渇望のジグラット~ダークファンタジーなエロゲ世界の悪役王子に転生したので、NTR悪役ではないけどNTRするしかない~

理久王

第1話「冷笑の大広間──屈辱と覚醒」

挿絵画像:https://kakuyomu.jp/users/rikkues/news/822139841319619727


 晩秋の王都に差し込む、冷たく澄んだ金色の光があった。

 それは高い窓から斜めに差し込み、少年の濃紺の儀礼服の縁を細く縁取っている。


 ジグラット=エルステリアは姿見の前に立ち、顎をわずかに上げて、自分という像を眺め回した。

 金糸で縁取られた襟元。肩口に走るささやかな刺繍。腰には儀式用の細剣。

 王族として求められる外形は、どこから見ても申し分ない。


 ただ――胸のどこかが、ひどくざらついていた。


 この濃紺の色は、他の王族が纏う純白や深藍とは決定的に違っている。

 光を吸い込み、影のように浮かぶ色。

 並べて立てば、一人だけ「異物」として目立つようにできている。


(……わざわざこんな色を割り当ててくるあたり、趣味がいいのか悪いのか)


 口の中で小さく毒を噛む。


「失礼いたします」


 控えめなノックと共に、扉が開いた。

 黒服の使用人が、恭しく頭を垂れたまま入室してくる。

 両手には白い手袋と式典用の飾緒が載せられていた。


 ジグラットが視線だけで振り返ると、使用人は一瞬だけ目を逸らした。

 礼儀正しく頭を下げながらも、その眼差しには触れたくないものから距離を取るような硬さがある。


「……それをよこせ」


 短く言葉を落とす。

 使用人は小さく肩を揺らしながら、器用な手つきで銀盆ごと差し出した。


 白手袋と飾緒を受け取ると、使用人は安堵したように一歩下がり、足音を立てないまま退室していった。


 閉じた扉の向こうから、冷たい空気だけがじわりと忍び込んでくる。

 それは視線でも言葉でもなく、無関心という名の冷気だった。


(相変わらずだな。王族相手にあの態度……まあ、俺だから許されるとでも思っているのか)


 ひやりとした苛立ちが喉元まで込み上げる。

 だが、声に出して叱責するほどの価値もないと判断し、ジグラットは小さく肩をすくめた。


 指先から丁寧に白手袋をはめていく。


 問題児の第二王子。

 傲慢で冷血で、自分の価値を過大評価しているくせに、何一つ結果を出さない“王家の汚点”。


 そういった類の噂話が、いつの間にか自分の顔と名前にくっ付いて離れなくなった。

 信じたい者だけが信じて、自分の目で確かめようとさえしない。


(愚か者どもが。俺の本当の価値を理解できないだけだろう)


 鏡の中の自分を、改めて見据える。


 黄金を薄く溶かして流し込んだような金髪。

 光の角度によって白金めいて揺らぐ髪は、丁寧に整えられ、王族相応の艶を纏っている。

 深蒼の瞳には生来の鋭さと、他者を値踏みする癖がそのまま宿っていた。


 表情は静かで、どこか人を見下ろすような目つき。


(ああ、これだ。どう見ても“王の器”じゃないか)


 自惚れとも言い切れない思いが胸の奥に渦巻く。

 だが、その優越感のすぐ隣には、ちくりとした不快感も同居していた。


 第一王子ルシアス。

 第一王女リアーナ。


 どちらも生まれながらに「完璧」というラベルを貼られた存在だ。

 少し振る舞えば、周囲が勝手に持ち上げ、勝手に意味を与える。


(俺だって、やればできる。……なのに、何をしても“悪い方”にしか解釈されない)


 舌打ちしたくなる衝動を飲み込み、ジグラットは濃紺の外套の裾を整えた。


 今日は第一王子ルシアスの誕生日式典――成年礼。

 王家の威光を帝国中に知らしめる舞台であり、第二王子としての自分にも、それなりの役目が与えられている。


(少なくとも、“笑いもの”になるつもりはない)


 細剣を腰に提げ直し、ジグラットは出入り口へと歩き出した。


 ◇ ◇ ◇


 王宮の大広間は、帝国の威信をそのまま形にしたような空間だった。


 磨き上げられた白大理石の床がどこまでも広がり、その中央を深紅の絨毯が真っすぐに貫いている。

 両脇に並ぶ列柱には金糸のタペストリーが下がり、天井からは巨大な水晶のシャンデリアが幾つも吊り下げられていた。


 その光は無数の粒となって降り注ぎ、集った者たちの衣装や装飾品を淡く照らし出す。


 主要諸侯、聖堂関係者、学園の理事たち。

 帝国の中枢を担う者たちが一堂に会し、それぞれの思惑を胸に秘めながら静かに席についている。


 その最前列、王族席。


 中央に立つのは、第一王子ルシアス。

 光を受けて淡い白金にも見える金髪が、滑らかな流れを描きながら肩の少し下まで垂れている。

 透き通る氷青の瞳は表情のほとんどを内側に隠したまま、静かな湖面のような冷ややかさを湛えていた。


 深藍と白を基調とした礼装には金の飾緒。

 胸元の王家の紋章を象った蒼い宝玉のブローチが、彼こそが「正しい継承者」であると誰の目にも示している。


 ただそこに立つだけで、空気が彼を中心に形を変える――そんな錯覚を抱かせる存在感。


(ふん……“完璧な継承者様”ってわけか)


 ジグラットは心の中だけで鼻で笑う。

 

 その右隣には、第一王女リアーナ。

 淡いプラチナブロンドの髪が、月光のような冷涼な輝きを放ちながら腰まで流れている。

 純白のドレスに繊細な金の装飾。深い紫水晶の瞳には冷静な思考と激しい情が同居し、ときおり未来を見透かすような鋭い光が灯る。


 透き通る白磁の肌。

 聖堂が生み出した象徴そのもののような清廉さ。

 彼女が微笑むだけで、観客席のあちこちから小さな感嘆の吐息が漏れた。


(……相変わらず、信仰の対象扱いか。よくも飽きないものだ)


 ジグラットはそれを斜めに眺めながら、王族席の左端――自分の立ち位置に腰を落ち着ける。

 濃紺の儀礼服は兄妹の白と深藍の間で、ひどく場違いな暗さを帯びていた。

 周囲から向けられる視線がじくじくと肌を刺す。


「……あれが第二王子か」

「噂通り、場の色から浮いておられる」

「成人式の主役は第一王子なのだから、せめて目立たぬようにしていればよいものを」


 小声で交わされる囁きが、耳の端を掠める。


(聞こえてないとでも思ってるのか、愚か者どもが)


 内心で毒づく。だが顔には一切出さない。

 むしろ冷えた笑みをうっすらと浮かべることで、「気にしていない」という印象を押し付けていく。


 ルシアスは一度もこちらを見ない。

 リアーナも視線を合わせる素振りすら見せなかった。


(はいはい。どうせ俺は、“いない方がいい第二王子”ってやつだ)


 ジグラットは肩をわずかにそびやかし、視線を正面へと固定した。


 ◇ ◇ ◇


 やがて式典が進行し、聖堂長による祝辞、諸侯からの献上品披露が滞りなく行われていく。

 広間に響く声は荘厳で、内容はどれも第一王子を讃えるものばかりだった。

 そして、王族による“所作の儀”の時間が訪れる。


 王家流の儀式剣舞。

 剣を抜き、掲げ、優雅に一礼する――それだけの所作に、幾代にもわたる王家の権威と誇りが宿るとされている。


 最初に前へ出たのはもちろんルシアスだ。

 彼は静かに前へ進み、音もなく剣を抜き放った。

 刃が空気を裂く音さえも洗練されているように聞こえる。


 掲げられた剣がシャンデリアの光を反射し、淡く煌めいた。

 深く一礼する所作にも一片の乱れもない。

 観客席から盛大な拍手が沸き起こった。


「さすがはルシアス殿下だ」

「美しい……」


 声にならない賞賛の気配が大広間全体を包み込む。


 次いで前に出たリアーナは聖杖を両手で掲げ、祈りの型を示した。

 杖の先端から淡い光がこぼれ落ち、広間を柔らかに照らす。


 光に包まれた瞬間、人々の表情から緊張がわずかに解け、安堵と陶酔が混じったような息が漏れる。

 拍手が再び巻き起こり、今度は祈りそのものに対する感謝のように続いた。


 そして――ジグラットの番が回ってくる。

 濃紺の裾を揺らしながら一歩踏み出し、視線だけで周囲をひと撫でする。


(さあ、見てろ。俺だって――)


 腰の剣に手をかける。

 貴族たちの視線が一斉に集まった。

 そこには期待よりも、「やはり」と頷く準備をしているような色の方が濃い。


(その面、全部歪ませてやる)


 ジグラットは息を整え、剣を抜き放とうとした――その瞬間。


 ほんのわずか、柄の角度が狂った。

 剣の柄が腰の飾緒に引っかかり、予想外の抵抗が腕にかかる。


「っ」


 嫌な感触と同時に、力の流れが崩れる。


 ガシャン

 金属が床に打ち付けられる鋭い音が、広間の天井まで突き抜けていった。

 一拍遅れて、静寂が訪れる。

 

 会場全体が息を呑んだ。

 シャンデリアの光だけが、無神経にきらきらと揺れている。


 その静寂の中で、押し殺したような声が漏れた。


「……やはり」

「所詮は第二王子か」

「あれでは王族の威厳も何もあったものではないな」


(黙れ……)


 内心で噛み殺した叫びを、ジグラットは歯の奥で押し止める。

 俯くことなく、ゆっくりと剣を拾い上げると、何事もなかったかのように鞘へと戻した。


 リアーナの睫毛がわずかに伏せられる。

 それから吐き捨てるような小さな声がこぼれた。


「……また虚勢だけ」


 耳を澄まさなければ聞き取れないほどの声量。

 しかし、ジグラットの耳にははっきりと届いた。


 ルシアスは顔色一つ変えない。

 だがその口元には微かな笑みが浮かび、氷青の瞳は温度を失ったままだった。


 ジグラットは形式どおり深く一礼する。


 返ってきた拍手は、先程までの熱を失っていた。

 義務として鳴らされるだけの平板な音が、やけに耳障りに響く。


(――クソが)


 胸の裏側で、黒いものがじくりと蠢いた。


 ◇ ◇ ◇


 儀式を終えたジグラットは再び王族の列に戻る。


 足元から広がる震えを、ふくらはぎから太ももまで総動員して抑え込んだ。

 貴族たちはもう彼を見ていない。

 興味を失った標本を見るように視線を逸らし、別の話題へと移っている。


 その態度が、さっきまでの嘲笑よりも余計に苛立たしい。


 隣に立つルシアスはやはり一度も振り向かない。

 リアーナは祈りの姿勢を崩さず、形だけの敬虔さを保ち続けていた。


(よくもまあ、ここまで堂々と“いない扱い”ができるものだ)


 式典は粛々と続く。


 諸侯からの祝辞が延々と読み上げられ、聖堂長が祝福の言葉を述べる。

 そこに繰り返し登場するのは、第一王子ルシアスの名ばかり。

 第二王子という言葉は、一度たりとも発せられなかった。


(最初から、王族は二人しかいないつもりか)


 拳を握りしめる。

 爪が掌に食い込み、鈍い痛みがじわりと広がった。


(このまま、ずっとこうなのか)


 何をしても、どう振る舞っても、周囲の目は変わらない。

 問題児の第二王子。傲慢で冷血で、期待するだけ無駄な男。


(ふざけるな。俺はそんな器じゃない)


 式典が終盤に差しかかる頃には、ジグラットの手は血の気を失って真っ白になっていた。

 聖堂長の最後の言葉が広間に響き渡る。


「では、これにて式典を終了いたします。皆様、第一王子殿下の成人を祝い、盛大な拍手をお願いいたします」


 ひときわ大きな拍手。

 ルシアスが恭しく一礼し、リアーナが柔らかに微笑む。

 ジグラットは誰からも顧みられないまま、ただ列の端に立ち尽くしていた。


(俺は、何のためにここにいる)


 視界の端がわずかに揺らいだ。

 疲労なのか、怒りなのか、それとも――


(何のために、こんな屈辱を飲み込んでまで“ここ”にしがみついてる)


 心臓が激しく胸を叩く。

 息が浅くなり、広間の空気が鉛のように重く感じられた。


(このまま一生、“出来損ないの第二王子”として笑われ続けるのか)


 胸の奥で、何かが軋む音がした。

 張り詰めた糸が、悲鳴を上げながら限界へと伸び切っていく。


(俺は、本当に――何も変えられないのか)


 その瞬間。

 世界が、崩れた。


 ◇ ◇ ◇


 音が遠のいていく。

 シャンデリアの光がばらばらの粒になって散り、ノイズ混じりの画面のようにちらついた。

 足元の赤い絨毯が、見覚えのある色調へと変質していく。


 ――ゲームのUIステータス画面の、あの色。


 頭蓋の内側を殴りつけられたような激痛が、脳を貫く。

 ジグラットは膝をつきそうになるのを、歯を食いしばって耐えた。

 周囲の視線が集まる気配だけが、かろうじて現実へ繋ぎ止めている鎖のようだ。

 そこへ別の世界の光景が奔流のようになだれ込んできた。


 散らかったワンルーム。

 モニターの前に積み上がったゲームパッケージ。

 安物の椅子に座ったままの、自分の姿。


 最後に遊んでいたエロゲー――『聖剣と終焉のクロニクル』。


 液晶画面に映るキャラクター選択画面。

 そこには「ジグラット=エルステリア」の名が表示されていた。

 視界の端に半透明のステータス画面が浮かび上がる。


 『ジグラット=エルステリア』

 『職業:王族/属性:闇』

 『特性:孤立/嫌悪/破滅予定者』


 その下で赤い文字が点滅する。


 『破滅エンド──妹リアーナ率いる勇者パーティに討伐される』

 『運命の結末:あと三年』


 画面が切り替わる。スキルツリーの一覧。

 ほとんどのスキルがグレーアウトし、「解放条件未達」「取得不可能」の文字が並んでいた。

 さらにもうひとつの記憶が重なる。


 夜の横断歩道。

 信号が青に変わり、スマートフォンを握ったまま歩き出す自分。

 横から飛び込んでくるトラックのライト。

 白く弾ける視界。宙を舞う身体。

 意識が闇へと滑り落ちていく感覚。


 そして――この世界で目を覚ました瞬間。


 ◇ ◇ ◇


 ジグラットの思考が、急速に冷えていく。


(……ああ、そうか。俺は――)


 自分が前世の記憶を抱えたまま、『聖剣と終焉のクロニクル』の世界に転生していたという事実。

 そして自分がよりにもよって“第二王子ジグラット”という悪役だったという残酷な設定。


 三年後、妹リアーナ率いる勇者パーティに討たれる運命付きで。

 横目でリアーナを見た。


 純白のドレス。

 月光のように輝くプラチナブロンド。

 冷たく澄んだアメジストの瞳。


 民衆が希望を託す光。

 だが、その光は二度と兄へは向かない。


(……そうだ。こいつは本編で聖女として覚醒して、兄を“世界の敵”として切り捨てる)


 胸の奥で、さきほどまでの苛立ちとは違う何かが芽生えた。


 生き延びたいという、原始的な恐怖。

 そして妹とこの場の全員を見返したいという、みっともない虚栄心。


 その二つが混ざり合い、黒い渇望となって静かに燃え始める。


 リアーナの瞳がふと光を反射して鋭さを増した。

 その瞬間、ジグラットの心臓が強く跳ねる。


(こんな屈辱、二度と味わうか)

(こいつら全員、いつか必ず後悔させてやる)


 静かな誓いが、心の底へ刻み込まれた。


 ◇ ◇ ◇


 閉式を告げる鐘の音が大広間に鳴り響く。


 再び拍手が沸き起こり、第一王子とリアーナは別々に退出していく。

 祝福と期待の言葉が波のようにその後を追いかけた。


 ジグラットはその場に一人残っていた。

 周囲の貴族たちは形式通りに会釈をしながらも、明らかに距離を取り、用件を済ませると早々に離れていく。


「第二王子殿下、本日はお疲れ様でございました」


 年老いた貴族が口先だけの労いを残して足早に去っていった。

 その目には何の感情も宿っていない。


 ジグラットの拳に再び力がこもる。

 指先が白くなるほど、強く握りしめた。


(この空気、この視線、この言葉……全部忘れてやるものか)


 運命の結末まで、あと三年。

 その間にこの物語そのものを塗り替えなければならない。


 悪役としての破滅を回避し、生き延びる道をこじ開ける。

 そして――妹リアーナにこの兄を認めさせる。


 ◇ ◇ ◇


 ジグラットは静かに踵を返し、大広間を後にした。


 長く続く回廊を、濃紺の裾を揺らしながら一人で歩く。

 窓の外には夕日が沈みかけ、王都の屋根並みを赤く染め上げていた。


 床に落ちた自分の影が、細く長く伸びる。

 それはまるでこれから先の三年間を象徴するかのように、しつこく足元へ絡みついてくる。


 自室へ続く階段を上りながら、ジグラットは前世の知識とゲームの記憶を必死に整理していく。


 この世界で自分は勇者パーティに討たれる悪役だった。

 どのルートでも、何度プレイしても、第二王子ジグラットの末路は変わらなかった。


 ――だが、今は違う。


 自分にはこの身体と、この頭と、この記憶がある。

 意志を持ち、先回りして動くことができる。


(なら、運命なんて先に殴り倒してしまえばいいだけだ)


 自室の扉を開け、中へ足を踏み入れる。

 さきほどと変わらない鏡が、変わってしまった中身をそのまま映し出していた。


 濃紺の儀礼服。乱れのない金髪。

 深蒼の瞳にはさきほどよりも冷たい光が宿っている。


「三年後、俺は生きてやる……どんな手を使ってでも、な」


 低く呟く。

 それは誰に聞かせるためでもない。

 自分自身へ刻みつけるためだけの誓言だった。


 扉を閉める。

 静寂が、再び部屋を満たした。

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