蜜散る

翠渓

 蜜散る

 百合の切り花を一輪飾った。

 光の射さない1Kの部屋。



 ミニマリストでシンプルな物が好みのミチルの部屋は、余計なものがないので、生き生きとした百合の生花が一層目を引く。



 オフィスから帰宅したミチルは、エアコンのついていない部屋でむせかえるような芳香を放つカサブランカをじっと眺めた。


 

 白く少し厚みがあり六つに分かれた花弁の中央に、緑色の柱頭が、そしてその周りをたっぷりと花粉を蓄えた雄蕊おしべが囲んでいる。



 エアコンをつけシャツに着替えたミチルは、同じオフィスで働く立花の指先を思い浮かべた。


 

 花屋の前を通る時、立花という名前に花の姿が重なって、思わず買ってしまったカサブランカ。


 

  

 立花は既婚者だった。人当たりも良く誠実な人柄が、家庭でも良い夫だということを容易に想像させる。


 

 この甘く強い香りはどこから出ているのだろうか。カサブランカに顔を近づけると、濃いオレンジの花粉が頬についた。


 

 若い頃は男性にカサブランカの花束をもらったこともあった。あの頃は花なんて無造作に花瓶に投げ込んで、ろくに眺めもせずただ萎れてゆくままにしていた。


  

 

 狭い部屋で甘ったるい香りに包まれていると、現実と想像の境が曖昧になる。切られたカサブランカは蜜と目一杯の甘い香りで蜂を誘うけれど、大地から切り離されて花粉を落とし、この部屋で枯れてゆく。


 

 立花を思う。彼の指先はこの花にどんな風に触れるのだろうか。花粉はきっと彼の指について落とせない。



 

 食事をとる気持ちになれず、ベッドに身体を横たえたけれど、切られたカサブランカの、白く少し力ない姿が、香りが、ミチルの全てを支配する。



 

 そういえば野に咲く百合を見たことがない。このカサブランカもこうして切られて売られる前は土に根を張って、蜂を誘い、種をつける準備をしていただろうに。


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蜜散る 翠渓 @ohiru_neko

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