全部君、君、君
@TNZ-NG
全部君、君、君
「メガネとコンタクト。もし僕が付けるとしたら、君はどちらが好きだい?」
「なにそれ?」
風呂上がり。僕はタオルを首に掛けながら、僕のソファーを悠々と占領し、寝転がりながらも真剣に雑誌を眺めている恋人に問うた。
彼女はそれに反応して、ページを開けたまま雑誌をぱたんと腹に置く。
彼女の習慣が変わっていなければ、その雑誌はきっと、今朝僕が買ったものと同じだと予想できた。
彼女がゆるりと僕を見上げる。おおよそ眉間にしわが寄っている怪訝そうな顔。
それは、今まさに雑誌に映っている人影……
ブランドのバッグを肩に掛け、射抜くような目線をこちらに流し寄越す——目の前と同じ姿かたちの女性とは、まるで別人のようで、僕にとって好ましく気の抜けた様子に思わず笑みがこぼれた。
彼女がそれにまた、しわを深く刻んだ気配がして、僕は「ああ、えっと」と慌てて話を再開した。
「僕、今まで裸眼だったんだけど、ちょっとどうにかしようと思って。君の好みを聞こうかと」
「ちょっと待って。あなたそんなに目が悪かったの?何かを付けて調整しないと支障が出るほど?」
「そうだね。特に遠くを見る時は……例えば、そのテレビの前に置いている時計なんかは、もう僕からじゃ何時かちっともわからない。針が三重くらいにブレて見えるね。秒針なんてあるのかすら」
「はあ?」彼女は、ソファーから3mも離れていない卓上時計を見て、理解できないというように声を発した。
僕はその声色を聞いて思ったよりもばつが悪くなり、水分を拭きとったばかりの頭をまた、タオルで一掻きした。
「その……別に隠していたつもりはなかったんだけど、気を悪くしたならごめん。ただ、僕自身としては視力が悪いことに、何ら支障を感じなかったんだ。いままで。近いところは見えるわけだし」
僕がそう言い訳がましく述べると、彼女がわざと大きくソファーに座り直した。
僕はその隣に、慣れた動作でそっと浅く腰掛ける。そうすると彼女の顔が自然と近づき、目が合った。
「やっぱり、眉間にしわが寄ってる。威圧感が増してクールだね」
「ありがとう。私の顔も、今始めて見られた?」
彼女が皮肉めいた言葉を返す。僕は、すぐに首を振った。
「まさか!言っただろ?近いところは普通に見えるんだ。君を見たかったら僕が近づけば良かったし、紙の中の君に関しても同じことさ。僕、君の顔好きだから」
「知ってる」
「ただ僕、言うと恥ずかしいんだけど……昔から人と目を合わせるのが苦手だったんだよ」
僕は足を組み、それに頬杖を付いて、過去をぼんやり思い返しながら話す。
——この自分のコンプレックスについて、思春期の頃はなおのこと苦労した記憶がある。どうしようと悩んでいるうちに、いつからか視界がぼやけてきて、まああっけなく解決したのだけど。
「外で歩いている人の顔がよく見えなくなった時は、随分気が楽になったものさ」
「へえ」と、彼女は機嫌を悟らせないような声で相槌を打ちながらも、今日初めて彼女から目を逸らした。
しかし、すぐに僕の目を見つめ直し、僕もそれにいつもの顔をして応じた。
「全部、君に選ばれる前の話さ。いや、今でも君以外の人の目を見たり見られたりするのは遠慮したいけどね」
「ふうん。そう」
「実際言うと、君に関してはもう慣れた。誠実な君ってば僕の心なんてつゆ知らず、むりやりに目を合わせてくれたから」
しばしば惚れた方が負けと言うが、僕に至っては完全敗北もいいところだ。彼女は彼女の魅力だけで、無自覚に僕を変えて見せたのだから。
僕がそのころを思い、「ふふふふ」と目じりを下げると、彼女が首を30度ほど傾けた。
「ならどうして今更?それらの話が、今あなたの視力を向上させなきゃならない理由になってるとは思えないんだけど。何も問題ないじゃない」
「いいや、それがね。この前重大な問題が発生したんだ」僕は打って変わって、眉間をくしゃと歪ませた。
「君……最近雑誌だけじゃなく、テレビショーにも出るようになっただろう?」
「そうね。まだ少ないけど」
「この前、外でランチをしている時に丁度、店に置いてあったテレビに君らしい女性が映っていた。いや、あれは確実に君だった」
「なら私かもね」
「すごく嬉しいよ。上から目線に思うかもしれないけれど、ようやく君の特別な仕事ぶりが正当に評価されるようになった!ってさ。でも、同時に泣きたい気持ちにもなった。テレビに映る君の顔が、よくわからなかったからね」
「え、はは、なるほど」
彼女はそのスマートな頭脳で、僕のこのやるせない気持ちを察したのか、ニヤと口角を上げた。しかし、僕はそれに抗議するように続ける。
「笑うなよ!初めてなんだ、この視力を憎く思ったのは!今にもテーブルを蹴飛ばして、テレビに齧りつこうかと思った!」
「……ソレ本当にしてたら、私たちはきっと終わりだったでしょうね」彼女は途端、いたずらな笑みから器用に表情を変え、呆れ声を出した。
彼女は社会的な礼節に少々厳しいきらいがある。僕はそれを思い出し「やっていないからね?!」と必死になった。
彼女がそれに鼻を鳴らして答えたのを見て、僕は一つ深呼吸をしてから話を続けた。
「僕は別に、君以外の顔がぼんやりしていたって、巨大な満月すら3つ重なってたってぜんぜん気にしない。ただ、薄い板の中の君を正しく見られないのが、いやに気に入らない」
「……」
「だから——」
僕はトドメとばかりに、ずい、といっそう顔を近づけて問うた。
「メガネとコンタクト。どっちの僕が好きかい?!」
彼女は真顔で、それと同じ距離仰け反りそのまま上半身をソファーに倒す。
そして、この問答に飽きたかのように一つあくびをして言った。
「メガネ。フレームレスの」
全部君、君、君 @TNZ-NG
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