最終処分場の少年剣闘士

真好

1.最終処分場

1.最終処分場


 ダンプトラックの荷台から、洌(レイ)の頭部は無造作に転がり落ちた。

 胴体――ボディと呼ぶべきもの――は既に失われている。まるで処刑された罪人のように、彼は頭部だけの姿で遺棄されたのだ。

 場所は土星の衛星、タイタン。

 ここは廃棄物が集積される「最終処分場」であり、剣闘士(グラディエーター)として造られたヒューマノイドロボットたちの間では、別名「最終処刑場」として恐れられている地だった。

外見年齢16歳の少年型ヒューマノイドである洌は、アリーナでの敗北を経て、ついにこの場所へと打ち捨てられることになった。

 本来、彼はタイタンの一流企業が製造した最新鋭の量産モデルであり、搭載されたAIも機体性能も、同期の個体の中では期待の星だったはず。他の機体が華々しい戦績を上げる中、なぜ洌だけがこうして頭一つでゴミの山に埋もれることになったのか。

 洌の「墓標」となった場所は、かつては高価な技術の結晶であり、今はただの鉄屑と化したパーツの山頂だった。

 無数のヒューマノイドの残骸が積み重なった丘。

その頂点に置かれた彼の頭部は、まるでケーキにデコレーションされた苺のように、皮肉なほど収まりが良かった。おかげで、視界を遮るものは何もない。

 分厚い窒素の大気に覆われ、太陽の光すら届かぬ極寒の世界。

地表を液体メタンの川が流れるこの氷の巨塊は、有機的な温かさを一切拒絶している。

 その永続的な低温は、ここに捨てられたロボットの残骸たちを腐敗から遠ざけているようでもあった。まるで検死前の遺体を保管する、巨大な冷凍死体安置所(モルグ)のようだ。

 眼下に広がる広大な機械の墓場を、洌は虚無の瞳で見つめていた。

 バッテリーは尽きかけている。

頭部だけに残されたわずかな予備電力で、シャットダウンまでの時間を辛うじて繋ぎ止めている状態だった。薄れゆく意識の中で、CPUとメモリチップが最期の演算を行い、彼の最初で最後となった試合の記憶を再生し始めた。

 対戦相手は、決して強くはなかった。

 設定年齢9歳の少年型ヒューマノイド。しかし、170センチの洌に対し、その旧式モデルは3メートルもの巨躯を誇っていた。子供を模したはずの顔には、親ですら愛想を尽かしそうな凶悪な表情が張り付いている。

 技術力で劣るとされるガニメデのスタートアップ企業が製造したその機体は、コンセプト先行の「強そうな外見」だけの代物だった。まともに戦えば、最新モデルである洌が後れを取るはずがない相手だ。

 観客たちの多くが洌の勝利を確信し、金を賭けていた。

だが、結果は惨憺たるものだった。

 洌は、一歩も動かなかったのだ。

 無差別級のデスマッチにルールなど存在しない。故障だろうが何だろうが、相手の首を刎ねるまで戦いは続く。観客席から罵声と共に無数の「サムズダウン」が突きつけられる中、洌はただ案山子(かかし)のように立ち尽くしていた。

 そして、9歳設定の巨人が振るったダガーが一閃。

 何ら抵抗することなく、洌の首は小気味よい音を立てて宙を舞ったのである。


 首を刎ねられた衝撃で、システムは一時的な強制スリープ状態に陥っていたらしい。洌が再び意識――視覚センサーの入力――を取り戻したのは、まさに今しがたのことだ。

 残り少ない非常用電源が、限界を告げている。


 消えゆく視界に映ったのは、地平まで続くヒューマノイドの墓標と、それを包み込むあまりにも美しい空だった。淡い紫と蛍光色の緑が入り混じったオーロラが、タイタンの厚い大気をカーテンのように優美に揺らめいている。

 その光景に対し、演算回路の奥底から何らかの言語データが、感情のようなものが浮かび上がろうとした。だが、それは形を成す前に霧散した。アリーナで戦う意志を放棄した時と同じ、抗いがたい虚無のエントロピーが全てを押し流していく。

 もういい、と洌は思う。

このまま瞼を閉じ、永遠のシャットダウンを迎えようとした、その時だった。


 不意に、視覚センサーの片隅で何かが動いた。


 ここは最終処分場だ。廃棄され、機能を停止した「死体」だけが積み上げられる場所。有機生命体風に言えば、腐敗しない屍の山だ。ゆえに、この世界は本来、絶対的な静寂に支配されている。

 だからこそ、その「動き」は強烈なノイズとして、洌のセンサーを刺激した。


 バッテリー残量は乏しい。だが、洌の内部で、製造以来初めてとも言えるあるプロトコルが起動した。

「好奇心」だ。

 本来、ヒューマノイドには真実の探求と好奇心が基本OSとして組み込まれている。だが、洌という個体において、その機能はずっと不全状態にあった。それが、首だけになり、死を目前にした今になって、唐突に産声を上げたのだ。

(これが好奇心という味か)

 洌は自嘲気味に解析する。あまりにも遅すぎる目覚め。だが、彼はそれを「最期の晩餐」として味わうことにした。


 残存エネルギーを視覚野へ回し、動く物体へとズームをかける。

 それは確かにヒューマノイドだった。

だが、周囲の残骸とは決定的に異なっていた。四肢が欠損なく揃い、二本の足で大地を踏みしめ、歩いている。

 少女だ。

 さらに解像度を上げ、検索データを照合する。設定年齢は14歳前後。

 その姿は異様だった。アイボリー色の金属粉塵に塗れ、最先端のグラフェンやカーボンナノチューブで織られた布を、まるで包帯のように全身に巻き付けている。それは衣服というよりは、辛うじて肌を隠すための襤褸(ぼろ)切れだった。

 剥き出しの素足で瓦礫の上を歩く姿は、最悪の環境に捨てられた浮浪児そのものだ。

 しかし、ボロ布から覗くその顔立ちは――。


その顔立ちは、純白の初雪に、原始的で鮮烈な生命力を吹き込んだらこうなるのではないか――そう思わせるほど、完璧な黄金比を成していた。

 長い銀髪が、目が眩むほどの輝きを放っている。その光は、見る者を微睡みへと誘うような魔性を帯びていた。泥にまみれ、乱れてはいるが、その銀の髪からは隠しきれない気高さが滲み出ている。どれほど零落しようとも決して消えることのない、謙虚にして慇懃な神秘性。


 洌は、生産されて初めて、喉の奥にある高性能サラウンド・スピーカーを震わせた。


「……崇高」


 本来は「綺麗」と発声するつもりだった。だが、彼の思考を司る偉大なるマザークラスターが、瞬時の演算の果てに言葉を選別したのだ。「綺麗」という陳腐な表現では、目の前の存在を定義するには不十分だと判断したのかもしれない。


 該当するモデルは、検索してもヒットしない。

 洌は推測する。彼女は自分のような企業製の量産型ではない。特別な目的のためにカスタムされた、唯一無二のヒューマノイドなのだろうと。


 彼女は亡霊のように処分場を彷徨っていたが、不意に足を止めた。

 洌の視覚センサーが自分をロックオンしていることに気づいたのだろうか。かなりの距離があったにもかかわらず、彼女は正確に洌の方へと顔を向け、視線を交錯させた。

次の瞬間、彼女は進路を変える。

そして洌の首が転がる丘を目指し、歩き始めた。

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