第42話 クリスマスの“誰かのため”疲れ
12月の予定表は、勝手に光る。
光るのはイルミネーションじゃなくて、カレンダーアプリの通知。朝から「今日:忘年会」「今日:プレゼント交換」「今日:打ち合わせ(急)」が並んでいて、私はそれを一つずつ指で押し戻したくなる。押し戻せないのに。時間は指で動かない。知ってる。
職場のエレベーターの鏡に映る自分は、眉間に薄い線があった。クリスマスっぽい赤いマフラーを巻いてるのに、顔が年末。
「美咲さん、24日、空いてますよね?」
朝のフロアで、後輩の佐々木が言った。言い切らないくせに、目は言い切っている。空いてますよね、がもう決定事項みたい。
「え、24……」
私はスマホを取り出すふりをして、画面を見た。見た瞬間、通知がまた光った。
――「18:30 チーム飲み(クリスマス会)」
――「21:00 友人・真帆と合流(プレゼント渡す)」
詰まっている。詰まっているのに、頭の中では「いけるかも」が浮かぶ。いけるかもは危険だ。いけるかもはだいたい、いけない。
起。小さな摩擦は、予定が詰まりすぎること。
「一応……予定、あるけど。途中なら……」
言ってしまった。途中なら、という便利な言葉を。途中ならは、誰も得しないことが多い。自分がすり減るだけ。わかってるのに、口が先に出る。
佐々木が笑って、スタンプみたいに親指を立てた。
「やった。じゃ、途中でもいいです! みんな来る感じで!」
みんな来る感じで、がふわっとしていて、断りづらい。ふわっとした空気が、一番固い鎖になる。
午前中の会議は長引いた。資料の修正が入り、メールが増え、チャットの通知音が鳴る。ピコン、ピコン。鳴るたびに、私の肩が上がる。通知音って、ただの音なのに、呼び出しベルみたいに感じる。
昼休み、同期の真帆からLINE。
真帆:『24、プレゼント交換しよ! 今年はちゃんと会お!』
真帆:『スタンプのやつ買ったw』
スタンプのやつ。真帆は去年、LINEスタンプを「現物」でくれた。スタンプのキャラが印刷された付箋。可愛かった。可愛かったけど、私はそれを使い切れずに引き出しの奥にしまっている。しまっているのに、捨てられない。誰かの「ため」のものは、重い。
承。断れないことで、すれ違いが膨らむ。
私は真帆に「いいね」と返しそうになって、やめた。いいねは、既読より危険だ。いいねを押すと、肯定した気になる。気になるだけで、実際は時間が増えないのに。
代わりに、短く返した。
私:『仕事がちょい詰まってて…時間調整する!』
調整する。これも便利な言葉。調整って、何をどうするのか言ってない。言ってないから、相手の期待が自由に膨らむ。自由に膨らむ期待は、後で破裂する。
午後、佐々木がまた来た。
「美咲さん、24、プレゼント交換もあるんで。予算、3000円で!」
「……予算?」
「はい! あと、ドレスコード、白っぽいの!」
白っぽいの。私のクローゼットは、基本、黒っぽい。白っぽいのは、クリーニングに出しそびれたコートくらい。白っぽいコートは、汚れが目立つから年末には着たくない。年末は汚れやすい。外も心も。
私は笑って頷いた。笑って頷くのが、一番ラクな返事だ。ラクなのに、後から重くなる。
夜、帰りの電車で、スマホが震え続けた。通知が来るたび、私は画面を見て、ため息を飲み込む。飲み込むたびに、喉が乾く。冬の乾きは、気持ちの水分も奪う。
駅前の商業施設は、イルミネーションが点いていた。青白い光が、冷気を余計に冷たく見せる。私はその光の中で、プレゼント売り場をうろうろした。うろうろしている自分が、すでに疲れている。
――誰かのために。
――ちゃんとしなきゃ。
――断ったら嫌われる。
頭の中の声が、勝手に忙しい。私はエスカレーターの手すりに手を置いて、冷たい金属の温度を確かめた。現実の冷たさは、思考を少し止める。
そのとき、真帆から電話が来た。電話。LINEの時代に電話が来ると、それだけで「大事」になる。
「美咲? 今大丈夫?」
真帆の声は、思ったより元気じゃなかった。イルミの光の下で、私は足を止めた。
「うん…大丈夫。どうした?」
「いや、さ。私さ、24、めっちゃ会いたい気持ちもあるんだけど…正直、今週、限界かも」
限界。真帆が言うと、急に空気が正直になる。
「限界って…仕事?」
「うん。あと、家のことも。なんか、誰かのための予定ばっか入れて、自分がいなくなってく感じする」
転。背景が一つだけ見えた。
真帆は「会いたい」と言いながら「会えない」側の罪悪感を抱えていた。私だけじゃない。むしろ、私が抱えているのと同じ形。断れない人の形。
私は商業施設の入口で、息を吐いた。白くなった。白い息がすぐ消えるのを見て、少し笑ってしまった。消えるのに、出る。出るのに、消える。予定も似ている。入れた瞬間は「ちゃんとしてる」気がするのに、当日には消したくなる。
「真帆さ」
「うん」
「…会わない、って優しさもあるよね」
言いながら、自分で驚いた。会わない優しさ。ずっと「会う」が正義だと思ってた。会う方が誠実。会う方が大事。そういう思い込み。だけど、会うために疲れ果てて、会ったときに機嫌が悪くなるなら、それは何のためだ。
真帆が小さく笑った。
「それ、言ってほしかったかも」
私はそこで、初めて自分の予定表を正面から見た。24日。職場。真帆。プレゼント。白っぽいの。全部が「誰かのため」に見える。自分のための余白が、どこにもない。
私はスマホのカレンダーを開いて、24日の予定を長押しした。削除ボタンが出る。指が一瞬止まる。削除って、関係を削るみたいで怖い。怖いけど、削るのは予定であって、相手じゃない。頭ではわかる。体がついてこない。
私は真帆に言った。
「じゃあさ。24は、やめよ。会うの、年明けの昼とかにしよ。ちゃんと元気なとき」
沈黙。電話越しの沈黙は、既読より怖い。でも、真帆の沈黙は長くなかった。
「…うん。そうしよ。美咲も、ほんとは疲れてるでしょ」
疲れてる。言われた瞬間、涙が出そうになった。疲れてるって、当てられると弱い。私は笑って誤魔化した。笑いは、今も便利だ。
「ちょっとね。ちょっとだけ」
電話を切ったあと、私は職場の24日の「クリスマス会」を見た。佐々木の顔が浮かぶ。断るの、嫌だな。でも、断らないと、自分がいなくなる。
私はチャットを開いて、短く打った。
『24日、家の事情で参加できなくなりました。申し訳ないです。皆さん楽しんでください。』
家の事情。これは嘘じゃない。家=自分の身体と心。自分も家だ。そう思うと、少しだけ楽になった。送信ボタンを押す指が、さっきより軽い。
結。断る練習で、関係が壊れない経験。
数分後、佐々木から返事が来た。
佐々木:『了解です! 無理しないでください! また別でご飯行きましょ!』
スタンプがひとつ付いていた。ぺこり、のやつ。軽い。壊れていない。世界は、案外、壊れない。壊れると思い込んでいただけ。
私はプレゼント売り場から離れて、外に出た。イルミネーションは相変わらず光っている。光は、私の予定に関係なく光る。冷気は、私が参加しなくても冷たい。
息を吐く。白くなる。消える。
私はスマホをポケットに入れて、手袋の中で指を開いたり閉じたりした。誰かのために動く指じゃなくて、自分のために温める指。たったそれだけで、帰り道が一ミリなめらかになる。
通知が鳴らなくても、街はクリスマスを続ける。私が全部の予定を埋めなくても、光は足りている。私は駅へ向かいながら、次に「断る」を使うときは、もう少し最初から短く言おう、と心の中で練習した。断るのは、拒絶じゃなくて、調整。冬の光の下で、その言葉が少しだけ現実味を持った。
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