めなのか、あるいは憐憫(れんびん)なのか。今の蓮たちには読み取れない。
その言葉が。その若すぎる決意が。
数時間後、どれほど無残な形で裏切られることになるかを知らずに。
少年たちは、朱色の空の下、生活のすべてが詰まった寮を背に、学園の門をくぐる。
それは、二度と戻ることのない「日常」への、最後の別れだった。
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